『おぅい小梅、小梅やい』



いつものような小学校帰り、神社へと繋がる石造りの階段へ小さな足が掛けられる直前、肩に乗っていた狐が消えたタイミングにしゃがれた声に名前を呼ばれた。
肩で切り揃えられた黒髪を揺らしながら小梅が辺りを窺えば、今正に登ろうとしている石段の数段上、草影で休む古めかしい鏡から成る異形が人とは作りの違うひょろりとした手を振っていた。



「おじい、日向ぼっこ?」

『おお、今日は天気がよいからの。小梅はまた遊びに来たか』

「大体いつも来てるけどね」



たんたんと軽い足取りで階段を登り、異形に近い位置で小梅は一度腰を下ろす。
妖怪と呼ばれる存在にすら怯えない女児に、鏡にくっついた獣のような瞳が細まる。



『楽しそうで何よりじゃ』

「うん、セイといるのは楽しいよ。あっ、もちろんおじいと話すのも、楽しいよ!」

『ほっほっ、それは嬉しいのぉ。最近はあのお方も大層楽しんでおられるが』

「セイも?」



古い鏡の妖の言葉に、小梅はきょとんと目を瞠る。

慣れ親しむ神様の屋敷に向かう途中、神社の近くには比較的穏やかな気性の妖怪がいくらか存在した。
付喪神と呼ばれる存在の中でも特に年を食った口調で喋る鏡の妖は、まるで本物の祖父であるかのように、小梅の話に微笑ましく耳を傾けてくれる。
そして小梅の気付かないことも、拾っては教えてくれるのだ。



『お前さんと過ごす時間は、貴重だろうよ』



鏡にくっついた一つ目は、人が見れば不気味に思うものかもしれない。
それでも、異形を見慣れた小梅の目には優しく微笑んでいるように写った。



『何せ、もう、何十…何百…いや、千年は越えたかのぉ…儂が造られる前より生きておったお方じゃからのぉ…ふむ』

「ツクモじいってば本当のおじいちゃんみたい」

『お前さんからしたらそれは爺じゃろう』



ほっほっ、とまた声を上げる妖に、小梅もつられて相好を崩した。



「そしたらセイもおじいさんになっちゃうよ」

『それは言うたらいかんお約束じゃ』



悪戯っ子のように笑い合う一人と一匹、草木までが会話を楽しむようにざわりと騒いでいた。








時は僅かに過ぎて、靴を脱いで上がった屋敷内。

珍しく迎えに出てきてくれなかった男は入り口に背を向けるように、庭へ繋がる縁側で膝に頬杖を付いていた。



「誰が爺だ」



声を掛けるより前に、足音や気配で察したのだろう。むすりと刺々しい声で呟く白い衣冠に、ランドセルを隅に下ろした小梅は近付いてその顔を覗き込む。



「すねてる?」

「…オレは人じゃない。人と同じように歳を重ねはしない」

「すねてる。ねぇセイ」



広い肩に手を乗せて、覗きこんだ小梅はそのまま首に抱き付くようにしてぶら下がり、膝を付く。
気が立っている様子でも、行動を咎めはしない男にふわりと胸に温かいものを感じて、それからぐりぐりと背中に頭を擦り付ける。



「小梅、大人になりたくないなぁ」



少しだけ不安の混じる声に、それまで顰めた眉を保っていた男はぴくりと反応した。



「何だ突然」



首を捻り背中に張り付く女児を振り向く、その瞳には既に不機嫌の欠片も見当たらない。
どこか元気を失った幼子の髪を梳くように撫でる手付きは優しく、その指先の鋭い爪は綺麗に仕舞われていた。



「だって、セイは長生きしてきて、今からもするんでしょ? そしたら小梅、ずっとこうしてはいられないんじゃないかな」



私、セイといられなくなるんじゃないかなぁ。

今まで見てきたもの、これから見ていくもの。それらをいつまでもは同じ場所で見ることが叶わないこと。
今更感じ取った当然の事情を不安に思う小梅の心情を察して、色違いの二色の瞳はゆるりと細められた。

惜しまれる温もりを、確かに男も感じていた。
その上で普段と変わらない柔らかな声を紡ぐ。慈しむべき子供が嘆き悲しむことのないように。



「何も、小梅は心配しなくていい」



一時を惜しむことのできる、ただ真っ白で純粋な魂を汚さないように、包み込む。



「小梅がオレを望むだけ、此処にいたいだけ来ればいい。お前にだけ、あの鳥居は何時如何なる時も開かれる」



おいで、と広げた腕の中、ゆっくりと胡座に上ってくる、未だすっぽりと収まりきる子供を大事に抱え込み言い聞かせる。
甘やかす男の胸の辺りをぎゅっと掴んで、額を擦り付ける子供じみた小梅の行動に表情を弛めながら。



「少なくとも、小梅を突き放すようなことはしないよ」

「…ほんと?」

「オレが嘘を吐くと思うのか?」

「たまにうそつくよ」

「そうだな」

「そうだな、じゃないよ…」



不満を込めた小梅の目が見上げた先、愉快げに笑う綺麗な顔がある。
暫しくつくつと喉を鳴らしていた男は、それでもすぐにやんわりと弛めた宝石のような瞳で小梅を見下ろした。








かみさまとのおやくそく




「本当だよ」



そう言って頬をなぞる大きな手が、黒髪を除けさせる。
約束を誓うように額に落とされる唇を受け入れた小梅は、気恥ずかしさと隠せない嬉しさに頬を膨らませながら目の前の神様に抱き付きなおした。

20131217.

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