寒い冬には、ついつい温かくて甘い物が欲しくなってしまう。
かじかむ指先に白い息を吹きかけながらドアの前に立とうとした時、手を伸ばすより一瞬早くコンビニのドアが開いた。
「あ」
「え?」
何も考えずに自然と道を譲ろうとしたところ、小さく驚くような声を拾って顔を上げる。
出てくる人間の顔をよく見ようとしていなかったから気付かなかったが、今し方通ろうとしていた入り口に立ち竦む人の顔は見えず、私の目には大きなコートの胸ポケットが見えた。
「なまえちんだ」
「…あっくんだ」
襲い来るデジャブ感に、驚きは掻き消された。と言うより、驚くような理由もなかった。
視界に入るのが胸元なんて、相当の上背だ。そんな桁外れの身長を持つ知り合いなんてそう多くはない。
おまけに今は冬の大会の真っ最中で、小学校時代からバスケを続けているという彼が出場していることも知っていた。と言うより、中学時代にマネージャーをやっていた名残で私も観戦に赴いていたので、彼が試合に出ているところもばっちり目にしていたのだ。
それでも、偶然鉢合わせるなんて展開は予想していなかったけれど。
「わー、久しぶりー。なまえちん相変わらずちっさいねー」
「本当だね。あっくんはまた伸びた?」
「んー、今208センチ」
「おっきいなぁ」
凡そ、八ヶ月ぶりくらいだろうか。中学卒業からは連絡も取らず疎遠になっていたけれど、顔を合わせてみると昨日までも一緒にいたような気分になる。緩いテンポで交わされる会話には親しみが込められていて、店内に足を踏み入れる私に自然に並び、彼までもう一度コンビニの中に引き返してきた。
中学時代には自然だったやり取りが、未だに再現されるのがおかしくて頬が弛む。
つい小さく吹き出した私を不思議そうに見下ろしてきた彼の方は、不自然さを微塵も感じていないようだった。
「なーになまえちん、何か楽しいことあった?」
「うん、面白い」
「えー? 何が?」
「何でしょう」
「わかんねーし」
間延びする唸り声を上げながら首を捻る動作は私が知るものと全く変わらない。少し髪が伸びて、身長もまた伸びているくらい。
卒業から今までを同じ場所で過ごしても、きっと変わらなかったんだろうな。胸に広がる安心感に一人で浸っていると、あ、と短い声を上げた彼が長い足をずんずんと進めてある一角へ向かっていった。
「ココアだよねーなまえちんは」
小さめのペットボトルを当たり前のように手に取り、追いかけた私の目の前にはい、と差し出される。
その行動にも違和感はなく、よく覚えてたね、と口にした私の方がおかしいもののように見つめ返された。
「は? だってなまえちん冬はココア欠かせないじゃん」
「うん。あっくんは中華まん制覇したがるよね」
「そーそー。でも今日はピザまん売り切れてたんだよねー」
「別のコンビニ行く?」
「んー…いーや。今日はなまえちんいるし、我慢する」
「…そっか」
ああ、でも、やっぱり少しは変わったのかな。
中学時代なら、きっと私は彼のコンビニ巡りにも付き合って、そして彼も当たり前のように私を引き連れていたはずだ。
小さな配慮に喉につっかえるものを感じていると、大きな手に軽く背中を押された。
「早く買ってきなよー」
「うん」
「で、あんまり寒くないとこ行って中華まん食べよ」
「あっくん試合見に行かないの?」
「…大会あってんの知ってたんだ」
「そりゃあね。元バスケ部マネだしねぇ」
「うーわ…最悪だし」
苦々しく顔を顰める彼に笑いかけて、レジに向かう。
ココア一つ分の代金をきっかり払って出口に向かうと、僅かに機嫌を損ねながらも待っていてくれたらしい彼がドアを開けてくれた。
「そういや、なまえちんさっき驚かなかったよねー…試合観に来てたわけ…?」
「あっくんの勇姿はしっかりと目に焼き付けたよ」
