incidental | ナノ



「で」

「え?」



長机に手をつき、ずいっと身体を乗り出してくる友人に、私も思わず仰け反ってしまう。
半ば睨むようにして目を細める歩ちゃんの表情からは、滅多に見ない鋭ささえ感じられた。



「あ、れ、で! 付き合ってないってどういうことよ」

「えっ……えー、と…」



何のことかな…?、と惚けることも難しい。
詰め寄られる原因はすぐに思い浮かんで、つい、視線を逸らしてしまった。



「付き合ってないっていうか…何ていうか…」

「なつる」

「…はい」

「言っとくけどねぇ、同クラス所属のほぼ全員がなつる達がデキてるって思い込んでるのよ。私がわざわざこの目と耳で確かめてきた事実、自覚してる?」

「え……えっ!?」

「やっぱり分かってない…」



このニブチン!、とつねられた頬がじん、と痛む。
呆れたと言わんばかりの溜息を吐き出して机に突っ伏した歩ちゃんは、腕に顎を乗せながらジトリとした眼差しを向けてきた。
けれど、私の方だって突然明かされた情報を前に、処理に手間取ってしまう。



(デキてる、って…付き合ってるってことだよね……?)



まさか周囲からそんな風に思われているとは、全く気付いていなかった。
それに、ほぼ全員だなんて……歩ちゃんは本当に、わざわざ聞き込んで確かめたのだろうか。答えたクラスメイト達の思考も、私にはうまく読み取れない。

私と彼が、付き合っているだなんて。
言葉にしただけでじわじわと込み上げてくる熱に、顔が火照っていくのが判った。



「もうさー、誰が見てもそういう空気なのにそうじゃないとか、踏ん切りつかない人だって出てくるんだからね?」

「踏ん切り…」

「なつるだって黒子くんだって、他からも好かれてるかもしれないじゃん」

「…まぁ、テツヤくんは確かに素敵な人だけど」



優しくて頼りになる人だから、私以外にも好きになる女子は幾らでもいるだろうとは思う。
けれど私も、今までよりは遥かに心に余裕ができているというか…僅かな茶々入れくらいでは動じなくなってきていたりもして。

だって、不安になれば彼は必ず繰り返してくれる。
私がいいのだと、言ってくれる。そう信じきることができるから、焦りも芽生えないのだ。
とは言え、私だってその信頼を逃避理由にしたいわけでもないのだけれど。



「解ってるなら何でほっとくかなー…もう例の忙しい時期は越えたんでしょ?」

「それは…越えたけど、でも……」



私より悩ませている頭を掻く友人に、申し訳ない気持ちも抱きつつ、躊躇してしまう理由は単純なものだ。



「その…いざはっきり気持ちを伝えるとなると、場所とかタイミングとか、どうしたらいいのか迷うっていうか……」

「はぁ…なつる達に限っては拘る必要もないでしょ。見るからに両想いじゃん」

「りょっ……そう、見える…?」

「端から見てりゃ分かりやすいくらいカップル然としてる」

「そ、そう……そっかぁ」



嬉しいような、だだ漏れであることは恥ずかしいような。
ある程度好かれているということはさすがに自覚していたことだけれど、自分以外の目にもそう映っているというのはまた違った感動がある。

この照れは、俯いただけでは隠しきれない。
嬉しい。でも、それならば確かに、好意があるのに関係だけ曖昧で、端から見ると落ち着かないのかもしれないとも理解できた。
歩ちゃんは私を思って、はっきりした方がいいと言い出したのだろうから。



「ちゃんと言わなきゃ、駄目かな……駄目だよね」

「駄目っていうか…まー形的には安定するし、相手も喜ぶと思うよ」

「…喜んでくれるかなぁ」

「喜ぶ喜ぶ。絶対に間違いなく確実に喜ぶ」

「誰かを喜ばせたいんですか?」

「っう…ん!?」

「うわっ黒子くん!」



ひょい、と肩の横から飛び出した首に、大きく身体が跳ね上がってしまった。
強く鼓動を刻む心臓を押さえながら視線を横にやれば、不思議そうな顔をした話題の中心人物と視線が交わる。

もしかして、聞かれていた?
自分から切り出す前に出鼻を挫かれてしまったかと焦る私に代わり、長机を挟んで正面に座る歩ちゃんが疑惑を払おうと声を掛けてくれる。



「びっくりしたぁー…いつからいたの?」

「つい今来たところです。話し声が聞こえたので」

「あ……ご、ごめんね。図書室なのに騒がしくしちゃって」

「いえ…ちょうど近くにいたから耳に入っただけですから」



それで何の話をしていたんですか?、と訊ねてくる彼は、本当に少ししか聞き取れていなかったらしい。
一先ずほっと息を吐いたところで、意地悪く歪む友人の唇が目に入った。
けれど、気付きはしても止める間はなかった。



「黒子くんを喜ばせる話をしてたのよ。ね」

「あっ歩ちゃん…っ?」

「……ボクですか」

「そ。なつるが喜ばせたいのは君、黒子テツヤくんなのであった!」

「ちょっと、歩ちゃ…どこ行くのっ?」

「邪魔者は退散退散ーっと」



なんだか芝居がかった口調で茶化してくる友人は、散らばっていた勉強道具を片付けてしまうと、悪びれない笑顔でひらひらと手を振ってくる。

酷い。こんなぞんざいな追い込み方ってない。
去り際の軽やかな足取りを少しだけ恨めしく思っていると、私と共に取り残された彼が小さく笑った気配がした。



「……それで」



ドキリと、胸が鳴く。
とん、と肩に置かれた掌はすぐにでも振り払えるくらい軽いけれど、今から逃げたりもできそうにない。



「何をして、喜ばせてくれるんですか」

「いや…えっと……喜ぶものなのかどうか、分からないんだけど…」



つい、引き延ばしてしまおうとする私は本当に往生際が悪いと、自分でも思う。
それでも、素直な部分だって残っていて。
喜びますよ、と彼が一言勇気づけてくれるだけで立ち上がって足を踏み出すこともできるのだから、何だかんだ現金にもできているのだ。



