久々の仕事も部活もないオフの日、適当に好みの店を廻って上階のスポーツショップのあるエリアに足を運ぼうかと乗り込んだエレベーターで、信じられない偶然に見舞われた。

緩くウェーブがかる髪の間から覗く顔を、見間違えるはずもない。一年以上前から忘れたくても忘れきれなかった面影を残す女子を見つけて、どくりと跳ねた心臓に合わせて身体中に震えが走った。
オレの存在に気付いていないのか、ただじっと表示される階数を眺めている彼女の細い手首を、掴んでしまったのは涌き上がった衝動からで。

絞り出した自分の声は、滑稽なくらい掠れていた。



「…駒居、さん…っスよね…?」



驚く様子もなく緩慢な動作で振り向いた駒居夏葉は、オレの顔まで視線を上げてもこれといった大きな反応は示さなかった。

それだけの仕種から、本当は全て、解っていた。







「久し振り、っスね…」

「…そうね」



着いた階でエレベーターを降りても、握ったまま離せない手を見下ろす彼女は不本意そうな顔をしながらも受け答えはしてくれた。
そういえば、あの頃もそうだった。どれだけの仕打ちを受けていても、他者から投げ掛けられた言葉を無視することだけは、彼女はしなかった。
苛立つくらい強かで、憎たらしいくらい真っ直ぐで。

変わらない部分を見つけて、胸の内側が焦げるような思いがする。
込み上げる苦い味が口一杯に広がっても、飲み込み続けることしかできなかった。

だって。
だって、ずっと。ずっと探していたんだ。
誰に訊ねたって知れなくて、教えてもらえなくて、それでもふと浮かぶ記憶を掘り返しては、視界の中に探していた。
そんな存在が今更降って湧いてきたら、混乱だってするだろう。



「げ…元気に、してた」

「はぁ…お陰様で」



ああ、違う。こんな無駄なやり取りをしたいわけじゃない。
予期していなかった偶然の再会に頭の中も口先も空回って、冷静さを保てない自分を叱咤する。

そうじゃない。そうじゃないだろ。
もっと、言いたいことが。伝えたいことがあったんじゃないのか。

そう急かしてみても、普段から使い慣れない頭は正常に回転してくれなくて。
エレベーターの入口に突っ立ったまま、間抜けにも程がある言動に額に手を当てた。



「駒居、さん」

「はい?」

「……どこに、いたんスか」



もう、取り繕うような言葉を選ぶこともできない。
ぐちゃぐちゃに掻き回されるオレの脳内は過去まで遡って、目の前に立つ女子の記憶を引きずり出す。
優しいものなんて、殆どないのに。

どこにいたの。どこに行ってしまったの。
ねぇ、今まで、どうしてた?
嘘なんか吐かないアンタのことだから、本当に元気にしてたんだろうね。
どうせ、オレのことなんてとっくに吹っ切ってしまったんだろう。
ずっと覚えているのがオレの方だなんて、本当に馬鹿らしい。おかしな話だけど。

仕方ないだろ。



「それ、訊いてどうすんの?」



何か意味があるのか、と訝しげに見上げてくる目は、相変わらず濁りなく容赦もない。
それだけのことが胸に来て、ひくりと喉を鳴らしそうになる。

無意識に握り混んだ手首が痛かったのか、僅かに眉を顰めた彼女は小さな溜息を吐き出した。



「…用があるなら聞くけど、離してくれない」



別に逃げやしないから、と、口にされたからには守ってもらえるだろう。

ぎこちなく解いた指の先、持ち上げられた手首はもう片方の手に擦られる。
強く握りすぎて赤くなった肌の色に、罪悪感が疼いた。



「意味は…ないっス」

「は?」



そうだ。今更訊いたって何にもならないことだって、解ってる。
それでも訊かずにいられなかった。わけが解らないといった表情を向けられても。
用事なんて呼べるような口実なんか、持っていなくても。



「ただ…」



あんなことに、なるなんて思わなかった。
持ち主のいなくなった席、空いた靴箱、二列に並ぶと余る人数…挙げればきりがない、変化。
あの時のオレは、ただ憤りだけで突き進んでいて。指摘された事実が悔しくて恥ずかしくて、それが頭に来て苦しくて。
そんな思いを押し付けてきた、目の前の存在にぶつけた。
その結果自分の前から消えられて、そうして余計にどうしようもない感情に振り回されたりして。

気になっていた。彼女がどこへ行ってしまったのか。
気になっていた。新しい居場所で彼女が変わってしまっていないか。
気になって…気になって、気になって、気になって。

忘れられなくて。
いざ向かい合う機会が来ても、全ての心情を纏めきることができなくて。



「ただ…アンタに、」



あい、たかった。

それだけの言葉も紡げない。喉に滞って出てこない。
握り締めた手は、今度は自分の掌の皮膚に爪を立てる。静かに耳を傾けてくれる彼女は、先を促すようなことはなかった。

何か、言わなければ。そう思う気持ちばかりが先走って、開いた唇が乾いていく。
早くしなければ。彼女が立ち去ってしまう前に早く、と、思ったのに。



「あっれ? 夏葉?」



彼女の名前を呼ぶ聞き慣れない声に、ばっさりと遮られて息が止まる。
反射的にその方向に目を向ければ、少し離れた場所から軽い足取りで近付いてくる男の影があった。
彼女の幼馴染みしか口にしなかったファーストネームを、軽々しく紡ぐ。知り合いと呼ぶには縁が浅いその人間は、けれどつい最近にも見た顔で。



