『好む相手に好きになってもらうにはどうすればいい』

「はい?」



それは春麗らかな休日の昼間のこと。
久しぶりに連絡をつけてきた一つ下の親族から発せられた台詞に、公園のベンチで時間を潰していた私は携帯を耳にあてながらぱちぱちと瞬きを繰り返した。

一体何の話だ、と。



「好きになって、って…心変わりでもしたの?」



真剣な声音を撥ね除けるわけにもいかず、一先ずは姿勢を正して会話を繋げてみた。
確か、彼には付き合っている相手がいたはずだ。しかもそれなりに長い付き合いだと記憶している。

そんな相手がいるのに今更好きになってもらうも何もないだろうから、もしかして…?、と訊ねてみたところ、そんなわけがないだろうと即答されて少し安心した。
そうだよね真太郎、判りにくいけど彼女にかなり入れ込んでたもんね。



「なら、何で今更? 好き同士なんじゃないの?」

『……れ…のだよ』



素直に疑問をぶつければ、急にぼそぼそとしてはっきりしなくなった真太郎の声。
自意識の高い彼には珍しい反応に不思議に思って聞き直そうとしたところ、気まずい態度は何だったのかと思うくらい怒鳴り声に近いものを返されることになった。



「?、ごめんよく聞こえな…」

『だからっ…ふられたのだよ! 二度も言わせるな!』

「えええ八つ当たりよくな………えっ?」



電話越しでもつらい大声に耳を離して、それから漸く言葉を噛み砕いて動きを止める。

今、なんだか物凄く聞き逃せない単語が聞こえたような。



(ふられた…って)



え? 本当に? 本気で…?
彼女にふられちゃったの…?



「それ…ホントに? 本当なら…あの、えっと………どんまい?」

『五月蝿い死ね』

「私ばっかりリア充しててごめんね」

『今すぐ死ね』

「真太郎荒れてる」

『これが荒れないでいられるか』



いや、うん…気持ちは解らないけど察することはできるよ。

苛立ちに見え隠れする憔悴っぷりを感じ取り、私もつられて沈みそうになる。
真太郎の言葉をここで漸く全て理解して、健気さにちょっぴり泣けてきた。

つまり、ふられた後も諦めきれず、やり直す方法を探しているということだろう。
とても簡単にはいきそうにないことでも、一縷の望みがあれば迷わず突き進むその性質も理解していた。



「うーん…協力してあげたいけど、状況が分からないから何とも言えないよねぇ……そもそもふられた理由は? もしや素直になれない性格が禍した?」

『………』

「…沈黙は肯定ですか……真ちゃんったら…」

『五月蝿い死ね』

「八つ当たりヨクナイ」



そんな気はしたけど、まさか本当にそんな理由だとは。
難のある性格だとは私もよく知っているし、彼女さんとやらも相当振り回されての我慢の限界だったのではないだろうか。

…そうなると、希望は薄い気もするけど。



「好かれる方法とかはよく分からないけど…素直になりにくいなら言葉尻を緩めるとか、言い回しを考えるとか、黙り混まないよう配慮するとか…そこら辺大事なんじゃないかなぁ」

『……』

「態度も言葉も悪かったら、そりゃあ女の子は傷付くと思うの」

『……ああ。そうだな』

「恥ずかしいからって口にしないでいたら、届かないし。届かないと、ないことになっちゃうし…。真太郎は鈍いから疎かにしがちだよね。大事にされるのが嫌な人間なんて滅多にいないんだし、好意はちゃんと示した方がいいと…」

「“真太郎”って誰?」



頭を捻りながらも一応のアドバイスを送っていたところ、ぐ、と息が詰まって私は固まった。
唐突に、ベンチの後ろから伸びた手が首を囲うように回されて、よく知るものなのに今まで聞いたことがないほど冷たく重い声が、空いている片耳に吹き込まれる。

ねぇ誰?、と。



「オレは辰也“くん”なのに…呼び捨てするくらい親しい男がいたんだ…なまえ?」

「……っ」



ふうっと漏れる溜息と、敵意の窺える声音が釣り合わない。
反射的にびくりと跳ねる肩も、今は誤魔化す余裕はななかった。



(しまった……)



