例えば、今まで自分が特定の人物に対して吐いてきた言葉が、全て嘘だった場合。
そんな場合、人はどんな行動を取るべきなんだろう。






見えない手に心臓を握り締められるような感覚に、一瞬呼吸が乱れた。
その原因を把握して、視界に入った光景から勢いよく目を逸らす。そうやって、おかしくなろうとする体調を食い止めた。



「あ、みょうじっちー! お疲れっス」

「! 黄瀬くん、お疲れさ、ま…」



外周の最中、通り掛かった水道場付近で仕事をしていたらしいその子に、躊躇いなく話し掛けたチームメイトを、いつかと同じように潰してやりたい衝動に襲われた。
尻すぼみになっていく女子の声音は、近くにいたオレを気にしてのものだ。あからさまに怯える姿なんて何度も見てきたのに、死ぬんじゃないかと不安になるくらい息が詰まる。

まるで、認めろと身体が急かしてくるみたいに。



(気のせいだし)



こんなの。苦しいとか、気のせいだ。そうに決まってる。
でもじゃあ何で、今までみたいに毒づけないんだろう。なんて、考えたらいけない。知らなくていいことで。
関わるなんて馬鹿らしい。ぐちゃぐちゃに掻き回される頭の中が不快で、速度を弛め掛かっている黄瀬ちんから離れた。

部活中に、他のことに頭を悩ませる必要はない。
考えない、気にしない、と軽く頭を振るオレの耳には、それでもどうしたって音声を遮ることはできなかった。



「ちゃんと水分とってね。頑張って」

「はいっス! みょうじっちも無理しないでね!」



ぐしゃぐしゃと、何かがひしゃげていく。反射的に噛み締めた唇が痛かった。



(何だよ)



何だよこれ。何なのそれ。
一軍でも、他の人間にはそんな声で気遣ったりしないくせに。

部活中でもたまにしか見かけなくなっていたその子を、目にする度に内臓をぐちゃぐちゃと掻き回されるような気持ち悪さに襲われる。
二軍三軍の人間なら、まだ解る。担当するグループの人間とは親しくなるのも解る。でも、黄瀬ちんは一軍のレギュラーだ。一時期身を置いていただけの人間だ。なのに。



(なに、考えてんの)



何かを、何でもいいからとにかく何かをぶち壊したい衝動に駆られる自分に、強く奥歯を噛みしめた。
冷静になればどうだっていいことのはずだ。あの子が誰と仲が良くても、オレには何の関係もない。
だってオレは、あの子が目障りで仕方がないんだ。
大嫌いで、視界に入れたくなくて、関わりたくなくて。

そうでなければ、いけなくて。

爪が食い込む掌を、痛いと思う余裕がなくなっても、首を横に振り続けた。









だって、今更嘘でしたなんて、どうすればいいのか判らない。



「アンタさぁ、マジ調子乗ってない? 紫原の次は黄瀬くんとかさー」

「どうやって引っ掻けたわけ? 大人しそうな顔してヤらせでもしたの?」



悪意に溢れた汚い声が、言葉が、その子に突き刺される瞬間を見たのは何度目になるかも判らない。
見ただけならまだしも、自分だって似たようなものを、もしくはそれ以上のものを突き刺した。だから、他を責める理由も権利もない。

休憩中に空きっ腹を満たそうとしたのが間違いだった。部室に行く途中、体育館裏を通り過ぎようとしたところで聞こえてきた罵詈雑言に考えるより先に足が止まった。



「あの…部活中、ですから」

「逃げんじゃねーよ!」

「っ!」

「はっ、何転けてんの。非力アピール? ははっ、そうやって男誑かしたわけ? きったな!」



人気のない物陰で行われる嫌がらせは、一年の頃からあったものだ。
オレがあの子を嫌いまくったから、それを理由に標的にされた。そのことだって知っている。



(いつものことじゃん)



そう、いつものことだ。
嫌がらせが始まった理由がオレでも、今黄瀬ちんと仲良くしてるあの子に非がないわけじゃない、はずだ。そうだ。黄瀬ちんと仲良くなった所為で嫌がらせが激化してても、オレには責任はない。

ああ、でも。



(責任、って、何だっけ)



そんなこと、気にしたことあったっけ。

暴力を振るわれたのかもしれない。小さな悲鳴が耳に飛び込んできて、心臓を締め上げられる。
責任なんて感じたところで何にもならない。変わらない。オレはあの子が嫌いで、目障りで堪らなくて。そうじゃないといけなくて。

だって、そうでなければどうするの。
それが嘘なら、どうしたらいいの。



「や、やめてくださっ…」

「なら、二度とレギュラーに近づくんじゃねぇ…っ!」



数メートルの距離にある物陰に、踏み出すのは簡単だった。
オレの足は他より長いから、少し急げば数秒もかからない。

本当は、立ち入りたくなかった。関係ないままでいたかった。目を逸らし続けて過ごしたかった。
だけど、逸らしていても苦しくてどうしようもなかった。これ以上知らないふりをして、楽になれる気がしない。



「何、してんの」



足を踏み入れた物陰で、二人の女子がその子を取り囲んでいた。
一人は動きを押さえつけるように、もう一人はその髪を引っ張って、今にも切ろうとするように鋏を構えて。

オレが出ていったことで、行為を中断した女子の顔が一気に強張る。
その中でも一際大きく震えたのは、加害者である二人ではなくて。



「っ…ごめんなさい…仕事、戻りますっ」



力の緩んだ二人から、現れたオレから逃げるように、近くに転がっていた籠を抱えて立ち去る、その子を引き留めることもできなかった。

傷付けようと思ったわけじゃない。オレが止めようとしたのは後に残る二人組の方だったのに、そんなことあの子には通じない。通じるわけもなかった。そういう風に扱ってきたんだから、当たり前だ。



(バッカじゃないの)



当たり前だ。逃げられるのは、当たり前。助けたなんて思われないのも。
きっとまたオレにまで責められるのが嫌で、逃げられたんだ。

それが、今までのオレの扱いに対するあの子の答えだ。



「む、紫原くん、あの…今のは、」

「消えて」

「っえ…」

「消えてよ。あんたらすげー目障り」



苛立って仕方ない。息苦しくて堪らない。
考えたくないのに思考が絡まる。

少し睨み付けただけで情けない声を上げた女子達には見覚えがある。確か、三年のマネージャーの中で見た顔だ。
後で赤ちんに知らせること確定だな、なんてことを考えながらもがらがらと崩れていく認識の方が痛むから、気になって仕方がない。



(嘘、だったのかな)



いや。きっと間違いだ。そんなことあるはずがない。
胸が痛い、なんて。
そんなのおかしい。



「嘘じゃない」



誰もいなくなって一人きりに戻ると、口の中から飛び出した言葉は笑えるくらい弱々しかった。

そんなの、だって。認めたところで何になるの、今更。

今まで口にした言葉全部、嘘でした。本当は気になって仕方がありませんでした。本当は好きです。多分、ずっと好きでした。なんて。
もし、そうだとしても。



(信じてもらえるわけないじゃん)



好意的に受け取られるわけがない。それくらい、オレにだって解るのに。








震える肩に涙した




今更思い知ったところで、どうしたらいいの。
言葉一つももう、満足には伝わらなくなっているのに。

20130519. 

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