incidental | ナノ


ブザービーターの次の静寂、時間が止まったかと錯覚する一瞬の後に湧き上がった歓声に飲み込まれる。
観ているだけのこちらまで、何度も何度も、試合が続くだけ心臓が止まりそうな思いを沢山味わった。
胸が痛くて、息苦しい。選手の消耗が伝わってくるようだ。終わった途端に身体から芯を引っこ抜かれて、そのまま崩れ落ちてしまいそうになる。

日本一、という言葉の重みを、初めて身をもって理解した日。
惹かれて追い掛けていたはずなのに、今まで見たことがないくらいの満面の笑みをこの目に焼き付けて、いつの間にか私は泣いていた。

ウィンターカップ優勝、誠凛高校。
高々と謳い上げられる文句は、私にとっても夢のようで。

誰よりも、勝って、報われてほしい人が輝く瞬間を、切り取り閉じ込めておく宝箱が欲しい。
言葉すら紡げなくなった私の腕を幼馴染みが掴んで引き上げてくれるまで、ぼろぼろと溢れて止まらない涙でスカートを濡らしながら、思った。

きっと私は、こんな風に人を好きになれることは、二度とない。









千里の道さえ越え行かん





「本が好きなのは、物語は報われるからなの」



連なって並ぶ本棚を前にして唐突に切り出した言葉に、彼は特に驚いた様子もなく軽く首を傾けただけだった。
静かに、見守るように向けられる視線はただただ優しく、続きを促してくる。
話を聞いてくれる。それだけのことで、ふんわりと私の胸があたたかいもので満たされた。



「何かしらの形で報われることが多いでしょう? 全部が全部うまくいくってわけじゃないけど、そういうお話が多いよね」

「確かに…何かの形で決着がつくことが多いですね」

「うん。だから、偶像みたいなものだったのかな……憧れてた」



隣に並んでいるテツヤくんの方は向かず、様々なタイトルの書籍達を眺める。そしてなるべく、柔らかな雰囲気を感じ取れる本を引き出す。見極めの時点から慣れた行為だ。

頁を開けば、文字を追えば、選ぶ本を誤らなければ結末は必ず報われる。
自分を透明にして、話の中に同化させて夢のような時間に浸る。その間に現実でつけられた傷を忘れて、癒された気になって。
そんな、幸せな結末に焦がれるだけの行為を、ひたすらに繰り返してきた。
そうやって心を庇ってきたのだ。いつかは自分の抱える問題にも報われる形の決着がつくと。何の保証もないのに、慰めにして。

単純に、読書向きな性質を持っていたことも原因ではあるけれど。物語は私の逃避場所、読書は一つの防衛手段だった。



「でもね」



でも、それは高校一年の春までのことだ。
それまでは確かに、私の逃げ場はそこだった。
認識を変える切っ掛けとなる小さな変革をもたらしたのは、放課後の廊下での偶然の出逢い。真夏の日差しを遮る木陰のような、控えめでほっとさせてくれる微笑に、見惚れた日のこと。

あの瞬間が運命の境目だったのだと、今になって思う。
……なんて。そんなことを口にしたら、大袈裟すぎて笑われてしまうかな。



「テツヤくんと、本を使ってやり取りするようになって…仲良くなってからは、人と繋がる手段にもなるんだなぁって、考えるようになったの」



一人で浸らなくても、気持ちを分け合える人はいる。
血の繋がりがなくとも寄り添える人がいることを、知ってしまった。

私は、変わってしまったと思う。
小さな幸せに気付いて、拾い上げることができるようになって、大切にしたい人が増えてしまって。



「寂しさが薄れて、心が温まった」



手に入れてはいけないと思い込み、避けていた感情に揺さぶられる幸福を知った。
大切な人は一人じゃなくてもいい。そう納得して、恋をする自分を受け入れられるようになった。

全て彼が与えてくれたものだ。そこから発展して、得ることのできたもの。
私一人では、絶対にここまで辿り着くことはなかったはずで。相手が彼以外であったとしても、きっと駄目だった。



「ボクは…なつるさんの抱えた寂しさを、本当の意味では知れないでしょうけど」



私が喋っている間黙って耳を傾けてくれていたテツヤくんが、見た目よりは少しばかり存在感のある声を紡ぎ出す。
図書館内の静けさに満ちた空気を震わせる声は、私の胸まで同じように、簡単に震わせてしまう。



「嬉しいとか楽しいとか。心が浮き立って、温もるような気持ちは分かります」



ふわりと弛められる頬に魅せられる。出逢った日に魅力を感じた時よりもずっと、あたたかい感情に溢れているように見えて。
浮き足立つ心を、勘違いだと誤魔化すのも難しい。それくらい彼の私への接し方には情が溢れて、優しくなっていった。



「お揃いですね」

「…お揃い、かな」



高鳴ってしまいそうな鼓動を隠したくて、そうっと、然り気無く視線を逸らす。
防波堤を越えてしまいそうな気持ちが、迷惑を掛けてしまわないように。バレてしまわないように振る舞うことにも、限界を感じ始めていたりするのだけれど。

