席替えを、した。
奇しくも、私と彼の距離が空いてしまった最中になされたそれのおかげで、離れてしまうはずだった距離感は変わらず、結局はその位置がずれただけとなった。
それは、席に限った話。
という、わけでもなくて。
「おはよーなまえちん」
にこにこにこ。
今まで見てきた柔らかなふにゃりとしたものでなく、見るからに浮かれていますと言いたげな満面の笑みが、振り向いて見上げた先には待っていた。
すごい笑顔…まるで別人みたい。
朝一番にそんなものを見せつけられ、不意打ちに胸が苦しくなる。
けれど心の底から幸せそうな笑顔を向けられて、しかもその根本の感情も知っているから、嫌なわけは勿論なく。顔面に徐々に集まる熱も、やっぱり止めることもできない。
「お、はよう…紫原くん」
軽い朝練も終えて、教室に戻ろうかとしたところで掛けられた声に、羞恥心に耐えながらも挨拶を返せば、上機嫌にうん、と頷き返された。
今の私の対応が若干ぎこちなくても、彼は深く気にしない。それがどうしてなのかも、恐らく彼も解っているのだ。
もう、些細なことで不安になることはない。
それくらい、お互いの想いは定着している。
それはいい。それは私にしてみても嬉しく思うこと、だけれど…
(恥ずかしい…)
通りすがりの部員達が、こちらをちらちら見ながら去っていく。その表情は大概見世物を面白がっているようなもので。
紫原くんとは違い周囲の反応が気になってしまう私には、中々に羞恥心を掻き立てられる状況なのだ。
だからと言って、彼を拒むようなことができるわけもないのだけれど。
「もう教室戻るでしょー?」
「あ…うん、戻るよ。ホームルームに間に合わなくなっちゃうし」
「じゃあ、はい」
荷物を纏めて部室から出たところで、教室まではまだ距離がある。寄り道をしているような暇もないのでいつものように真っ直ぐ教室に向かおうと思えば、同じように荷物を片手に抱えた彼は当たり前のような動作で空いたもう一方の手を差し出してきた。
自然なやり取りなのに、ドキリとする。
触れ合えるのが当然という関係性に、まだまだ慣れられる気がしない。
その手をとる前にそっと彼の顔を見上げてみれば、疑う気持ちは一切ないように相好を崩していて。
ああ、私が嫌がらないって解ってるんだな…そう思うと、恥ずかしさも上回る喜びに胸が震えて、少し泣きそうな気持ちにもなった。
変な誤解をされたくないから、その気持ちは直ぐ様飲み込むけれど。
「うん…行こっか」
震えない指を、一回り以上大きな手にしっかりと絡めて頷く。
恥ずかしい、なんて縮こまるより、嬉しく思うことを伝えなくちゃ。
いつも身体中で精一杯伝えてくれる彼に、私だけが引いているわけにもいかないのだ。
指を絡めて、隣に並んで、足並みを揃えて寄り添って。
そうやって近くにいたいから、少しの勇気くらい私も出せる。
「…なまえちん、好き」
「っ、う、うん…?」
唐突な告白には、まだやっぱり吃驚してしまうことも多いけれど。
「今日も、大好きだよーなまえちん」
見上げた先で顔を真っ赤にして、それでも嬉しそうに笑っている彼を見たら、もう何だってよくなってしまう。
恋は人を馬鹿にする。けれど、その感覚に酔っている間は、幸せだとも思うから。
席に限った話でなく、私はこの人の隣にいたいな。
ずっとこうしていられたらいいなと、そう思うのだ。
となりのせきの、むらさきばらくん
とはいえ、ずっとこのままでいることが、叶うわけはないのだけれど。
(あの、紫原くん…授業始まるから…手、離してくれないかなー…なんて)
(んー…)
(先生来ちゃうから、ね?)
(…でも離したくないしー…このまま授業受けたらダメー?)
(っ……だ、駄目、です)
(あ、なまえちんちょっと揺れた?)
(それは…っううん、揺れてても…駄目です)
(はーい)
201300406.
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