「どこまでマゾヒズムを極めれば気が済むんですかね、君は」



一瞬で氷付けにされてしまいそうなほど冷たい瞳を向けてくる元チームメイトは、与えられた交渉材料を一口吸い上げたかと思うと容赦のない刃をぐさりと突き刺してきた。

自覚のある傷口を抉る、たった一言にすら今は泣きたい気持ちになる。



「その言い方は酷いっスよ黒子っち…!」

「君がそれを言いますか…練習で疲れたボクをわざわざ呼びつけておいて」

「そっ…それはその…だからシェイク奢って誠意をね? 示してるじゃないっスか?」

「甘いです。シェイクも驚くくらい甘い考えです」



時計を見てください、もう夕食を終えていておかしくない時間ですよ。

マジバの片隅、壁時計を指差し周囲に冷気を集める黒子っちには、申し訳ないことをしているとは思う。思いはするが、他に話を聞いてくれる人なんて思い付かなかったのだから、これも仕方がないことで。
なんなら食べ物だって奢っていい。少なからず事情を知る人に話を聞いてもらえるなら、今手持ちにある金は捨ててもいいくらいの気持ちで助けを求めたのだ。

切羽詰まっているオレの話を聞いた目の前の彼は、話し終えた瞬間に深い深い、地の底へ沈みそうなほど深い溜息を吐き出したかと思うと、相変わらず浅はかですね、なんて鋭い棘をここぞとばかりに刺してくれたけれど。

そんなことは、オレが一番理解している。



「一年以上経ってもそんな調子なのに、どうして声を掛けてしまったんですか」



微かに水滴の滲む紙コップをテーブルに置いて、仕方なさげに問い掛けてくる黒子っちは、その喉に通すシェイクのようには甘くない。
暗に話し掛けなければよかったと指摘されている。それが解るからこそ胸が軋んだ。

本当に、こんなことなら話し掛けないまま終わってしまった方がよかったのかもしれない。
思ったところで、今更だけれど。どうせ自分では終わらせられやしないことも、よく知っているけれど。



「違うんスよ…」

「何がですか」



未だぐちゃぐちゃに荒らされたまま片付かない、中身を整理できないままに額に手をあてる。

目蓋を閉じても無駄なことだ。
一年以上、もう二度と会えないだろうと思っても、消えてくれない面影が貼り付いたまま、そこにあった。

自分でも呆れるくらい、諦めきれない。
こうして駄々をこねることしか、できないくせに。



「あんな、また繰り返すようなこと言うつもりじゃなかったし。オレはただ、今までとか、今とか…知りたかっただけで、」

「…黄瀬君って図々しいですよね」



ぐにゅりと、肺を一掴みされたような感覚に自然と背が曲がる。
黒子っちの相槌にはオレをフォローする成分なんて欠片も入っていない。それは当たり前の反応で、オレが悪いんだから、寧ろ厳しい言葉を掛けられない方がおかしい。

繰り返したくないなんて言いながら、オレが一番抗えていないんだから。
痛いのも苦しいのも、自業自得だった。



「ボクは駒居さんをよくは知りませんけど、君の所為で帝光中から去ったのは事実なんでしょう。そんな相手に普通に話し掛けるなんて面の皮厚いにも程があるんじゃないですか」



うまく話せると思う方がおかしいでしょう。

帝光で彼女に降りかかった出来事、その事情を大まかに知りながらも本人は蚊帳の外にいる黒子っちは、テーブルの上のシェイクを軽く揺らしながら淡泊な声を発する。
反論できる要素なんてどこにもない。俯いたままの顔面が引き攣るように笑ったのを、どこか遠く感じる。



「はは……うん、その通りっスわ」



何、考えてるんスかね、本当。
口を利いてもらえただけでも、奇跡だっていうのに。

情けなくて、悔しくて、まだもどかしい。まだ、それなのにオレは遠ざかれないでいる。
乾いた笑みを貼り付けたオレに、テーブルの向かい側からまた深い溜息が聞こえた。



「ボクが苛めてるみたいで気分が悪いです」



ぐさぐさと傷口に突き刺さる攻撃にすんません、とだけ返して顔は上げられない。
そんな痛みを味わいながらも、頭に浮かぶのは彼女のことばかりで。少し短くなっていた髪、成長した顔付き、初めて見た普段着、それから何より親しげな雰囲気を醸し出していた男の影が、ぐるぐると脳内を巡る。その影響で胃の中まで燻っているような妙な気持ち悪さが消えない。

時間が経ってしまえば、苛立ちよりも焦燥感が勝った。
彼女は、進んでいた。着実に。オレを置き去りにして。

はぁ、と今日聞いた中でも一番大きそうな溜息が正面から響く。



「…大体黄瀬くんは、どうして彼女に突っ掛からずにいられないのか、考え直した方がいいですね」

「…黒子っち?」



不意に空気の重さが変わる。
会話の流れにつられて視線を上げれば、黒子っちの目はオレには向かずに殆ど日の沈んで濃紺色に変わった空をガラス越しに見上げていた。



「何で、彼女なんですか?」

「何で…って…?」

「誰も彼もに愛されることはない。君なら立場上理解していたはずです。それでも君は、彼女だけを赦さなかった。その結果が今なんでしょう?」



人と真っ直ぐに向き合う彼にしては珍しく、面倒そうな素振りを隠さずに言葉は紡がれた。

メディアに取り上げられるとは言え、全人類に好かれるなんて夢のまた夢だ。いくら顔が、人当たりがよくても、気に入られない人間には気に入られない。嫌われることだって当たり前にある。
そんな当然のことを、どうして我慢できなかったのかと。

そう問われて、息苦しさが増す。思わず自分の喉に指を持っていって、締め付ける紐がないことを確認した。



「過剰に反応してしまった理由は? どんな感情が君を追い詰めたんです?」



それを問われることは、真綿どころか麻縄で首を絞められるようなものだった。

黒子っちは容赦しない。オレを慰める理由もない。
外を見ていた目が漸くこちらに向いた時、わざわざ呼び出してしまった彼を置いてこの場から走り出してしまいたい思いに駆られた。
だけど、逃がさない、と。底の見抜けない瞳が語っていた。



(嫌だ)



胃から食道、喉元まで。一気に引き絞られたような感覚に全身が強張る。

嫌だ。そんなことを考えたいわけじゃない。考えたくない。やめてくれ。
今じゃなくても思い知らされた現実を、今直視してしまったら。オレは。



「君は彼女に、どう思われたかったんですか」



心の裏を悟らせない、黒子っちの瞳と取り替えてほしい。

ぐしゃりと歪んだ顔を伏せて、縄もないのに首を掻き毟ってしまいたくなった。






覆水が返ることを望んでいた




ああ、人選ミスだったかもしれない。

真っ直ぐな心も目も言葉も、オレにはどうしたって抗いきれなくて。
呼び出されてまでこんな風に思われる黒子っちの方が可哀想なのに、そんなオレの思考くらい読んでいるだろう彼はそれを非難することもなかった。

ただ、やっぱり、逃がしてはくれなかったけれど。



「君はいつまで、そこに留まるつもりですか」



ぐちゃぐちゃに溶け合って濁っていた感情が、流されてしまう。暴かれてしまう。
溢れ出てしまえば返らない。割れた卵は元には戻らない。

どこにも、何にも戻れないのだから。



(もう、駄目だ)



怖いから、見られたくなかった。
見抜かれてしまうから、知られたくなかった。
だから、嫌だったのに。



(ああ、もう)



何処にも、行き着けないな。

返れはしませんよと、急所を押さえられた。

20131104

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