私が気持ちを自覚して、彼も大会を終え一息吐いている今も、伝えるタイミングを逃したまま、決定的な言葉を口にしたことはない。
ただ、きっと…私が特別テツヤくんに弱いという事実は、本人に伝わってしまっているだろう。そんな気はしている。
テツヤくんは鈍い人ではないから。それでも傍にいさせてくれる、その理由や真意は掴めないけれど。
振り払われない以上は、今ある関係性を壊してしまうのも惜しい。こういった甘えだけは、まだ暫くは拭いされそうになかった。



「あれから、落ち着いてるみたいですね。よかったです」

「えっ……あ…うん。全部がうまくいくわけじゃないけど…テツヤくんのお陰もあって、少しずつ頑張ってるよ」



臆病風に吹かれている私を知ってか知らずか、浮かべた笑みはそのままで、彼は私を覗き込んでくる。
視線が合った途端に僅かに肩が跳ねてしまったのが、あからさまで恥ずかしい。

一瞬、切り出された内容には戸惑ったけれど。彼が気にするような事情といえば、心当たりはすぐに出てきた。
口にした通り、まだまだ普通にはほど遠い。何らかの決着がつくまで、長い時間を掛けるしかないのだと解っているけれど…それでも、少しずつでも、家で両親と過ごす時間が苦痛なだけではなくなってきている。
そのことを伝えて改めてお礼を言うと、話を聞いたテツヤくんは緩く首を横に振った。



「ボクは何も」

「応援。してくれたでしょう」



私には何よりの力になったのだから、何もしていないようなことを言わないでほしい。
その目から逃げようとしていたことも忘れて、遮る形で伝えれば、少しおかしそうに笑われてしまった。



「そういうところ…なつるさんはなつるさんですよね」

「…それ、どういう意味?」

「いいな、と思っただけです」



だから、それは一体どういう意味で…?

直接問い掛けることもできず、脈打つ心臓をそっと胸の上から押さえる。
自然な受け答えができているといいのだけれど。意味深なことを言ってくれながら、彼の方は楽しげでもあるから、大丈夫だろうか。

訝しむ顔のまま見つめ上げていると、何でもないです、と笑う彼の手にくしゃりと頭を撫でられて、また胸が落ち着かなくなる。
触れられることが嬉しくて、心地よく感じてしまうのが恥ずかしい。顔が熱を持っていく。
同時に、心臓が膨れ上がって、気道を塞いでしまうような感覚に襲われた。少しずつ息苦しくなって、頭の回転も鈍くなっていくような。

こんな風になると、つい、おかしなことを口走ってしまいそうになるから困るのに。
そうになる前に慌てて首を振る私を、見下ろしてくる表情はちっとも変わらないのが、ほんの少しだけ悔しい。



(私ばっかり)



振り回されている。
私がテツヤくんを好きなのだから、仕方がないと言えば仕方がないことなのだけれど。



「……あ、でも、弟離れは中々できそうにないんだよね…」



悔し紛れに話題を変えてみると、ぴたりと、彼の手の動きが止まった。
狙っていたわけではないけれど、都合はいい。触れられるのは嬉しいけれど心臓にも悪いから、名残惜しさを抱きつつも身体をずらして、その手から逃げた。

そうだ。弟と言えば、最近は両親の自室や車に児童相談所や弁護士事務所の広告を並べてみたり、嫌みな嫌がらせを何度も仕掛けているらしい。
父や母の顔色が悪かったのが気になって問い掛けてみると、本人からしれっとした顔で明かされた。
両親には意地が悪くなってしまうけれど…それくらいの報いなら受けてほしいと思い、放置している。
あれはあれで、ストレスの発散方向は間違っていないだろうし。私自身、少しだけ面白かったりもして。



「……なつるさんは颯くんが大好きですよね」

「え?…うん。そりゃあ、可愛い弟だし…最近はちょっとずつ私にも我儘も言ってくれるようになってきたから、嬉しいよ」



少しずつ、少しずつだけれど、ちゃんとした姉弟として機能し始めている気がしている。
相変わらず私には優しいんだけどね…と頬を緩めると、今度は何故かテツヤくんの方が息を吐いて、視線を宙にさ迷わせた。



「道のりは長いってことですか」

「え…何の?」

「いえ、こっちの話です。千里の道も一歩から……そう言いますからね」

「はい?……テツヤくんっ?」



遠くを見つめるような顔をした彼は、今度はまたどこか、目指す目標でもできたのだろうか。

どうしたの、と問い掛ける前に、自然と取られて握られる手に電流が走る。



「充分に時間はあるし、揺らがずにいられると思うんです」



だから大丈夫。

触れた肌から伝わる信号が私の心臓を跳ねさせるより先に、眉を下げて笑った彼が告げた言葉。
その意味を全て理解することができなくても、きっと軽くはないものだということ。それだけは、弛みきった頭の中にも充分に伝わったことだった。

20150129.

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