いつもいつでも小梅に優しい神様は、悪戯好きで意地の悪い面も併せ持っている。

年齢に合わせた軽い問題が並ぶ用紙を覗き込んでいた小さな狐が、机の隅から紙の上へ移動してくると一つの問題の上で足を止める。
一つきりだった獣の尾が一気に四つに増えたのを視界に捉えた小梅は、むう、と頬を膨らませながら鉛筆の代わりに消しゴムを手に取った。

書き込んでいた答えを綺麗に消して、もう一度計算する。答えの欄に六の字を書き直せば、いいのか?、と問い掛けるように首を傾げる狐から小梅はつんと顔を逸らした。

声が出せる状況なら、ウソつきと責めていただろう。
だが、今はテスト中の教室内。小学生らしく終わりに近付くごとに室内はざわめき始めるが、だからといって他者から見えない存在と会話するわけにはいかない。

少しずつ身の振り方を覚えてきた小梅は、もう殆どとるべき行動を間違うことはない。
拗ねた態度すら楽しむように身体を震わせる狐を無視しながら、鉛筆を握る小さな手は残る問題に走らされた。






定期的にやって来るテストの日が、小梅は好きではなかった。
その日の内に返された用紙の点数欄に満点の百の字が書かれていても、好きにはなれなかった。
何故なら、答案用紙を返された日には真っ先に両親に報告しなければならないから。いつものように鳥居を目指すことは叶わず、一度家に帰ってしまえば出掛けられなくなってしまうことが、小さな胸に錘を落としていた。

セイに会いに行けないことに沈む小梅を慰めるように、小さな狐はからかいに乗じるようになったけれど。
悲しませるよりは怒らせた方がマシだと考えているのかもしれないが、その気遣いを感じ取ってしまう小梅の心は恋しさに打ち沈む。



「セイに、会いたいなぁ」



二人用の子供部屋、二段ベッドの下の布団に寝転がる小梅はぼんやりと呟く。抱き締めるように囲んだ腕の中で、小さな鳴き声を上げる狐が、もぞりと動いて見上げてきた。

廊下と部屋を隔てる扉はきちんと閉まっているのに、それを突き破るように甲高い怒鳴り声が部屋まで響く。
それに続いてごめんなさいごめんなさいと、涙混じりで謝罪を繰り返す幼い声も。

何であんたは出来ないの。あの子なんかに負けるの。
金までかけてやってるのに、あんな化け物に負けて恥ずかしくないの。

鋭く厳しい母の声は、妹を詰りながら小梅の心をも切り刻む。
化け物、という言葉が自分を指していることを、悲しくも小梅は理解してしまっていた。

出来のいい子でいなければ、この家で全うに生活させてもらえない。けれど小梅がいい子でいれば、自然と比較対象にされてしまう妹が八つ当たりを受ける。
気味の悪い子だと実の親からも忌諱され育った小梅は、妹に救いの手を差し伸べることもできなかった。
小梅がいる所為で虐げられるのだと、歪んだ答えを刻み込まれた妹は両親と同じ目をして、実の姉をやっかむようになってしまったから。



「薊…」



赤く染まった目元を擦り、ひくひくと喉を引き攣らせながら子供部屋に入ってきた妹にそっと声を掛けても、返ってくるのは年に似合わず憎しみの滲んだ燃えるような睨みだけだ。



「なんで、おまえはおこられないんだよ!」



起き上がりベッドに座り直して、部屋の入り口を見据える。自分を見てかっと頭に血を上らせる妹を、小梅は傷付いた目で見つめた。
小さい頃、まだ物心がつく前は姉の異端さに気付いていなかった妹は、恐れも嫌悪もなく小梅に寄ってきていた。

いつからこうなってしまったんだろう。
小梅は口を噤んだまま、まだ短い半生に思いを馳せた。



「あざみは、べんきょーしてるのに、なんで、おまえなんかどっかであそんでかえってこないくせに!」



人は目に見えない非科学的なものを、理解し得ない。
だからこそ両親や妹の目には小梅が遊び回っているようにしか見えず、それなのに他者よりも成績が秀でるものだから、余計に気味悪がられてしまう。

勉強も運動のコツも、小梅の知識は全てセイから与えられたものだ。
しかしそのセイは誰にでもは目にすることができない存在で、説明しようもないし説明したところで信じてももらえない。
幽霊も、妖怪も、神様も。小梅の見るものは全て否定されて、最後には小梅自身すら否定されてしまう。



「きえろっ…きえろよっ!!」



勢いよく投げ付けられたランドセルが小梅の横を通り過ぎ、壁にぶつかって中身をバラけさせる。
どうしても破れない膜一枚で隔てられているかのように、小梅の五感は鈍くなる。

呆然としながらその光景を眺めていた小梅は、ヒステリックに叫ぶ妹と先程聞こえていた母の声を重ねた。



「ばけものなんか、しね!!」



そのまま床に座り込んで大声で泣き喚く妹の声に、心を砕いて駆け寄る存在はない。

かくりと首を折って俯く小梅の頬を、流れもしない涙を拭うような獣の舌の感覚を感じた。けれど、ベッド上にぶちまけられた筆記用具や教科書のようにばらばらに散らばった心をかき集める気力もなく、小梅は背中を丸める。
額から、布団に突っ伏した。ぎしぎしと身体中に広がる痛みを、閉じ込めて堪えるように。

小梅は、泣かない。
泣いたってここに助けはないと、もうずっと前から知っている。

柔らかな獣の毛に顔を埋めて息を殺す子供は、昇る朝日を切に待つ。






こころころがりころしてる




ああ、早く夜が明けて。
明日になれば、会いに行ける。

20131221.

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