※これから先きみを嫌いになんてならないけれど、もう一度愛することもないでしょう→青い春に恋をした、の締め括り。ほんの少しでも救済要素が嫌な方は読まずにいることをおすすめします。






突き付けられた終わりを、素直に受け入れられるだけの器は持っていなかった。
たとえそれが、全てを疎かにした自分への報いだとしても。






固く強張った手の中に携帯を握り締め、踵を返す。
縮かんだ心臓はいやに速く鼓動を刻み、肺まで押し潰されたような感覚に呼吸もしづらい。
それでもそれらを気にするような余裕も、今のオレには存在しなかった。



「んぁ? どこ行くんだよ真ちゃん」

「帰る」

「は? 帰るって…けどまだノルマのシュート数決めてな…って、お前何その顔色の悪さ!?」

「今はそれどころじゃないのだよ。追加分にして明日熟す」



体育館を出ようとしたところで掛けられたチームメイトの声に早口で答えながら、足を進める。
急がなければならない。間に合わない。ただでさえもう、途切れてしまっているのだ。



「じゃなくて、何があったんだっつーの! お前が中途半端に抜けるなんてよっぽどだろ」



構わず自主練を熟していればいいものの、何故か並んで追ってくるチームメイトに、説明する暇さえ惜しい。
だが、絡んできた高尾は騒がしい割に何かと察しがいい人間だった。



「…なまえに、会わなければならない」



たったそれだけの言葉に眉を跳ね上げ、まさか、と呟いたそいつは、既に事情を掴みかけているようだった。

把握できないこともないのだろう。
謙虚で気配りのできるなまえが、自主練であろうと時間を奪うようなことはするはずがない。それなのに唐突に彼女の名を出して抜ければ、ただ事ではないということも推測できる。



「緑間、お前…」

「解っているのだよ」



何を言われるかも、想像するに容易い。
自分が一番理解している。珍しいほど厳しい視線を向けてくる高尾に、何を言われなくとも。



「これ以上の後悔は、御免だ」



オレが、どれだけ愚かな人間だったか。
今更惨めに縋り付こうとすることが、どれほど卑怯な仕業であるかも。

解っていて、受け入れることだけは出来なかった。
既にエゴとなってしまった想いでも、伝えないまま腐らせてしまいたくはなかった。



(なまえ)



何処にいる。

掛けなおそうとした電話は、恐らく電源を切られてしまったのだろう。繋がらない。
更に気道の塞がる感覚に耐えながら、冷静になろうと首を振った。

頭を冷やして、考えなければいけない。
電話越しには確かに雨音が響いていた。なら、少なくとも家にはいないはずだ。
加えて、一年という周期。彼女の中に少しでも未練らしきものがあれば、場所は限られてくるかもしれない。

未練が、あれば。



(なければ?)



ざわりと、身体の中を蠢く感情の波に深く息を吐き出す。
そんなことは、今考えるようなことではない。

冷えきった指先は握り締めて、オレを嘲笑うかのように地を叩き続ける雨の中へ、足を踏み出した。



当たり前のように、彼女が好きだった。
気が付いた時には居座っていた感情は、変わらず胸の内にある。
自分以外の誰にも見つかってほしくない。慰められてほしくもない。
胸を疼かせる笑顔も、耳に心地好い声も…真綿のような言葉の一つ一つですら、誰にも譲れない。渡したくはなかった。

けれど、当たり前だからこそ忘れていたのだ。
恋人という関係に甘え、与えられた愛情に慣れきって、踏み躙った。彼女の気持ちの一欠片も、掬いとることすらしなかった。

考えれば考えるほど、なんて不甲斐ない話だろうか。
見上げた空は既に暗く、降り頻る雨の所為で濡れたレンズは視界を歪める。
磨り減る神経も、息苦しさも、感じたところで足は止められない。

これだけの行動力を、何故今の今まで言葉に変えられなかったのか。
馬鹿馬鹿しいにも程がある。そんなことは疾うに解っている。それでも、解っていても、望まずにはいられない。



「っ…いない、か」



唯一の心当たりは、呆気なく潰された。
一年前に彼女の気持ちを聞いた公園に人気はなく、間に合わなかった。その言葉だけが脳裏を過る。
だが、それも一瞬のことだった。



(まだだ)



たった一つ道を潰されたくらいで、諦めがつく程簡単ではない。
まだ、終わりを納得できない。たとえ受け入れられなくとも、彼女に吐露するまでは。

重くなる足に鞭を打ち、再び踵を返した。
水に濡れるレンズを拭いながら、諦めの悪い自分に呆れも差す。
そのまま、どれだけの距離を走った頃だろうか。不意に視界の隅を過った見覚えのある色に、息を飲んで加速した。



