何時ぞやの夕刻が、再来したかのようだった。

セイ、セイ、と鳴き声のように泣き続ける幼子を、連なる鳥居の外で待機していた二色の瞳が捉える。
彼女の肩に、普段は離れずに纏わり付いている分身の影はない。目元を擦りながらふらふらと歩みを進めてくる小梅に、珍しく境界を越えた男は焦りを露にしながら駆け寄った。



「小梅、どうした。守りが切れたが、何があったんだ?」

「セイ…っ!」

「ああ、あまり目を擦っては駄目だ」



怪我をしている様子がないことを目で確認しつつ、しがみついてくる小梅を受け止め、赤く熱を持つ目蓋をなぞる指先。
いつものように慰めてもひくりひくりとしゃくりあげる喉は収まらず、男は僅かな困惑を隠しきれなかった。



「小梅…探ることも出来るが、自分の口で話してはくれないか?」



十を越えて僅かの年端の子供と目線を合わせるには、膝を折る他ない。
神の威厳も体裁も切り捨て即座に行動に移せるのは、相手が他ならない小梅だからだ。

下から覗き込んでくる赤と橙の瞳を、真っ赤に充血した小梅の目が見下ろす。
怯えと安堵が綯い交ぜになった顔は、今まで男が見てきた泣き顔のどれよりも、ぐしゃりと歪んでいた。



「あ、のね、女の人の身体になっちゃったんだって…でも、そしたら、鳥居はくぐっちゃいけないんでしょうっ?」



だから、ちびセイも消えちゃったの?
急に、消えちゃったの?

耐えきれないといった様子で再び大粒の涙を流し始めた小梅に、対する男は丸めた目を瞬かせる。
それから一秒間程の間を置いて、得心がいったのか頷いた。



「ああ……成る程、人の子の成長は速いな。もうそんな歳か」

「歳とか言ってる場合じゃないぃ…っ」



私、もうセイに会えないの? 女の人は汚れてるの? 汚れていたら神社には近付けないの?

だったら大人になんかなりたくないと泣き喚く見た目はまだ幼い小梅に、漸く安堵の吐息を漏らした男は首を振る。
拒まれることに怯えるように空いていた隙間を、小さな手を引いて埋めては震える背中をあやすように叩いた。



「落ち着け小梅。会えないわけがないだろう。現に今お前の目の前にいるのは誰だ?」

「っ……セイ」

「そうだ。鳥居を潜ったって構いはしないよ。屋敷のある場所は境内であって境内ではない。よしんば表の境内が穢れたとしても、次元も違えばオレ自身には特に関わりもない」



元はただの野狐、今更穢れも何もあるものか。

下らないとでも言うように、男は肩を竦めて笑う。
背中から上がってきた手にくしゃりと黒髪を乱され、ほんの少し落ち着きを取り戻した小梅は未だ潤んだ瞳で彼を見つめ返した。



「でも、境内は? けがれるの…?」

「昔からの風習ではある。古人は血を汚れとして忌んでいたからな…月のものの最中はさすがに本殿には入らない方がいいだろうが、小梅には関係ないな」



神職でもないのだから気にする必要はないと、慰められた小梅は救われた。
今にも張り裂けて元に戻らなくなりそうだった胸の痛みが消えていくにつれて、今度はどっと押し寄せる安心感に彼女の涙腺が壊される。
それを目にした男は焦ることなく、仕方なさげな顔付きで苦笑した。



「涙が枯れてしまうぞ」

「っ、だ、って、セイがぁっ…」

「ああ、不安になったんだな」

「も、一緒にいられないの、かって…っ」

「大丈夫だ。ここにいる」



人の傍に拠り所を持たない小梅にとってみれば、それはとてつもない絶望だった。
一つきりの確かな愛情を、突然取り上げられたような気持ちだった。
セイがいなければ、小梅はこうして泣き喚くことすらできない。
幼い心はとっくの昔に砕けてしまっていても、おかしくはなかった。



「人の目で、具体的に考えてみるといい。貧血状態で、冷たくなりつつある風に身を冷やし、長い石段を登るなんて…考えるまでもなく負担がかかるだろう。鳥居を潜る以前に、休めるだけ家でゆっくり休んだ方がいいという話だよ」



ぐすぐすと泣き続ける小梅の頭を肩の上に引き寄せて、ただその心を癒し守る言葉を柔らかな声が紡ぐ。
触れた部分からじわりと伝わりだす熱に、擦りつく小梅の手はしっかりと白い衣冠の肩口を握った。



「………ゆっくり休むの…家より、セイの傍がいい」

「なら屋敷に入るといい」

「でも鳥居…」



潜らないと、屋敷の敷地に踏み入れない。

やはり仕来たりとなると気になってしまい、しょぼくれる声が小梅から漏れる。
それに対してふむ、と一度頷いて、男は小さな身体を引き上げた。



「気になるなら、散歩にでも行くか。こうして」



きゃ、と短く鳴いた小梅は、背中と膝に回された腕をすぐに認識して慌て出した。
所謂お姫様だっこというものを、味わったことがないわけでもなかったけれど。



「だ、駄目っ」

「うん?」

「あ、れ…だって……汚れちゃう…かも…」

「穢れない」



上等な白の衣冠を見下ろし眉を下げる小梅に、馬鹿を言うな、と男は笑う。



「小梅は綺麗だよ」



綺麗な神様に、そう言われてしまえば反論できない。
そういうことじゃないのに、という呟きを飲み込んで唇を尖らせる小梅に、向けられる笑みは変わらない愛情を含んでいた。







いとけなさいとし




「ところで…どうしてちびセイは消えちゃったの?」


屋敷も離れて、どうしてか人気のなくなった見慣れた道を歩き進む男の腕の中、黙って抱えられるがままになった小梅は訊ねる。
身体の変化に衝撃を受けて、慌てて保健室に駆け込んだ。その後すぐに小さな狐が見当たらないことに気付いて、気が気じゃなかったことを思い出すとその時感じた恐怖まで蘇って、小梅は振り払うようにセイの胸に頭を押し付ける。
咎めることなくああ、と頷いた彼は、何を誤魔化す様子もなく答えを述べる。



「あれは子供を庇護するお守りだからな。小梅が女になったのなら条件が変わって切れもする」

「女……」

「どうした?」



ぽつりとした呟きを拾って、覗き込んでくる男の目から逃れるよう、小梅は僅かに身を捩る。



「なんか…それ……恥ずかしい…」



もじ、と視線を合わせない小梅に一瞬目を瞠った男は、すぐにまた相好を崩すと抱え込む腕に力を込めた。

20131227.

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