氷室が遊び人のような描写あり






最初の頃は、私と彼との間に特別らしい関係はなかった。よくて友人、ギリギリたまに喋るクラスメイトくらいの認識だったろうか。
見目麗しく誰にでも平等に優しさを振り撒く氷室辰也という男は、その身体や愛までも均等に切り売りできてしまうほど器用な人間だった。
至るところで女子との噂が上がるのに、どんな手管を使っているのか、恨み言を吐かれるところなどは全く見ない。人の間を上手に歩き回り、見た目だけは汚れの無さそうな爽やかな笑みを浮かべて更なる好意を集めていく。
なんて兵だと、端から眺めるに徹していた私も舌を巻いた。不誠実さに嫌悪を抱くより先に感心してしまったのが、後に私の敗因になるのだが…そんなことは、今はどうでもいいことで。

その頃、まだただの友人という立ち位置にいた氷室に、何気なく訊ねてみたことがあった。



「氷室はさ、好きな人いるの?」



どうしてそんな話に行き着いたのかまでは、よく覚えていない。
けれど、放課後、部活前という時間に教室に二人取り残されていた時に、私は氷室に真っ直ぐ疑問を投げ掛けたのだ。

好きな人がいるから、自分に好意を持つ女子を代替にでもしているのか。もしくは男子の事情というやつで、都合がいいから欲望の捌け口にしているだけなのか。
相手に困らない容姿だとは納得できても、普段は穏やかな氷室という男と激しい女遊びを楽しむような気質は、どうにもミスマッチで気にかかった。
しかも、彼は何より部活動に重きを置くような人間でもあったのだ。できる限り問題行動は慎みそうなものなのに、自分から地雷地区を歩き回るような真似をする男が何をしたいのか、私にはどうしてもよく解らなかった。
やることをやっていることだけは、学校側に知れてはいないとはいえ、既に生徒間では特に隠されもしない確かな事実だったのだ。

氷室に抱かれて喜ぶ女子、羨む女子、嵌まりこむ女子、憧れる女子……と、様々な反応を周囲に見てきたが、一体事を起こしている張本人はどんな気持ちでいるのだろう。
その疑問を直接ぶつけた私に、氷室は目を丸くして暫くの間黙ってしまった。

それから、たっぷり何秒も間を置いたかと思うと、笑っているのか困っているのか判別のつかない表情で溢したのだ。



「オレは誰も好きにならないよ」



その後、少しだけ笑顔を取り繕って、ごめんね、と謝罪された。
結局、多数の女子に手を出す理由どころか、その謝罪の意味も私にははっきり知らされず、理解することも叶わなかったのだけれど。

だから、だろうか。
眉を下げていたその時の彼の笑みが、やけに心に残り続けているのは。






それから、彼との交流を断つことはなかった。寧ろただのクラスメイトから親い友人という立ち位置にすら届いていたように思う。
けれど、その位置も少しずつ、とって変えられていった。近くで見ていれば見ているほど、疑問やそれが解消されない不満が、一緒くたにされて流されていく感覚を味わわされた。

泡も汚れも、混じって排水溝を通り抜けてしまえば同じだ。ましてや最初から同じ形をした生き物なんて、近くにいれば同じ場所に行き着くのは容易いこと。
素晴らしい手練手管だったと思う。ただの友人という立場を悪くは思っていなかったはずの私まで、平等に切って渡される彼の愛とやらを味わう彼女らと同じ、お相手に成り下がってしまった。

すっかり同じ穴の狢なんて、笑えないにも程がある。
しかし、遅かれ早かれ氷室の傍にいる女という生き物は、大半がそうなる運命にあるのかもしれない。
柔らかく、深く、自分の知らない場所まで暴いて触れられながら馬鹿になって、悟りを開いたような気にすらなった。
私は、その頃にはもう、そのどうしようもなく罪作りな男を特別、慕ってしまっていたけれど。

