ああ、もう、どうにもなんないなぁ。

心が何度もへし折られるほど、きつい言葉をくらってそう思った。
彼女の幼馴染みも、前に会った男も、少しも汚れてない真っ直ぐな目でオレを見据えて思い知らせてくるものだから。
自分の汚さを余計に自覚させられて、跡形もなく潰されそうになる。

似合わない? そんなの最初から知ってるよ。
会う資格がない? オレだってそう思うし幻滅してきた。
今更言葉を交わしたところで、戻れもしなければやり直しもきかない。
事態が好転することなんてあり得ないことぐらい解っていて、それでも、どうしても最後に言わなきゃいけないことがあったから、ここまで来て。

だけど。



(何…やってんだろ)



結局、彼らの防壁の外にいた彼女はオレの話を聞こうとして。
だけどそれはオレを気にしてくれたわけじゃなく、大切な人間にこれ以上迷惑を掛けたくないがための配慮でしかなくて。
それがまた痛くて苦しくて悲しくて…そうだ。オレは悲しくて、責めるようなことまで口にしてしまった気がする。
ぐちゃぐちゃに絡み合って纏まらない気持ちを、吐き出してしまって後悔した。

嘘は一つも吐いていない。けど、言いたかった言葉はまだあった。



「駒居、さん」

「ん」



これが最後でいいから、それがオレの望める限界値だと思って、顔を上げた。
それなのに。どうしてか、真っ直ぐな彼女の瞳とかち合った。



(何で、今更)



今更、オレを見てんの。

同じようにしゃがみこんで、片手で傘を指しながら膝を抱えて。
きっと情けなく歪んだオレとは違う、凪いだ表情で続きを聴こうとする姿に内臓を掻き回されたような感覚がした。

こんな時ばっかり、ホント、タイミング悪すぎだろ。
引き攣りそうになる喉を必死に開けて、息を吸い込む。湿った空気が肺を満たして、余分な水気が競り上がってきそうだった。



「オレ……アンタに、やっぱり、謝んなきゃなんないんスよ」



弱々しい声しか出なかった。

ごめん、なんて一言じゃ足りないことぐらい解ってる。何度口にしたって満たされることはないことも。

謝罪に意味がないことは知っていた。
でも、それだけじゃない。謝ってしまえば、僅かな繋がりさえ切れて終わってしまう気がしていたから、口にできなかった。



(終わらせなきゃ)



もう、これ以上はない。

彼女と顔を合わせて言葉を交わすのはこれきりだと思えば、末端から冷えて心臓まで凍り付く感覚を思い出す。
あの日、彼女が目の前から消えていなくなった日から、オレは変わってこなかったけど。
戻れない。戻れたとしてももう、そこに彼女はいないから。



(先にしか、進めないんだから)



終わらせたくなかったから、終わらなかった。
終わってしまうのが怖かった。終わらなかったんじゃない。
終わらせたくないと望んだから、オレはいつまでも立ち竦んだまま動けなかった。動かなかったのは確かに、オレの意思だった。

どうしようもなく絡まって、切るしかなくなった糸を、それでも切りたくなかった。手離すのが嫌だった。

過去には戻れない。
戻ったところで、オレの手で傷を負った彼女が振り向いてくれるわけもない。そんなことは解りきっていたのに。



「…オレの中身なんて、これだけっス。馬鹿過ぎたガキの我儘で、アンタの…立場とか、友達とか…信頼とか、掻き回した。だから、一言なんかじゃ足りないし、償えないって思う」



思う、けど、謝らせてくれますか。

そう続くはずだった言葉は、口から出る前に遮られた。



「別に」



この期に及んで、欠片もぶれない。
駒居夏葉は初めてオレの中身を見つめながら、冷たくも温かくもない声音を響かせる。



「気にしてないとか、もう許すとはさすがに言えないけど。あんなん一生根に持つほど私は心狭くないつもりだけど」



ていうかさぁ。

深い溜息を吐き出した彼女に肩を揺らすと、その目は呆れきったものに形を変える。



「うじうじめそめそ、男らしくないし鬱陶しい。さっさと前に進みなさいよ」

「……は…」

「昔の私に謝ったって仕方ないでしょ。通り過ぎた時間の、脱け殻に頭を下げてるようなもんじゃない」



馬鹿馬鹿しい。そこに誰が、何があるっていうの。
誰もいないし何もない。あんたの視線の先にはあんたの罪悪感しかない。許されるわけないものに頭を下げるなんて時間の無駄遣いにも程がある。

今この瞬間も胸を張って歩き進む彼女の、厳しさを滲ませた言葉に両頬を打たれたような気がした。
息が詰まって、視界が歪む。どれだけオレは情けない様を晒せば、気が済むんだろうか。



「“今の私”に、謝罪なんか要ると思うわけ?」



ああ、もう。



(何でアンタは、)



何で、どうしてそこまで、綺麗に生きられるんだろう。
オレはこんなに弱くて汚くて、だから眩しくて羨ましくて、焦がれたままで。

容赦なく握り締めてぐしゃりと潰された心臓を、胸の上から押さえる。
切ないくらい、全身に痛みが響いた。



「…さすが、駒居夏葉」



完敗っスわ。

自分で判るぐらいぐしゃぐしゃになった顔で笑えば、何それ、と首を傾げる彼女に装った様子はない。
傘を持つ小さな手を包み込むように、初めて触れれば僅かに目を丸くされた。

終わらせてしまうのが怖かった。
今までの何もかもを失う気がして、この先の何かを見ようともしなかった。

でももう、きっと無理だ。
引き留められなくて失った彼女が、ずっと遠くでも、この視界に入ったなら。



(ごめん)



ごめん。離すなら、今しかないから。行き止まりの道で踞ったままだった、自分の背中を押すのは今だと思うから。
もう一生、許されることはないと受け止めよう。

その上でオレはもう、この煤けてぼろぼろのガラクタのようになってしまった恋を

終わらせる。



「さようなら」



傷付けた頃の彼女に、謝罪はもう届かないけれど。
驚いた顔でオレを見上げてくる、目の前の彼女には届かせよう。



「ありがとう」



オレに似合わないくらい、綺麗な終幕をくれて。
どこまで行っても綺麗な、初恋のままでいてくれて。






それ故に私の寿命は決められていたのです



幻想のアンタは、もう追わない。
そこにいない存在に手を伸ばすこともしない。

小さく息を飲む音を聴きながら、微かに震える指をゆっくりと離した。

20131205

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