「なまえ…っ」



水色の生地に小花柄が散る傘は、彼女の気に入りのものだった。
伸ばした手はびくりと跳ねて振り向いた、柄を握るその手の手首に辿り着く。

傾いた傘の下から、呆然と見上げる瞳は赤く充血して痛々しい。
そうさせたのは明らかに、オレだった。



「し…ん、たろ…っ?」

「なまえ…」



荒く乱れた息を整えながら、紡がれた名前に応える。
見つけられた安堵と、泣かせてしまった罪悪感で目眩すら起こしそうになる。

本当に、何をしているのだろうか。
こんな顔をさせることしかできなかった、などと。



「な、何でっ……真太郎、傘も差さないで、風邪引くよ…」

「そんなことはどうでもいい。それよりなまえ、」

「どうでもよくない」

「なまえ、話がしたいのだよ」



確かに一度オレを映した瞳は、すぐに俯けて逸らされる。
ぎしぎしと軋み痛む胸は無視して、自分でもみっともないと思う懇願を口にした。

彼女は、顔を上げない。



「何もないよ、話すことなんて」



刺し貫かれる心臓が、悲鳴を上げる声が聞こえそうだった。
息苦しさは頂点を極めて、何もかもが崩れ落ちそうになる。

だが、それでも。まだ、振り切れない。



「オレには、ある」

「っ…」

「別れたい、理由を…聞かせてくれ。せめて」



詰ってほしい。
不満を全て、ぶつけてほしい。
このまま終えるのであっても、彼女だけが苦しんできた時間を、自分が味わわないようなことは、許せない。

なのに、オレの懇願に返された反応は、小さく左右に首を振る動作だった。



「何も、真太郎は悪くない…私が我儘で、駄目なだけなの…」



声も、握ったままの手首も震える。
そんな返答が聞きたいわけではなかった。



「違う」

「違わないよ…私は真太郎を駄目にしちゃうから。真太郎には、もっと素敵な人が似合うから…」

「違うだろう。それは」



的確に胸を抉る言葉達に、決してオレを見ようとはしないなまえに、込み上げる感情が身体中を巡る。

一体、何を言っているのか。



(素敵な人?)



今、胸を埋め尽くす人間が目の前に存在するのに、どうしてそんなものを宛がわれなければいけない。
そんなもの、誰も求めていない。何より求めているその口からは、聞きたくない台詞だった。

だが、ここまで伝わっていなかったのだ。
思い知らされた事実に苦しくなる。切り裂かれていない部分が見つからないくらい、胸の内は傷を負わされた。

それもこれも全て、オレが招いた災厄でも。



「冗談じゃない」



無意識に、低くなった声に掴んだままの手首が震動した。



「そんなもの、誰も望んでないのだよ」



駄目にした、などと口にされる意味が解らなかった。
オレが被った害なんて、一つもなかったはずだ。

今だって、目を腫らして傷付いているのは彼女の方だ。
オレは何一つ、傷を負っていない。あるとすればそれは自業自得のものでしかない。



「お前の何が悪かった。お前がいつ、オレを駄目にした? 逆だろう」

「し、ん…」

「オレが至らないから、お前が今そんな顔をしている。そうだろう…!」



傷付けたのも駄目にしたのも、オレだった。

なまえの優しさに甘え、大切なことを忘れて見失った。
剰え、彼女の定めた最後さえ踏み躙ろうとしている。

これ以上の最低な行為を、彼女がいつ行ったというのか。



「頼むから…振るなら振るで、どうしようもない理由くらい押し付けてくれ。それが無理ならオレは…引くことなど、できないのだよ」



いっその事、嫌われた方がまだ良かった。
彼女に罪悪感を押し付け、誤った感情を抱かせるくらいなら。こんな泣かせ方をするくらいなら、罵られた方が随分と楽だろう。

嫌われたとなれば、まだ諦めはついた。
彼女の気持ちが離れたのならば、それは諦めなければいけないと思えた。

けれど、これは駄目だ。どうしたって納得できない。
こんな時にも、なまえは一瞬でもオレを責めようとはしない。
それでは、いけない。



「オレに飽きたか。いい加減、嫌気が差したか」

「ちがっ…そんな、真太郎が悪いんじゃ、」

「悪くないわけがない。だが、それでもオレは…」



反射的に上がった、漸く今一度向けられた顔は、傘を指しているにも関わらず濡れていた。
オレを見上げる彼女の瞳はゆらゆらと揺れて、縁に溜まった涙がまた一滴、頬に落ちる。

握り潰される心臓が、再び叫びを上げた。
そんな顔を、させたかったわけじゃない。



「すまない。オレは、なまえが…好きだ」



ずっと口にするのを躊躇い続け、こんなタイミングでしか切り出せない。自分に心底嫌気が差しても、吐露せずにはいられなかった。
このまま終わってしまうとしても、最早手遅れだとしても。
身勝手で振り回して傷付けたオレの、これが最後の我儘になるのだろう。
息を飲み、瞠目して声をなくすなまえに、初めて正面から向かい合った。

どうか、聞いてほしい。
聞くだけ聞いて捨てられるなら、それならばどれだけ引き裂かれるように心が痛んでも、受け入れよう。



「お前が思うより長く…好きなのだよ」



ずっと、好きだった。それこそ彼女より長く深く、気持ちを抱いている自信だってあった。
今でも、逃がしてやれないほどに。傷付け、傷付けられても愛しさは消せない。簡単に手放してやれない。

けれど彼女は、こんな言葉を今更待ってはいなかっただろう。
ひくり、引き攣るように喉を鳴らして、震える彼女はぎこちなく首を横に振る。

胸は痛んだ。頭も重い。
それでもはっきりとした拒絶を口にされないことには、振り切れない。
掴んだ手首も振り払われない。たったそれだけのことにも、今は縋ることを厭えなかった。



「なまえ」

「っ…」

「お前がオレを許せないと言うなら、腹を据えるしかない。尽くしきれなかった人事は必ず尽くす」



最後の最後で、彼女の優しさを逆手にとる。卑怯さを自覚して反吐が出る。
それでも、これ以上気持ちは偽れなかった。

これが、最後だ。後はない。



「本気で拒まれない以上…オレは何をしても、諦めきれないのだよ」



好きだ。もう一度なまえに好かれたい。
その為の努力なら、惜しまない。

だから、あと一度だけで構わない。
あと一度だけ、この手に命運を握らせてほしかった。







絡まって、解けて、繋がる運命




言葉にならない声を上げて泣き崩れる彼女は、今まで思っていた彼女よりも弱々しく。
地を打つ雨の中、その手から滑り落ちた傘が、地面に落ちた音を聞いた。

20130402. 

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