畳の上に広げられた白紙に、すらすらと走らされるペン先が黒いインクの跡を残す。
楽しげに鼻歌でも歌いながら手を動かしていた小梅は、紙面に目的のものを書き上げると同時に前屈みだった体勢を起こした。
そして満足げに一つ頷いたかと思うと、何も訊ねず黙って自分の行動を観察していた男へと向き直る。



「はい、セイ。問題よ」



“◯◎◯◎◯?□□□□”
明確な文字は一つもなく、不規則に並んだ記号。突き出された紙に並ぶその形に男は一瞬だけ目を丸くして、すぐに口角を上げた。



「成る程。面白いな」



新しい趣向だ、と本心から笑みを漏らす男に、寸前まで自信満々でいた小梅は衝撃に肩を揺らした。



「もう解ったの!?」

「ああ。だが、目の付け所は中々だ」

「ひどい…セイ、一瞬しか悩んでないのにそういうこと言う…!」

「一瞬でも、このオレを悩ませる問を出せたところは誇っていいと思うが」

「それじゃ足りないのーっ!」



今度こそは唸らせてやろうと意気込んでいたのに、いとも簡単に勢いを削がれた小梅は頬を膨らませる。
悔しい、という感情を分かりやすく表に出す彼女に、渡された紙を再び畳に置いた男は愉快げにくつくつと喉を鳴らした。



「ここに入るのは、丸。だろう?」



鋭く伸びた爪先が、紙面を滑るとクエスチョンマークを叩いて示した。
確信を持って告げられる答えは当然ながら正しく、ぐっと息を詰まらせた小梅は笑みを崩さない男を睨む。



「むー……正解!」



とっておきの問題を容易に解決された八つ当たりに、飛び付く小梅を受け止める身体は見計らっていたのかぐらつきもしない。

苛立ちを発散するように胸を叩いてくる小梅を叱ることもせず、未だ小さな背中を撫でる手は鋭い爪を仕舞って宥めるように上下に行き来した。
ついでに姿を現した赤毛の尾が機嫌を取るように頬を擽ってくるものだから、幼い不満は大きな溜息と共に吐き出される。
セイが小梅に甘いだけ、小梅もセイを本気で疎めはしないのだ。



「はー…また負けたぁ…」

「残るは十二か」

「…それ、やっぱり最後までやるの?」



頬をなぞる尾の先を捕まえて、もふりとした感触を手で味わいながら小梅は身体を傾ける。
ぶつかってもよろけないような存在が支えてくれないわけもなく、片膝に座るようにして寄り掛かる小梅を抱き止めながら男は首を捻った。



「随分と今更な質問だな。どうした?」



飽きでもしたのか、と覗き込む瞳を見返さず、小梅はその胸に擦り付くように首を振る。

飽きたわけではない。楽しくないわけでもない。
けれど、知恵比べを続ける意味や価値が、年数を重ねた今でも小梅には解らないままだった。



「だって、私は物知ずだし。いつもいつもセイは私の問題簡単に解いちゃうし…つまんなくないの?」



出逢った頃からここまで続いたやり取りは、いつも小梅ばかり頭を捻らせている。
何年経ってもセイの悩むような問題を用意できない悔しさに、ちょっとした不安だって覚えるものだ。

自分が楽しくても、セイは違うかもしれない。
そんな一方的な関係は気に入らなくて、彼にとっての楽しみを小梅は追求し続けているのだが。
それでも、人生経験など積んでいる内にも入らないような子供が叶える事情にしては難易度が高過ぎた。残る数も少なくなってくると、最初にあった自信も萎み始める。

このまま最後まで、セイを驚かすことはできずに終わるのではないか。
想像するに容易い未来に癪な気持ちと悲しい気持ちを抱いて落ち込んでいると、そんな小梅を見つめていた男はふっと眦を弛めた。



「つまらないことがあるものか」



共に過ごしてきた今までから、少しも変わらない態度で俯いたままの小梅の髪を梳く指先は穏やかで、真心を伝えてくる。
それは顔をくっつけた衣冠の先、とくとくと刻まれる命の音と一緒になって、小梅の不安を優しく振り払ってくれた。



