incidental | ナノ


ドクン、ドクンと脈打つ鼓動が、血管を震わせ肌まで上下させるようだった。
響いたブザーの音は鋭く耳に突き刺さる。試合が終わるその瞬間の緊張と興奮は凄まじく、今すぐ立ち上がって何かをしなければ、いてもたってもいられない気持ちに突き動かされる。

立ち上がりたい。移動したい。何処かへ……いいや、彼の傍へ。
そんな私が短い呼吸を繰り返す隣で、静かに深い溜息を吐き出したのは、連れ立って試合を観に来ていた幼馴染みだった。



「そんなすぐには出てこねぇから、一旦落ち着け」



彼方くんの方だって安堵して、喜んでもいるだろうに。
冷静さを欠いた様子を見せない幼馴染みに、でも…という視線を向ける。言葉にしなくても充分に伝わったらしく、苦い顔をしながらも解ってるよ、との言葉を返してくれた。



「邪魔する方が野暮だかんな。今回は」



喜びに沸き上がるコートには当然、全く逆の立場、感情を強いられるチームも存在する。
そしてふらつきながら、チームメイトに支えられながらも彼が拳を出した方向に、相手チームの一人が見えた。
天才的としか称せないプレイを試合中に見せ付けていた一人だ。きっとあの人が話に聞いていた、変わってしまった元相棒という存在なのだろう。桐皇側のベンチには、口許を押さえている桃井さんの姿も窺えた。

何事かを話した後に、仕方なさげにでもぶつけられた拳には、私には計り知れない思い出が詰まっているようで。
遠くから見つめることしかできない。一抹の寂しさも感じたような気はする。

けれど。
それよりも、何よりも…ただ一人。
試合中から爪が食い込むほど握り締めていた指から、なんとか力を抜く。そうして満身創痍といった風な彼を見つめていると、じわじわと目蓋が熱を持っていくのが感じられた。

私は、出逢いが遅すぎた。
彼らのことを知らなければ、中にあるだろう葛藤だって知り得ない。仲間に入れるわけもないというのに。
彼が悔いなくやりきったという様子を見ただけで、震えるほど、泣きたくなるほど、興奮していた分も含めて、安堵してしまう。
この気持ちの出所は、もうはっきりと解っていて。認めてしまっていた。



「行くんだろ」

「うん」



行くよ。

試合後に迷惑だとか、部外者だとか。今は考えられない。
熱気の冷めやらない会場を立ち去る準備を始める。目指したい場所は、一つしかなかった。



「複雑だ」

「彼方くん」

「複雑だが…仕方ない。見守るに徹してやるから、転けたり変なのに絡まれたりだけはするなよ」

「…なんか、保護者みたいだね」

「そーゆー立場だって自負してるもんでな」



むすりと唇を尖らせたまま、コートに落としたままの視線をこちらにくれない幼馴染みは、ぞんざいな手付きで私の背中を叩いてきた。
頑張れ、と。口で言われなくても伝わるくらい、私達の仲は流れる血よりも濃いものだ。

行ってきます、という声かけに溜息を返されても。そこに含まれた優しさを拾わないほど、私の目は眩んでいなかった。









十二月末の冷えた空気は、火照っていた肌には優しい。それも長くは続かず、冷たさに慣れると今度は寒さを感じ始めてしまうのだけれど。
会場外で暫く待っていると、見覚えのあるジャージの集団が疲労と興奮冷め遣らぬといった雰囲気で出てくるのを見付けられた。
どうやらこの後の食事について盛り上がっているようで、最初に声を掛けるタイミングを逃してしまった私は一人で狼狽えてしまう。

どうしよう。彼には会いたい。話したい。
けれど、チーム一体の雰囲気に水を差したいわけでもない。
今回はやっぱり立ち去った方が…?、と考え込んでいる内に、彼らの予定は決まってしまったらしい。それじゃあ今から移動しよう、と動き出したところで、偶然、メンバー内の一人と目が合った。

あ、と声を出す暇もなかった。



「ん? どした水戸部ー…あっ!」



一瞬ぱちりと瞬いた水戸部先輩の目が、近くに立つ小金井先輩を映すとその肩を軽く叩く。
その呼び掛けに振り向いた小金井先輩も私に気付き、その瞬間ににやあ、と唇を持ち上げると、徐に一人の後輩の腕を掴んで引き摺り、こちらに向かって背中を押してきた。



「じゃあ黒子、後でな!」



顔を上げてすぐに目を丸くしたテツヤくんは、一瞬何が起きたのか解らなかったのかもしれない。私も展開に驚いて、固まってしまったのだけれど。
次々にこちらの存在に気付いたバスケ部の面々は、納得がいったという顔をして軽く手を振ってくる。挨拶なしでは失礼だから頭を下げてはみたけれど、きっと動きはぎこちなかったと思う。喉も詰まってしまっていて、すぐには声も出せなかった。



「ああ、そっか。オレ達は先に火神の家向かっとくな」

「あ……はい。すみません、後で向かいます」



気を利かせてくれたらしい伊月先輩の一言に、はっとしたようにテツヤくんが頷いて返す。
止める間もなく、ぞろぞろと楽しげに去っていく彼らの背中に、むず痒いものを感じた。

何だろうか。この、妙に気遣われたような雰囲気は。
そろりと、正面まで寄ってきてくれたテツヤくんに視線を戻すと、彼は彼で珍しく言葉に迷っているのかもしれない。開かないままの口が、もごりと動くのが見えた。



