「え? 暗室ですか?」



唐突な申し出に素直に驚く私に、いつも通り曇りのない笑顔でお願い事をしてきた高尾くんが頷き返してくる。



「出来上がったものは見てるけど、作業とかもちょっと興味出てきてさー。やっぱ部外者が入るとまずい感じ?」

「そこは特に問題はないと…でも、ただ作業してるだけですよ?」

「それ言ったらオレもただ走り回ってるだけじゃん」

「高尾くんの練習風景はただでは済まされない魅力が…!」



ある、のに。
びっ、と立てられた人差し指を目の前に持ってこられると、口を噤んでしまう。

く、悔しい…けどそんなポーズも似合います高尾くん…!



「オレも彼女の部活姿が見たいの!」

「うっ…」



む、とわざとらしく拗ねた顔をされると、きゅんとしてしまうから困る。
付き合い始めてからというもの、優しくて格好よくて素敵だった高尾くんは、可愛らしさまで身に付けてしまって私の心臓を破壊しに来るものだから。
疼く右手を抑えるのに、今日も私は必死だ。

だって今の表情、すごくカメラに収めたかった…!



「…なまえちゃんホント顔に出るなー。でも今カメラは出しちゃダメだから」

「っ!…あ…あざとい高尾くんの一面が狡いんです…!」

「それ言ったらなまえのベタボレ加減も狡いんですー」



諦めさせるようにぐしゃぐしゃと頭を撫でてくる高尾くんの顔は楽しげに笑っていて、撮影できないのは惜しいけれどこれはこれで、幸せな気持ちになるのは事実。

でも、一つ一つの素敵な瞬間を留めておきたい気持ちは、簡単には消えてくれない。
それくらい、高尾くんは素敵な人だ。



「で? 見に行っていーの?」

「あ、はい。高尾くんが楽しいかは分かりませんけど…」

「よっし! 楽しみにしてんね!」



ああ、なんて明るい笑顔…。

写真部の作業なんて地味で面倒なものを、楽しんでもらえるのかは不安だけれど。
本当に嬉しそうに笑ってくれる高尾くんにつられて、なんだか私までドキドキしてくるから、やっぱり彼はすごい人なのだ。







 *



部活動見学は、バスケ部の練習が休みの日に行われることになった。
自主練の方はいいのかと気になって訊ねたところ、尽くせない人事は後日尽くすらしい。緑間くんの真似が物凄く上手いのは、本当に仲が良いからなんだろうなぁ、とほっこりした。



「おー、白衣だ」

「はい。一応高尾くんも着てくださいね」



自分の白衣を制服の上から着て、部にある予備のものを高尾くんにも差し出す。
薬品が跳ねたら大変なことになるので、身支度はしっかり整える。

秀徳写真部の暗室は理科室のシステムを応用したブース式だ。
中央に全体が使える大きな水道場が設けてあり、一枚板で仕切られたブースに引伸機が置かれている。
機材の量はそれほど多くはないけれど、基本的に作業時間は自由な部活であり、デジタルを扱う人間も少なくないので充分に事足りていた。



「うっわ、暗っ!」

「あ、今日は誰もいないみたいですね」

「この中で作業すんの? 視界利く?」

「あ、セーフティ…赤い色のランプは点けてもいいんですよ。ネガの現像が終わってる場合は赤い色なら印画紙にも影響はなくて」

「あー、何かそういや見たことあるかも…」

「じゃあ、とりあえず薬液を用意しますね」

「おー」



まだ作業前なので白熱灯に切り替え、バットに薬液を用意する。
その間手伝おうか?、と言ってくれた高尾くんには、現像液のみお願いした。
さすがに、酢酸を入れる停止液を扱わせるのは気が引けた。定着液、水まで準備すれば、あとはライトを切り替えてブースの作業に移るだけだ。

暗い中では表情はよく見えないものの、近くに佇む高尾くんからは至極楽しげな雰囲気が伝わってくる。
私にしてみれば慣れた作業も、彼にとっては初体験。となれば、やっぱり興奮もするのかもしれない。

初々しい高尾くん…撮りたい。
でも暗室の中でフラッシュをたくなんて言語道断。現実は大変厳しいです…。



「何の写真作んの?」

「高尾くんです」

「ぶっふ! ブレねぇ…っ」

「えっ! だ、駄目でしたか!? 高尾くんの本焼きを仕上げようと思って、ネガもちゃんと厳選してきたんですけど…」

「いや…っいーけど…」



ホントにオレ好きね、と収まらない笑いの中から掛けられた言葉に、当たり前のことなので頷くしかない。
被写体としても人間としても、高尾くんのことは本当に好きだ。



「って、わ!」

「やーもう、オレの彼女可愛いー」

「ちょ、ちょっと高尾くん、作業! 作業できません!」



ネガキャリアにネガをはめ込み、首の高さを固定していると、不意にぎゅう、と腰に腕を回されて焦る。

近い距離に照れるのもあるけれど、まずここは作業場なわけで。
いつ部員が入ってくるかも分からない場所で、いくら恋人同士とはいえくっついているのは抵抗感がある。



「別にこのままでも作業できると思うけどなー」

「っひ、みみ、耳元で喋らないでくださいぃっ…」

「んー? じゃ、このまま頑張って」

「えええ!?」



やたらと色っぽい声は、絶対にわざとだ。
ぞわあ、と背筋に走った感覚に泣きそうになりながら縋るように首だけ振り向けば、薄暗い中でも悪戯な笑みを浮かべた彼と目が合って。

何その顔イケメン…と、ときめいてしまった私に勝ち目はなかった。
高尾くんのお願い事を拒めた試しなんてありませんが…!



「う、こ、こんな、卑怯です…」

「言いながらいうこと聞いちゃうなまえがオレは可愛いくてたまんない」

「私が高尾くんに弱いのは、もはや世の理ですよ…っ」



ああ、もう、ドキドキする…。

半分ふざけているのに、作業はちゃんと見学するつもりらしい彼の顎が肩に乗って、ついピントを合わせる手が震えそうになった。



「えっと、ピントは合ったから、一旦光は切って…印画紙をイーゼルに挟みます」

「ふんふん」

「それから、これはもう絞りも秒数も先に試してあるので…四秒半、だったはず。さっきと同じように露光して…」

「できたら液に入れるの?」

「ですね」



慣れてしまえば単純作業。だけれど、好きな人とここまで密着していると慣れたものもとちりそうになるから怖い。
他でもない高尾くんの写真を焼くのに集中できないなんて。



「なまえ」

「はい…っ!?」



こんなんじゃ駄目だ、と思っている最中に名前を呼ばれて、振り向けばにやりと細まった瞳が、至近距離で笑う。

それには、戸惑う間もなかった。



「ごち」



空ぶった手は、彼の手の下敷きに。
ふに、と柔らかいものが触れた感触が唇に残っていて、呆然と固まった私を他所に、上機嫌な彼は印画紙を引き抜くとさっさとブースから離れていってしまった。







ピントを合わせたその先に




(は、へ…え? たっ……高尾くんんん…!?)
(やー、可愛くてつい…って、あ。やべ)
(えっ!?)
(手ぇついちゃってたみたい。指の跡浮き出てきた)
(っ!?……た、高尾くんの写真になんてことを!!)
(まぁでもいっか、これも記念ってことで)
(な、何の記念ですか…っ!)

20130316. 

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