「遅いと思ったらなーに? 男捕まえちゃってんの? 高尾ちゃんほっぽって酷いんじゃない?」

「どの口が言うんだか。その場にいろって言ったのに聞きやしないし」



細い肩に馴れ馴れしく回される腕に、ぎくりと心臓が強張った。
親しげなやり取りは、あの頃には見たこともないもので。

何で。そんなにくっついてることなんて、あの幼馴染み相手でも殆どなかったはずなのに。それどころか女子同士でも無駄に接触を図るような人間じゃなかったのに。
嫌がる態度は微塵もない。彼女のパーソナルスペースに当たり前のように踏み込んだ同年代の男は、固まるオレを見上げた一瞬、目を細めた。

馬鹿にするように。勝ち誇ったような顔を、見逃さなかった。
お前にはどうせ立ち入れないと、口に出されなくても、そう聞こえた。
きっと間違いじゃない。



(ああ)



そうっスね。そうだよ。オレにはそんな境界、踏み越えるどころか見せてももらえなかったよ。



「……はっ」



漏らした笑い声に反応して、彼女の視線がもう一度こっちを向く。
瞬間、胃の内側が燃えるように熱を持つ。そのくせに身体の外側は凍り付くように、冷たくなっていく気がした。

何で。何でそんな簡単に。
当たり前のように、アンタは。



「あいっかわらず…男だけは誑かすの上手いんスねぇ?」



口から滑り出す言葉は流れるように綺麗に紡げた。
本当に告げたいものよりずっと容易に、舌を動かした。



「転校する前もさぁ、そーだったじゃないっスか。女子には総叩きにされてたのに男子はアンタに甘い奴結構いてさぁ…アレって結局どうだったんスか?」



媚売って、身体で強請って、助けてほしいなんて誑かしたの?
そこにいる男はそんな噂が付きまとったような過去、知ってるわけ?

引き攣るようにつり上がる口角を、抑えることができない。抑える気もなかった。
一言一言、吐き出したのは諸刃の剣で、胸から血が溢れ出るかと思うくらい、痛い。埋まらない傷口をざくざくと抉って、マゾっ気でもあるのかと自分を疑う。

なのに止まらない。頭から口に繋がるオレの回路は、イカれている。ずっと前から壊れたままだから、今更直るわけがない。
直っているわけが、なかった。



「黄瀬クンだっけ? 随分好き勝手言ってくれんね?」

「和成」

「…ハイハイ。じゃーさっさと次行こうぜ夏葉」



静かに窘められつつ顔一杯に出していた不快感を抑えた男は、オレに一睨みだけくれると踵を返す。付き合うだけ無駄だとでも言うように、彼女の手を取って。

強い力で引かれたのか、少しつんのめりかけた駒居夏葉は、最後に一度だけ振り向いた。
その表情は、よく覚えている。痛みも苦しみも表さないくせに、軽蔑だけは滲ませた目の色は。

過ぎさった時間と、同じ色をしていた。



「やっぱ、あんたはあんただね」



呆れきって見下すような目付きに、口振りに、態度全てに。
どすんと、身体の真ん中に大きな杭を打たれたようだった。

変わっていないものを、馬鹿にする。疎む顔をする彼女の離れていく背中から目が離せなかった。
解りきっていた事実が首に巻き付いて、絞めあげられる。焦げた内臓はいつの間にか冷たく静まっていて、混乱の収まった脳内は最後に目眩を押し付けてくれた。



「……んで…」



何で。
何で、オレは。
何で、アンタは。
こんな風に、なっちゃうんだ。

よろめいた身体を壁に凭れて、頭もぶつける。今は中身も冷えきって、その所為で自己嫌悪に吐き気がした。
馬鹿みたいに、涌き上がった怒りに任されるままに、吐き出した言葉は今までだって何度も自分に返ってきたのに。
会いたかったくせに。会いたかったのに。今の今だって、本当は。



(…全然、駄目だった)



不用意に傷付けて勝手に傷付いて、また軽蔑されておしまいか。
ぎりぎりと痛む心臓も、目も当てられないくらい新しい傷を負った。
以前、オレを赦さなかったチームメイトから突きつけられた言葉は正しかった。
謝罪一つまともに紡げなかった、なんて。



「し…かた、ねぇって…」



でも、だって。やっぱりオレは見てもらえなかったんだから、仕方ないだろ。
最初に振り向いた、彼女の顔を見ただけで解っていたことだけど。

アンタはもう、オレと関わる気なんて本当になかった。
驚かなかった。気付いていたのに気付かないふりをされた。いつだってそうだ。いつだって。
いつだって、オレのことなんて見るどころか、気にもしない。

だから苛ついて、悔しくて。
馬鹿にされて躍起になって、馬鹿にし返せないから言いがかりを付けたりした。何度も、飽きが来るほどに。

何の意味もない、行為だったとしても。
まだオレは、誤ったやり方を繰り返すことしかできなくて。







会いたくっても合わないよ




失望されるのが一番、何よりも怖くて堪らないくせに。

20131014

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