其処に認められた一文は、酷く柔かな筆跡で綴られていた。
その頁を指でなぞりながら脳裏に浮かんだのが、花の咲くような笑顔だった。

詰まるところ、恐らくは、そういうことなのだ。

たった一言、シンプルな感謝の言葉は、前後を充たす文面により飾り立てられて。
息を飲む程に、美しかった。









「みょうじ」

「あ、赤司くん」



重要な用事は全て済ませて暇を持て余した昼休み、束ねた原稿用紙を手に図書室へ向かえば、予想を裏切らず人気のない区間に彼女はいた。
古書の並ぶ棚には、滅多に学生は足を踏み入れない。よって他より更に静寂に満たされた空間はそれでも冷たさなどは微塵も感じられず、陽当たりのいい窓辺に椅子を運び込んで自由にも贅沢な世界に浸った彼女の髪がキラキラと輝いていた。



「今日は忙しくないの?」

「ああ、やるべき仕事は片付けたからね」



古い紙の匂いと、ガラスに遮られた程好い陽光が言い様のない充足感を運んでくる。
読み掛けの本を膝に置いた彼女の前、窓辺に背を向けて場所を陣取った。

みょうじは随分と贅沢な時間を過ごしているな。
椅子まで運び出して、と口角を上げれば、悪戯を指摘された子供のように彼女は笑う。



「だって、誰も知らないから」



この場所の居心地の良さも、本の匂いも、陽当たりや風通しが良いことも。
だから独り占めしているの。そう口にして笑う顔は普段の大人しそうな態度からは一変して無邪気で、つい伸ばしそうになった掌を軽く握り留めた。



「あ、でも今は二人占めかな」

「邪魔したか?」

「ううん。赤司くんはいいの」



まるで世界から切り離されたように穏やかな静寂に、並べられる安定した声音が耳朶を擽る。
彼女の答えにどこか、臓器の浮き上がるような感覚を覚えて顔を顰めそうになった。
まさか、表に出しはしないが。



「赤司くんになら、知られても大丈夫」



どういう意味だ。
なんて、訊ねるまでもない。深い意味はない、素直な感情からの発言だということは解っている。頭では理解している。
それなのに妙に疼き始める、この根幹が厄介だ。

大丈夫だと、足を踏み入れることを許されてしまうと。
どこまでも許されたくなる。



「これ、読んでしまったよ」



ふんわりとした微笑みを浮かべたままの彼女に、数日前に渡されていた原稿を渡せば、白い両手がその束を攫っていく。
触れるべきか迷いながら結局留まる辺り、自分も重症なのだと冷静に思った。

四十四頁、四行目。
数字だけ見れば不吉なその一行に並べられた文は、至ってシンプルな礼を述べた一文。
彼女が狙ってその部位に置いたことは、明白だった。



(余計だな)



問い質す必要はないだろう。確かにそれは、彼女から自分に宛てられたものだろうから。
理解して、受け止めるだけでいいのだと思う。無駄な言葉の応酬は要らない。お互いだけが知っていればいい、秘密のやり取りのようなものだ。

ただ、それに対して沸き上がった感情は、どう片を付けようか。
返された用紙をパラパラと捲り確認するみょうじは、小さく頷くと再び顔を上げてこちらを見上げてきた。



「なんだろうね」

「何かな」

「赤司くんは、不思議だね」



くすり、小さな息を溢す、微かに色付いた彼女の頬は触り心地が良さそうに見える。
不思議なのは、君の方だよ。そう紡ぐのは、まだ早い。



「私の、大事な世界があるんだけど…絶対に誰も入れられないと思ってたのに、居られても全然、おかしくないみたい」

「光栄なことだな。オレにとっても、居心地がいい」

「そう?…だったら、嬉しいなぁ」



彼女のたおやかな世界の中に居座らせてもらえる喜びに、気道が狭まるような思いをしても、このままでいたいと願ってしまう。
このまま、どこまでも彼女の深くまで。それこそその根幹にまで、触れて刻み付けてしまいたいと、目覚めそうになるそれにはまだ蓋をする。

ただ、向けられる純粋な敬意にも似た眼差しに、少しくらいは甘えても許されるだろうか。
例えば、僅かに開けた窓の隙間から吹き込む風に、乱れたその髪を梳き戻す程度の、ほんの小さな触れ合いなら。






煩悩に悩まされる、なう




落ちた水を糧に綺麗な花が咲いたなら、次にはこの手に収めたい。

20130420. 

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