そうだ。私、辰也くんと待ち合わせ中だったんだった。
話の内容の重さについつい頭を持っていかれて、時間を確認することを忘れていた。とんだ失態だ。



『…なまえ? 何なのだよ急に黙り混んで』

「え、あ…いや…えっと」

「しかもオレが来たのに他の男と話し続けるんだ…?」



…怖い。振り返れない怖い怖すぎるひぃ。

見なくても判る。綺麗な笑顔を浮かべながらこんなに冷たい声を出している恋人の姿なんて、想像するに容易い。
男、と強調する辺りに嫉妬心が窺えるけれど、喜べるほど私は彼の扱いにはまだ慣れていなかった。



『何かあったのか?』

「あ、う…何か…ひっ!」

『?』



思わず漏れた悲鳴に咄嗟に口を覆う。
首を固定されて動かせない中、ふっ、と耳の中を通り抜けた風の所為でぞわぞわと背筋が粟立った。

こ、これ、本気でまずい気がする…!



「なまえ…ねぇなまえ、好きだよ。電話よりオレに構おうか? 可愛いなまえ」

「…っっ……う…」

「ああ、耳が弱いんだ? そんなにいい反応されると…苛めたくなるな」

「…や……っ」



なにこの拷問…!?

じんじんと痺れた耳の奥、掠れた声に鼓膜を擽られて背骨が溶けるような感覚に襲われる。
恐らくは彼の狙い通り、脳内からはすっかりとそれ以前の思考は飛んでしまって。



「ほらなまえ…早く構ってくれないと意地悪するよ」



憎たらしいくらいいい声に、ぞくぞくと全身が震える。
というか、もう充分意地悪されていると思うのだけれど。



『なまえ? 本当に何かあったのか?』

「なまえ、耳まで真っ赤だね…」



死にそうなくらいばくばくと脈打つ心臓を既に感じていたというのに。
驚くことに、どこまでも容赦のない恋人は、限界を感じて泣きそうになっていた私の耳朶に歯を立てた。



「っ!? っ……ご、ごめんしんたろっ…」

『?…だからどうしたと』

「電話はまた今度かけるからっ!」



柔く、軽い痛みを感じる程度でも、噛まれることなんて想像したこともなかった。
慌てて通話を切って離れようとしたのに、がっちりと回された腕の所為で首を捻ることすら叶わない。



「や、やだやめて辰也くんもう切ったからっ…電話切ったから…!」

「ん…?」

「ひ! ごめんなさ…謝るから舐めないでぇ…っ」



人目が全くないわけでもない公園で、これ以上恥ずかしいことをされては堪ったものじゃない。
半泣きで振り向いて漸く顔が見れた恋人は、少しは機嫌が収まったのか細まる目尻が楽しげで。



「…他の男を呼び捨てて、嫉妬させたのはなまえだよ」

「ち、ちが…真太郎は親戚だし嫉妬させたかったわけでも」

「なまえ…オレはわりと独占欲が強いんだ」



オレより先に出逢って仲がいい男がいるなんて、気に食わないな。

笑顔なのに笑っていない。優しい声なのに温もりもない。



(ああ、これ、墓穴)



掘ったかもしれない。

片手で捕らえられた顎に、冷や汗が伝う。
私を見つめる瞳に、ぎらりとした不穏な光を見たような気がした。



「好意は、示さないと意味がないんだよね?」

「そ、れは…あの、辰也くんのは普段からよく感じているから問題は…」

「悪い子にも、お仕置きしないと」

「!? え、いや、待っ…」



不穏な単語を警戒しても、逃げる術がない。
いつの間にか首ではなく胴を、ベンチに縫い付けられていた私の懇願は、呆気なくその唇に飲み込まれた。



「もう待てない」







驚愕十五分




恋人を蔑ろにしては痛い目を見る。
そんな悲しい知識を植え込まれた、日差しだけは穏やかな春の昼間。

20130821. 

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