最初から身体を投げ出していたら、気付かずのめり込んで幸せになれたかもしれない。
少しずつ知っていった氷室辰也という男と、そのまま友人関係を繋げていければ、それがベストの形だったとも解っている。
だから、一度でも欲しいと思ってしまった時点で終わりだったのだ。
誘われたのか誘ったのか、それすら今では曖昧なもの。後戻りできなくなると分かっていたはずなのに、大事に溜めてきた水の置かれていた盆をいつか、私はこの手で引っくり返してしまった。
一時の心地好さ、満たされる独占欲に酔ってしまった。

私はきっと、氷室にとってのライナスの毛布に、なりたかったはずだったのに。









「ねぇ」



気怠い空気の中には、金に換算すれば安く済みそうな甘ったるい余韻が残っている。
労るように縺れた髪を撫で梳いてくれている手を受け入れながら、疲れた喉を震わせる。向き合う男は心から慈しむような顔をしていながら、実際はその場限りの優しさを与えているだけなのだろう。

本当に、罪作りな男だ。
その本性が見えているから、素直に耳を傾けてくれる氷室に、自分から擦り寄ることだけは私にはできなかった。



「前に、氷室は…誰も好きにならない、って、言ってたよね」

「…ああ、そんなこと言ったかな」



艶のある黒髪はシーツに落ちている。普段は隠れている目まで、揃うと余計にその綺麗な造形が際立った。
惚けることもなく私の言葉に頷いた相手に、無意識に溜まっていた唾を飲み込む。
呼吸が乱れないよう、爪の先や髪の一本一本にまで神経を張り巡らせる気持ちで、私はそのまま問い掛けた。
答えを聞くのに、私が一番躊躇うそれを、最後に残った僅かな勇気で、投げた。



「それって、今も…?」



どくり、どくり。血の巡る音が耳のすぐ近くで聞こえる。
それだけ緊張していた。答えを聞くのが、怖かった。
二つの意味で。



「そうだな」



またしても返ってきた素直な肯定に、ずくり、と胸を抉られるような感覚が走る。
氷室が私を好きになることはない。事実を突き付けられて、けれど、少し安心もした。
そこで終わっていれば。それなら、まだよかった。ほっと安堵の息を吐こうとした私に、それなのに。

氷室は、その口を休めてはくれなかった。



「なまえ以外、好きにならないよ」



今度こそ、心臓に杭を打たれた気分だった。
彼は笑顔を崩さなかったから、ひくりと引き攣った私の喉には、気付かなかったのだろう。

俯いてシーツに埋もれながら、見開いた目がじわじわと熱を持っていく。
込み上げる絶望感で、このまま消えてしまえればいいとさえ思った。



「……そう」



どんな答えが返ってきても、私は納得できなかったのかもしれないけれど。それでも、そんな言葉が聞きたいわけじゃなかった。

それは一体、私以外にはどれだけの女に、囁かれた嘘なのだろう。
やっぱり訊かなければよかった。失敗ばかりの関係で、更に失敗を積み上げてしまったことに後悔しても、今更過ぎてやり直しも利かない。
その指が届かない場所まで逃げてみても、同じベッドの中。距離を詰めるのは簡単だろうと分かっているから、息が詰まる。

私は私一人分で、氷室のように上手く、気持ちを小さく切って渡したりすることはできない。
全て渡してしまっても、返ってくるのが切れ端だけでは、満たされもしないのだ。
きついなぁ、と声に出さなかった呟きは、小さな暗闇の中で消えてしまって、誰にも彼にも届かなかった。

ああ、胸が、痛苦しい。






美味なる戯言




今の私には、好きにならないとは言ってくれない。
あの時のあなたが一番、本当のあなただったことを、私は知っているというのにね。





お世話になっている真白さんへ…誕生日のプレゼントになります!
ノッフォーセール(NOT for SALE)な氷室をリクエストされたので精一杯真白さん向けのハッピーな氷室を試行錯誤しましたが…これが私の限界です! 愛を切り売りする氷室とか難しすぎますって言ったしね…!
こんなお話になってしまいましたがお納めください(´・ω・`)
お誕生日おめでとうございましたー!

20141112. 


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