「なつるさんがボクを喜ばせようとしてくれているだけで、もう喜んでますから」



ああ…やっぱり、この人はずるい。
たった一言、少し微笑んだだけで、私を夢を見ているような感覚に引きずり込んでしまう。

テツヤくんの傍は、穏やかでいられる。
きっと、身体が寛いでしまっているから、心が揺れ動く方に全感覚が持っていかれるのだ。
虚勢も建前も剥がされて、裸になった中身を曝け出させられて。
その手によって取り出されたことに歓喜する心は、がちがちに固めてあった羞恥心すら凌いで、溶かしてしまう。

胸が苦しい。頭の中が、とろとろと蕩けていく。
それを幸せと感じてしまうのだから、どこかが狂ってしまっているとしか思えない。



「あの…ね、私……」



高まる緊張に酸素を奪われながら、付け足した。

とっても、今更なんだけど……



「私は、テツヤくんが……好きです」

「……はい」



くっ、と肩に走った圧迫を心地よく感じてしまう。彼の声以外の音をシャットアウトしたように、雑音が一つも聞こえない。
そんな中、きっと必死なものになっているだろう私の視線を受け止めた彼は、丸い形の吐息を吐き出したかと思うと、紙のように柔らかく、くしゃりと相好を崩した。
冬の大会で目にした、試合終了時の喜びに溢れたものとは、また少し違う風に。



「はい。知ってます」



分かりきっている答えだったのだろう。驚いたような反応は返されない。
溢れ出した気持ちが目に見えてしまいそうな彼の表情に、息を飲んだ私の方が、高まる心臓の音を聴いている。
耳の側で、どくりどくりと、血が巡るのを強く感じた。



「で…ですよね……」

「ボクも、なつるさんのことが好きです。…これも知ってますよね?」

「…だったらいいなぁ、って……思ってました」



自信はなかったけれど、伝わるものはあった。伝えてくれようと、彼の方が何度も働きかけてくれたから。
自分の判断よりも、彼の言葉や行動を信じれば、受け入れられた答えだった。



(ああ、でも……)



それでも、分かっていたことと言えども、苦しさは拭えない。
恥ずかしくて居たたまれなくて、今すぐどこかに身を隠してしまいたくなる。

肩に置かれた掌から、私の鼓動が伝わってしまってはいないだろうか。
つい、落ちてしまった視線は、膝の上で不格好に震えている自分の拳を捉えた。



「そう…分かってて…でも……こういう時って、どうしたらいいのかな…?」



私はテツヤくんのことが好きで、テツヤくんも同じ気持ちだとして。
お付き合いを始めましょう、というのも、なんだかよく分からない。

今、傍に置いてもらえていて、充分に私は満たされているのに。
今立ち止まってしまわずに、違う方向に踏み出すとなると、不安は付き纏う。続く先で躓いたり、しくじったりして、得たものを失いはしないだろうかと。
またも臆病風に吹かれて戸惑う私を、それでも彼は今までと同じように、見捨ててしまおうとはしなかった。

そうですね…、と溢したテツヤくんの顔を見上げなくても、穏やかに細められた瞳と弛んだ口元を思い浮かべるのは簡単だ。
それくらい何度も、私は救い上げられていて。それは今この瞬間だって、変わらないことで。



「ボクの方も、ちゃんとした経験があるわけでもないし…何が正しいとかは、判りませんけど」



小さな不安にも押し潰されてしまう私の頬に、肩から離れた手がそっと触れて、持ち上げられる。

ああ、やっぱり。笑っていた。
私が一番最初に惹かれた、あの表情がすぐ近くに据えられていた。



「時間が合う時でいいです。一緒に帰ることから、始めてみませんか」



あと、こんな風に触れるのを許すのは、ボクだけにしてほしいです。

悪戯好きの子供が秘密の約束事を囁くように、落とされた言葉は棘になって私の胸に突き刺さった。
棘の先には、彼にしか塗布できない毒でも仕掛けられているのではと、馬鹿な想像すらしてしまう。

髪まで滑る指先の動きに、そわりと、鳥肌が立つ。そこから熱が生まれて、身体が溶けていきそうな錯覚に陥る。
ああ、ずるい。
過った言葉はするりと、口から飛び出してしまった。



「ずるいよ…テツヤくん」



そういう風に言われたら、躾けられてしまう。彼以外を受け入れたくなくなってしまう。

だって、そもそも他なんて。考える隙だって見付からないというのに。
そんな状況で強く言い含められてしまっては、意地悪をされているんじゃないかと疑ってしまう。



「今だって、テツヤくんだけなのに」



彼から伸ばされる手を避けようなんて、一瞬だって考えたりはしない。他の誰でもない、テツヤくんだからこそ。
この先だって私は、この意識だけは変えたくない。変えようとしたところで変わりもしないだろう。

私が欲しいぬくもりは、貴方のくれるものだけだから。

虚を衝かれたように一度だけ丸められた空色の瞳は、すぐに細まって笑みを型どる。
少し侮っていました、と肩を揺らした彼の頬も、沸騰してしまいそうな私には負けるとしても、充分に赤く染まっているように見えた。






生涯一度の恋を貴方と




この感情を、“愛しい”以外の言葉で飾ることなんて、できるはずがないから。
長い時間を二人で歩んで、知り得ていけたら幸いとなるのでしょう。



* Happy End *

20150131.

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