すんすんと鼻を鳴らして、夕暮れで時を止めた空間に連鎖して現れる鳥居を潜る幼い影が一つ。
目を擦りながら進む足取りは覚束ず、僅かな隙間に爪先を引っ掻けて倒れ込みそうになった身体は白い衣冠の腕の中へ、危な気無く受け止められた。



「足下を見ないと転んでしまうだろう」



抱き止められたままひしりとしがみつく幼子に合わせて、腰を折る男の手が震え続ける華奢な肩を撫でる。
ひくひくと喉を引き攣らせる幼子がゆっくりと顔を上げれば、ほんの少しの焦りを表すかのように伸ばされる指先には力がこもり、人よりも鋭いその爪先が頬を引っ掻く前になりを潜めて人と同じ手付きで濡れた頬を包み込んだ。

男性の無骨な手に見えて案外繊細な触れ方をするその指先が、目の下を擦るように拭う仕草に、幼い女児は僅かな安堵を感じて目を細める。



「今日はどうしたんだ、小梅」



確かに自分を案ずる赤と橙の瞳に、小梅と呼ばれる女児は頷いた。
白い衣をしっかりと握り締めたまま。



「セイ、小梅、おかしくないよね?」



切実に肯定を求める問い掛けに、幼子の柔らかな頬を拭っていた手が止まる。
セイ、という響きにも慣れ始めた男は、傷付きやすい柔らかな心を撫でるように穏やかな声を返す。



「おかしいとは、何がだ?」

「み、みんな、いないっていうの…カラスのおにいさんも、つくものおじいちゃんも、つうがくろのいぬも、いないって。みんないるのに、小梅がへんだって。小梅がみてるものは、いないんだって…やっぱり、おかあさんたちみたいなこと、いう」

「ああ」

「きもちわるい、って。でも、みんな、いる…セイだって、いるよね…っ?」

「ああ、いるよ。こうして触れてもいるだろう? 小梅は他の人間より目がいいんだ。優れた才能を持っているということだよ」



うん、と涙を溜めた瞳を揺らして頷く小梅には、見鬼の才があった。
強すぎる才能は、世界の法則を身に付けない子供には重過ぎたのだろう。物心がついた頃には人ならざるものが見えていた彼女には、常人にとっての現実との境目が見極めきれないことが多々あった。

彼女にとっての現実は常人の現実より領域が広い。
得体の知れない生物を見続けてきた彼女には、何がおかしいと、存在しないと定義付けられるものなのかが、まだうまく判断できないのだ。

だからこそ心ない言葉に傷付けられ、不安に押し潰されそうになる彼女はいつだって夕刻の鳥居を目指した。
同じものを目にして同じ言葉が通じる、誰よりも自分を肯定し、慰めてくれる存在を求めて。
人よりも温もりを分けてくれる存在に、出逢ってそう掛からずに傾倒した理由は降り積もった寂しさにあったのかもしれない。



「ねぇセイ」

「うん?」



夕刻のまま止まった空の下、鳥居から少し奥に進めば、古めかしくも格式高い屋敷が現れる。
男の手をしっかりと握り直して小さな歩幅で並び歩く小梅は、まだ赤みの残る目で高い位置にある顔を見上げた。



「セイはずっとこのおやしきにいて、さみしくない?」

「寂しい、か。退屈だとは思っていたが…」



ふむ、と顎に手をあてながら一つ一つ言葉を拾う男はずさんな答え方はしない。
鋭い爪を引っ込めた指を掴む小さな手の先で、己よりも弱々しくいとけない存在から送られる視線に気遣いを見つけた彼は、ふっと瞳を細めて笑う。



「ああ…そうだな。寂しかったのかもしれないな」



だから小梅が来てくれて嬉しいよ、と。

握り返された手にぱっと頬を染めて喜色を滲ませる小梅は、それだけでここへ来るまでに溜め込んでいた悲しみを消化する。

そうすると繋がれた手に更にじゃれるようにもう片方の手も使って抱き付きながら、ほんの小さな我儘を吐き出した。



「小梅もここにすめたらなぁ…」



おかしな子だとも、不気味な子だとも、言われずにいられる空間に居座りたいと願う幼子に、一度だけ目蓋を落とした男は艶やかな黒髪にくしゃりと指を通し、撫でる。



「あまり不用意なことを言うな。隠してしまいたくなるだろう」

「かくすの? どこに?」



くるりと丸くなった瞳で見上げる女児を、見下ろす顔は影になっている。それでも二色の瞳だけが、光を失わずに細まっていた。



「さて…小梅はまだ小さいから、オレの影にでも隠せてしまえそうだな」



言葉と同時にふわりと身体を包み込む柔らかな温もりに、ひゃあ、と驚きの声を上げた小梅はすぐに相好を崩して、現れた獣の尾に抱き付きなおす。
手触りのいい毛に覆われた数本の尾は、今はただ孤独な子供を癒すためだけに存在するものだった。






さびしんぼのたわむれ




「ところで小梅、この間の問に対する答えはまだ出てこないのか?」

「うん…まだ」

「そうか…中々進まないな」



座敷の畳に寝転がりながら数本の尾と戯れていた小梅は、考え込むような男の態度に小さな身体を起き上がらせた。



「セイは、ちえくらべをおわらせたいの?」

「できればそう掛からずに終わればいいと思うな」

「……」

「小梅?」



不意に黙り込みお気に入りの尾を手離した女児に、軽く首を傾げる。
男の視線を受けた彼女は、不安に陰る表情で見つめ返した。



「おわっても、かわらない?」

「…ああ、そういうことか」



何を、不安な顔をしているのかと思えば。

弱くはない執着を垣間見せる幼子の内情を汲み取り、驚くほど繊細な動きに男は頬を弛める。



「知恵比べが終わっても、小梅は小梅だ。いいかい?」



あの鳥居を潜ってこられるのは、お前だけだよ。

手招きに従い近付く小梅は、刺繍の施された衣冠の中へすっぽりと収まる。
獣の神様の膝の上、熱を分けるように背中を撫でる手に安堵した彼女は、迫り来る微睡みに身を任せた。

20131206.

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