「なまえちん、帰ろー」

「紫原くん…うん、帰ろうか」



部活動も終えて完全下校時刻に近付くと、昼までは降っていた雨が止んで、どこかスッキリとした空が広がっていた。
持ってきていた傘は荷物になるけれど、雨の中を歩くよりはいい。傘を差して歩くよりは手に持っていた方が、並んで歩く時に距離も離れない。

彼と二人で帰路につくことも今ではすっかり習慣になって、そんなことまで考えられるようになっているのだから、人の成長は凄いと思う。
練習が終わると上機嫌で身支度を整えてやって来る彼は、今日は特にうきうきとしていて周囲に花でも飛ばしそうな勢いだった。

その理由が何なのかは、既に解っていることだ。



「なまえちん、約束」

「解ってる。ちゃんとあるよ」



きらきらと期待に輝く眼差しを向けられたら、無意味に焦らすこともできない。
緩む頬はそのままに、カバンの中から目的のものを取り出せば、それを映した深い紫色の瞳はとろりと溶けたように見えた。



「ガトーショコラ…!」

「紫原くんには足りないと思うけど、一人二切れしか貰えなかったの…ごめんね?」

「ん、それは仕方ないし。ありがとなまえちん、大事に食べるねー」



これ以上ないくらい幸せそうに破顔する彼に、きゅう、と胸が締め付けられる。
ビニール性の袋でラッピングしたガトーショコラは家庭科の時間に作ったもので、それを知る紫原くんにねだられることも当然予測できたことだった。けれど。



(ずるいなぁ…)



紫原くんは、モテる。
それは例えばマスコット的な意味であったり、キセキの世代のセンターという立ち位置故の憧れめいたものだったりと、形は様々あるけれど。
とにかく図体からして目立つため、そのお菓子好きという性質も校内で知らない人はいないんじゃないかと思うくらいには、知れ渡っているのだ。

だから、放課後になるまでに彼の元に届けられたお菓子は他にもあるわけで。
それらを突っぱねるという選択肢があるはずのない彼は、毎度喜んで受け取ってしまうわけで。

だから仕方のないことだとは思いつつも、ちょっとばかりモヤモヤしてしまう私も、いたりするのだけれど。



(こんな、喜ばれちゃなぁ…)



小さなヤキモチも、吹き飛んでしまう。
他の誰に何を貰っても、ここまで弛みきった顔は見ることはできないだろうから。
食べる速さも量も並外れている彼の口から、大事に食べるなんて言葉も中々聞けるものでもない。

擽ったくて、恥ずかしくて。でも嬉しい気持ちはそれよりも込み上げて、ついつい見つめすぎてしまったようだ。
私の視線に気付いた彼が、ぱちぱちと不思議そうに瞬きを繰り返した。



「…もしかして、なまえちんも食べたいの? 甘いの好きだったよね?」

「えっ? あ、ううん、違うよっ! それは紫原くんのために取っておいたのだし」

「そう? でも、すっげー見てたよね、今」

「うん…ちょっと、全然違うなぁって思って」

「? 何が?」



こてん、と首を傾げる仕種が、どうして似合うのだろうか。
数十センチも上から覗き込まれているのに、なんだか可愛く思えてしまう。



「紫原くん、よく人からお菓子貰ったりするでしょう?」

「うん、今日も貰ったしねー」

「その時と、今…全然違う顔してるなぁと思ってたの」



同じ喜ぶ顔でも、柔らかさが違うというか。
今日彼が貰ったお菓子の中には私のあげたものと同じものがあるはずなのに、初めて貰ったかのような喜びように驚くような気持ちもある。

そう、素直に疑問を口にした私をまじまじと見下ろしていた紫原くんは、数秒も置かずに何だそんなこと、と目蓋を伏せながら呟いた。



「そんなん、当たり前でしょ」

「…当たり前なの?」

「当たり前だし。だって、なまえちんがくれるものだよ」



朝から降っていた雨の所為でできた、水溜まりを避けながら歩いていた。
その速度が、落ちる。



「なまえちんがくれるものも、してくれることも…他の誰にも貰えないじゃん」



なまえちんにしか、貰えないもの。だから特別だよ。

囁くような小ささで紡がれた言葉を、拾った耳を咄嗟に覆いたくなる。
完全に止まってしまった足は、水溜まりを挟むように彼と向き合っていた。



(……ずるい)



柔らかく、優しく接されているのに、心臓はドキドキと高鳴ってしまう。
そんなことを言われたら、何もかも許して、何でもしてあげたくなってしまう。



「なまえちん?」



どうしたの?、と、自分の吐き出した言葉の破壊力にも気付いていない彼を、手招きして屈ませる。
素直に降りてきた首に腕を回すと、大きな肩が跳ねたようだった。



「私も、紫原くんだけ特別だよ」



恥ずかしい、なんて言っていられない。
あなたがそうだから、私もこんなに嬉しくなるの。

大好き、と気持ちを込めて一瞬だけその首にしがみついたのと、足下でばしゃりと水が跳ねる音がしたのは、ほぼ同時だった。








雨とチョコレート




(あああケーキ…! 落としたっ…水溜まり!!)
(え? あ…本当だ)
(うわ、うわぁ…もーやだなまえちんの天然タラシ…っあんなん言われたら心臓止まるでしょー!)
(む、紫原くんがそれ言う…いや、うん、大丈夫だよ。ビニールの袋だから、中には染みてないみたい)
(マジでっ!?)
(う、うん…マジです)
(は…あー…よかったー…もーなまえちんマジでオレキラー過ぎだし……顔すげー熱い)
(…な、何か、ごめんなさい…?)

20130423. 

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