※黄瀬の性格が悪いです。






たった一言を引き金に、人生が一変するなんてざらにある話で。
訪れた馬鹿馬鹿しくも苛立たしい現状を、私は唇を噛みながらも受け入れることしかできなかった。



元々人付き合いは下手な方ではなく、友達だって男女関係なくそれなりにいた。
それでも幼馴染みの存在感が大き過ぎたのか、思春期女子生徒の恋愛に対する歓談にはいまいちノリを合わせることができず。
よくある憧れの人についての会話で、うっかり口を滑らせてしまったのだ。

やっぱり一番付き合いたいのは黄瀬くんだよねー、なんて、はしゃぐ友人達の目の前で。



「あー…私はパスかな。性格悪そうだし」



それは、表面だけで愛想を振り撒くクラスメイトの、底冷えするような視線を読み取っていたからこそ溢れ出した言葉であり。
深い意味はなく、自分で口にしておいて何だが、贅沢な意見なんだろうなぁとも思っていた。

その数秒後に、固まって話していた私の背後からあからさまに悲しげな声が、聞こえてくるまでは。



「そっか…みょうじさんはオレのこと、嫌いなんスね」



ぞわり。背中を駆け上がった悪寒に反射的に振り向いたその場には、悲しくて仕方がないといった風な仮面を付けた張本人がいて。

ああ、これ、詰んだかも。
誰にも気付かれない程度に冷たい視線を送ってくるそいつに笑って誤魔化しながら、苦虫を噛み潰した。
周りを見ていなかった私も悪い。不用意に核心を突いてしまったのもよくなかった。恐らく私は、黄瀬涼太という人間の逆鱗に触れた。

理解した次の日には、私の学校生活は崩落の一途を辿った。



「…っあー…くそ…」



うっぜぇ。

つい荒くなる口調を抑えられるような精神状態ではない。
朝イチで開けた靴箱は生ゴミに埋め尽くされていて、よくもまぁここまでやるものだと項垂れながら眉を顰めた。
吐きそうな臭いの立ち込めるこの場も、自分で片付けるしかないのだろう。こんなことが日常茶飯事とは、本当に笑えない。

いっそ被害を纏めて然るべきところに訴えてもいいが、そこまでするのも面倒で。
何をされてもいいように、予め持ち運ぶようになったビニール袋や雑巾を取り出しながら、周囲から聞こえてくる小さな笑い声を拾う。



(惨め)



なんて惨めな光景だろう。手助けしてくれる人間もなく、独りで嫌がらせに耐えなければいけない、この状況は。
あの日、黄瀬涼太を傷付けたらしい私は大多数の女子を敵に回してしまったらしく、仲の良かったクラスメイト達は途端に掌を返して私を弾き、彼に媚び始めた。
男子側はまだ優しくしてくれたが、そうすれば今度は男好きと罵られた。何をしたところで気に入られることはないのだろう。それくらいは考えずとも解ることだ。

こんなに簡単なのか、と思った。
こんなに簡単にひっくり返されるほど、ここまでされなければならないほど、黄瀬涼太という人間は偉いのかと。



(まぁ、偉いっちゃ偉いか…)



性格の良し悪しは抜きにして、部活や仕事をこなして帝光の知名度を上げていることは確かだ。確かに、私一人よりはずっと大きな価値がある。

それが悔しくないかと訊かれれば、やはり悔しい。けれどもう、どうしようもないのも事実だ。
今更何を言っても、しても、何も変わらない。好転はしない。既に納得したことでもある。
切り刻まれた体育着は戻らないし、破り捨てられたテキストも。傷や痣のついた手、腕、足。全て捨てても、痕は残らなくても、何もかも元には戻らない。

最悪だなぁ、とは思っても、それ以上は何も思わなかった。
ぶつかる気力なんてものは、最初からなかったから。



「あれ、みょうじさんどこ行くんスか? そっちは教室じゃないっスよ?」



まとめ終えたゴミを捨てる場所は、決まっている。溢れ出る溜息を我慢せず吐き出しながら踵を返せば、鬱陶しいほどにこやかな笑顔を向けられた。

この現状の張本人は、あの日からよく私に声を掛けてくる。それも女子の反感を高めるためのものであることは明白で、彼が私の境遇を嘲っていることも知っていた。

けれど、私は答えに惑いはしない。



「靴箱に生ゴミが入ってたから、捨てに行くの」



わざとらしい笑みを見上げながらごみ袋を掲げれば、嫌そうに顰められる顔が滑稽だ。
ここまでえげつないことをする女子に、彼の中では嫌悪感が上乗せされているに違いない。