「小梅と過ごして、楽しくなかった時はない」

「…本当?」

「疑うのか? 小梅を悲しませるような嘘を吐いた覚えはないんだが」

「これからも?」

「変わらないよ。小梅が小梅である限り、変わらない」



誰よりも、人よりも、愛情というものに触れさせてくれる神様をゆっくりと仰いだ小梅は、神秘的に光る双眸を見つめる。
からかい遊ぶために人を騙すことはあっても、セイは小梅を傷付けることだけは一度もしなかった。いつだって、小梅には優しかった。

今この瞬間も、疑う方が馬鹿らしくなるほど真摯な眼差しを向けられている。
万が一にもし騙されていたとしても、きっと小梅は彼を恨むことができないだろう。悲しくて苦しくて仕方がなくなっても、成す術もなく消えていくことしかできないような気がした。

でも、だからこそ、セイは小梅を消したりしない。消えるような目には遭わせない。
消えても構わないと容易に切り捨てられるほど、彼自身がぞんざいに扱っていないことは、小梅にだってとうに解っていたことだった。



「セイの瞳は、綺麗」

「また唐突だな」



腕の中から伸ばした手は、見下ろしてくる瞳に辿り着く前、頬にぺたりとくっつけられる。
これにも文句の一つも溢さず、好きにさせる男は仕方ないなと言いたげな苦笑を落とした。

異界の屋敷に風は吹かない。時間も変わらなければ、季節もない。現実世界とは程遠い静けさを保ちながら、ただそこに在り続けている。
目蓋に染み付くほど見慣れてしまった橙に染まった空と朱い鳥井を、小梅は思い出しながら目を細めた。



「赤い色は命の色で、橙は沈む前に強く光る夕陽の色…」



この世界は、場所は、セイにとても似合っている。

綺麗なものへの憧れと、そして小さく胸を締め付けてくる感覚は、焦りだろうか。
その感覚に囚われてしまう前に、僅かな間動きを止めた男を小梅は気にした。



「…セイ? どうかしたの?」

「いや…」



ふと、屋敷の外へ繋がる縁側へと視線をやった男が、再び小梅を見つめ下ろす。
遠くと近くを、行き来するように瞳孔が蠢いた。



「昔、似たようなことを言われたことを思い出しただけだよ」

「…誰に?」

「さあ…誰だったろうな」



さて、次の問でも与えようか。

一瞬で切り替わる空気に、小梅の表情が不満に染まる。それを宥めるように、若しくは誤魔化すように落ちてくる唇が額をなぞっていくと、小梅にはそれ以上の詮索ができなくなる。



「…セイは、ずるい」



苦し紛れに悪態を吐いてみても、笑って流されるだけだ。



「狐は狡い生き物だからな」



仄かに色を変える柔らかな頬を、楽しげに突いてくる長い指。
噛みついてやろうかという考えが芽生えても、行動に移せない小梅はむっと唇を尖らせ続けることしかできなかった。







ゆうぐれとりいといのちいろ




「目は四、鼻は九、口は三…そうなると耳は、何になる?」



歌うように滑らかに紡がれる言葉を、一度では噛み砕ききれない小梅は眉を顰めた。



「また難しい!」

「簡単な問なんてつまらないだろう」

「私ばっかり悩ませて、セイは意地が悪いよ」

「狐だからな」

「いっつもそれだよ!」



神様なのに優しくない、と頬を膨らませれば、神は優しくない生き物だと返される。
そんなはずはないと考えても、小梅はそれ以上追求はせずに出された問に集中した。



「そろそろあちらは宵の口だ、小梅」

「…まだ帰らない」

「あまり長居するとよくないぞ」



頭を働かそうとして顔まで顰めている小梅を眺め、揺れる尾が穏やかに畳を叩く。
視界に入ったその一つにころりと転がり手を伸ばす小梅は、持ち主を振り向くことなく抱き締めて、目を閉じた。



「私とセイがよくないわけじゃないから、いいの」



誰も、心配なんてしていないから。

体裁を気にした罵倒は、愛がないだけ痛くない。罪悪感も湧き上がらない。
小梅とセイがよくない目に遭うわけではないから、構わない。



「無闇なことを言ってはいけない」



その答えを聞いた男の顔を、小梅にはもう、振り向く必要もなかった。

無闇でも何でもなく、それが事実で真実なのだから。

20140108.

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