「負け試合じゃん…」
「うーん…そこは残念だったけど、でも格好良かったよ」
「意味分かんない」
むすう、と頬を膨らます彼は拗ねてしまったようだ。自棄気味にレジ袋から取り出した中華まんにかぶりつきながら、顔を背けられてしまった。歩幅は、合わせてくれたまま。
でも、本当に格好良かったんだけどな。
あんなにドキドキして見ている方まで手に汗を握るような試合は、帝光中にいた頃には味わえなかったものだ。本気にはならなくても才能がある彼が、必死に食らいついたところなんて初めて見た。格好良くて、ドキドキして、負けてしまったことは本当に残念で、そして。
「少し、寂しかった」
つい漏れてしまった本音に、背けられていた顔が振り向く気配がした。
本当は、もっと近くで見ていたかったな。少しの変化でも、彼の傍で見守りたかった。なんて。
言葉にしなくてもきっと、伝わってしまうことだって知っている。
「…なまえちんさ、友達できた?」
「うん。あっくんは、部員とうまくやれてる?」
「んー、それなりに。うざい人もいるけど、別に嫌いじゃないし」
「そっかぁ…でもさ」
「うん」
「あっくんほど仲良くなれる人、いないなぁ」
「うん。なまえちんみたいにずっと一緒にいる子とか、オレもいないよ」
「でも、遠いよね」
「…遠いね」
ぐしゃり、握り潰された包装紙の音が響く。
お互いに天然、なんてレッテルを貼られて、いつの間にか傍にいるのが当たり前になっていた。仲の良い人間にもそうでない人間にもセットで子供扱いされていた私達は、言うほど子供でも何でもない。
行き過ぎた我儘は叶わないことも、鳥が空を飛び続けていられないことも、枯れ落ちない葉がないことも知っていた。
言葉にするまでもない、胸に蔓延るものの正体でさえ。
自然に伸びてきた大きな手の中に、私のそれがすっぽりと収められる。
そこからじんわりとした暖かさが伝わって、自然と溜息が溢れた。
「約束とかさぁ、やっすいよね」
「あはは…ロマンがないけど、同感かな」
「だよねー。…でもオレ、このまま行ってもなまえちんしか駄目そう」
「そうだね…今は、私もそうかな」
中学卒業から凡そ八ヶ月。音信不通でも、ことある事に面影は過ぎった。
流れる季節の中で思い出は付きまとった。誰といてもしっくりこなかった。ずっと、どこかに彼がいた。
寂しくなかったわけもない。私だけがそうだとも思わない。
だけれど、根拠のない約束も欲しくはなかった。
「あっくん、会場行こうか」
幾分か温もった手を軽く引くと、不満げな声が降ってくる。
けれど、文句を言いながらも本気で嫌がっているわけではない。恐らく今も、際限ない食欲を満たすために抜け出したか何かだろうということは、私には予想がついていた。
だって、何を置いても、彼が選んだものだもの。
「デートしないの」
「試合観戦も立派なデートだよ」
「ムードないしー」
「コンビニ巡りよりはそれっぽいと思うなぁ」
「…なまえちんの意地悪」
「知ってるくせに」
くすくすと笑いながら見上げた先で、不機嫌そうな表情が弛む。
一度伏せられた目蓋が再び持ち上がる頃には、よく見ないと判らないくらいの微笑みを、彼は浮かべていた。
「知ってるけどね」
そう。私も、よく知っている。
この時間を抱えて、進んでいくこと。掌から伝わる温度を失っても、心まで満たす温もりは簡単には消えないこと。
今日が過ぎれば、触れ合えない日々が続いていくことも。
(それでも、いい)
それでも私達は、こうしていることしかできないから。
遠距離恋愛
破れてしまうかもしれないなら、約束なんていらない。
繋がっていられるこの一瞬、今だけを信じ続けていたいから。
20130507.
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