ざまぁみろ。お前に群がるのはこんなものを嫌がらせのために持ち運ぶような女共だ。

そんなことを思いながら上背のある彼の横を通り過ぎようとすれば、何で、と漏らされた固い声に足を止められた。



「謝れば、許してもらえるかもしれないのに。何でアンタ謝んないんスか」



その口から吐かれた台詞に、呆れのあまりはぁ?、とガンを飛ばしそうになった。
ギリギリ堪えたけれど、口調からトゲは抜ききれない。

何言ってんの、こいつ。
私に害が向くよう嗾けておいて、許す、って?

どっちがだ、とは思うが、それを口にすれば私の質が落ちる。それは憚られたから、疑問には疑問だけを返すことにした。



「それこそ何で。事実を指摘されて癇癪起こしたのはそっちでしょ」



そう、あれは子供の癇癪だった。
痛いところを突かれて反射的に反抗したのは、目の前のこの男の方だ。



「…言うっスね。明日からもっと酷い目に合っても知らねーから」

「別に、どうでもいいけど」



明日なんて来ないから。

返した言葉に男の目が見開く。
は?、と掠れた声を出す彼に、私は明日から来ないから、と簡潔に事実だけを突き付けた。



「は…な、に言って…まさか、アンタ逃げるんスか…?」

「逃げでも何でも、楽に暮らせるならそれで。あんたみたいな面倒なのと関わらずに済むならそれでいい」



愕然と固まる男は、何を驚いているのか。
別に選択肢としてはおかしくないだろうにと、私は淡々と続けた。

もう会うことはないだろうから、この際言いたいことは全て言っておこうか。



「あんたがどれだけ性格悪くて女を見下してたって、私はどうでもよかったよ。別に嫌ってたわけでもない。でもあんたは、見破られるのが気に入らないんでしょ。だったら私は消えてあげる。その方がお互い楽だしね」

「な、ん…」

「平和に暮らせるのが一番いいわ」



お世話になりました。さようなら。
そんな皮肉を口にする私の神経は、疾うにぷっつりと切れてしまっていたのだ。

置いてきぼりをくらった子供のように右往左往するその視線の意味など、私は知らない。知ろうとも思わない。元よりそんな興味はない。果てには嫌悪感しか抱けない。から。



「清々するね」



区切りをつけると決めた最後の一日、足取りは軽く。
彼に負けない笑顔を作り上げた私を、見つめる瞳は凍り付いていた。







愛情は裏返さなくていい




『黄瀬に言ったのだな』



要らなくなる制服をダンボールに詰め込みながらかかってきた電話に出てみれば、不機嫌そうな幼馴染みの声が響く。
何故彼の名が出るのかと首を傾げれば、それを悟ったらしい真太郎は深々と嘆息したようだった。



『どういうことだ何処に行くのだと、一日中煩かった』

「え、何のために。ていうか、言ったの?」

『言うわけがないだろう。仮にも幼馴染みを売りはしないのだよ』

「あ、そう? ならいいよ。いい予感はしないからそのまま黙ってて」

『…まぁ、それくらいはしてやらんこともない』



低くなる声は、私を案じてのものだろう。
助けになれないことを密かに気にしてくれていた幼馴染みの優しさに、私は頬を緩めた。

助けてなんて言わなかったのは私なんだから、気にしなくていいのにね。



「ありがとうね、真太郎」

『お前のことだから二度も下手は打つまい…だが、まぁ、うまくやれ』

「はは、了解」



それなりに大切にしている幼馴染みからの激励だ。しっかりと受け取って通話を切ってから、型の古い折り畳みの携帯を逆側にへし折った。



「ん、よし」



どこから情報漏れするか分からないから、一つずつ可能性を潰していく。
持ち物を捨てて、髪型を変えて、進むことを決めた私の顔は鏡で見る分にはスッキリとしていた。

忘れられるわけではなくとも、捨てると決めたものは迷わず捨てる。
これでいい、と口角を上げた。未練なんて一つも残っていない。



(どんな友達作れるかなぁ)



クローゼットに掛かった真新しい制服を取り出しながら笑みを浮かべる私に、振り返るべき人間はいなかった。



(忘れられないかもしれない)
(だけど先には進めるわ)

20130705. 

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