「あの…ご、ごめんね。なんか、待ち伏せみたいなことして……」

「いえ、それは……こっちこそすみません、出てくるの遅かったですよね」



ああ、何だろう。変に緊張してしまう。まだ、強く脈打っている鼓動を身体の真ん中に感じることができる。
気持ちを自覚した時より、その後に彼と向き合った時よりも、今が一番息苦しい気がした。



「まさか、待っててくれるとは思ってなくて……寒かったでしょう」

「う、ううん。私が勝手に…どうしても…会いたくなっただけだから……」



寧ろ、バスケ部メンバーの邪魔をしてしまったような気もしているし。

申し訳ないことをしたな…と、衝動に任せて出てきてしまったことを今更反省する。
落ち込み俯きかかると、落ちてぶら下がっていた私の手が、一回り大きな手に包まれて引き上げられた。

まるで、私が彼の手を取って勝利を願った時のように。
釣られるようにして窺い見た彼の表情は、凛とした笑顔だった。



「勝ちました」

「っ……うん」

「一回戦で、かなり消耗しましたけど」

「うん、凄かった。すごく……ごめんね、なんだかまだ、興奮してて。いい言葉が出てこないけど…」



語彙は決して少なくないはずなのに、こんな時に的確な言葉が見付からないことが恥ずかしい。
じわじわと舞い戻る感動で、視界が滲む。そんな私に気付いているのか、彼はいいえ、と首を横に振ってくれた。その声一つ取っても、優しさに満ち溢れていた。



「来てくれて、応援もしてもらえて…なつるさんに観ていてもらえて、嬉しいです」

「うん……」



私は、テツヤくんが向き合う目標を、一つ消化できたのが嬉しいよ。
きちんと関わってもいない私は、何の力にもなれないけれど。応援する気持ちが届いていたなら、それが彼の支えに少しでもなれていたなら、泣いてしまうくらい嬉しい。

とはいえ、あまり情けないところばかりも見せたくはないのも本音で。
空いている片手で堰を切りそうになっている滴を拭って、気を取り直す。



「それで、あの……桃井さんは、来たりとか…」

「来ませんよ」



私が駆け付けるくらいだから、彼女はもっと行動が早いと思っていたのだけれど。
一瞬だって考える様子はなく、あっさりと返したテツヤくんに驚く。答えを疑っていない響きに軽く狼狽えた私を見て、小さく息を漏らすようにして彼は笑った。



「青峰くん……今日戦った、ボクの中学時代の相棒なんですけど」

「うん」



素人目から見ても凄いプレイをする人だった。
彼が、前にテツヤくんが語ってくれた突飛な才能を持つ元相棒という人だということは、説明されずとも試合を見ていれば分ることだった。
確か、桃井さんの幼馴染みでもあるという人。



「彼を、桃井さんは絶対に放っておけませんから」



冬の夜でも辺りの灯りで、辺りは薄暗い。白く吐き出される息の色は酷く冷たく見えて、思わず、繋がれたままの手を握り返していた。

一番、報われないのは誰だろう。



「……テツヤくんは」

「はい?」

「それは…寂しくはならない?」



関係がない私なのに、なんだか胸が騒ぐ。
言い方は適切ではないけれど、彼もまた仲間外れにされているように思えてしまう。桃井さんという人はどこか、私と似たような絆に縛られているようにも感じて。

だから、彼らから僅かに逸れる場所に、テツヤくんは立っているのではないだろうか。
今も、昔も。
だとしたら、それは何て…



(寂しい)



執着の伴わない好意を思い知らされては、虚しくはならないだろうか。
しくりと、私の胸は痛む。そんな寂しさを、テツヤくんには味わってほしくない。

気持ちが顔に出てしまったのだろうか。
私を覗き込む彼の眼はそれでも、薄暗闇で分かるくらい澄んでいて。宥める声も柔らかかった。



「どうして…なつるさんがここにいるのに、ボクが寂しくなるんですか」

「…私は、テツヤくんの過去をちゃんとは知らないから。関われないと…話は通じないし、同じ気持ちで労れないところもあるでしょう」



彼らの事情を、深くは知れない。話で聞いたとしても、自分が過去に関わることはできない。
何らかの傷の深さも、修復状況も、私には窺うことができないのだ。

私で、癒してあげられるものならいいのに。
それなら幾らでも、身体と心を全部使っても力になるのに。

無力さに項垂れる私に、彼はそれでも、声一つ曇らせることはなかった。
一度だけ、その指で甲を撫でられ、更に持ち上げられる。ひたりと、冷えかかった人肌。その頬まで。
なつるさん、と。紡がれる名前が、自分のものだと思えないほど、万感を込められているように聞こえた。



「ボクは今、寂しいより嬉しい気持ちが強いです。誠凛の仲間と力を合わせて、まずは夏のリベンジが果たせた」



勿論次に控える試合のために気を抜くわけにもいかないけれど…と、語る彼の瞳は直向きで、また私の胸がドクリと跳ねる。
無理なく、緩やかに弧を描く口元は、他の誰でもなく私を呼んで、願った。



「だから、祝ってくれませんか。前みたいな慰めじゃなくて」



貴女がいれば大丈夫だと、言われたような気がした。
自惚れにも程があるけれど。真っ直ぐに見つめてくる彼に射られている間は、思い込んでも許されるだろうか。
今は、私が必要だと。

震えそうになる身体を、抑え込むのが大変だ。
思い込みだけでも、舞い上がってしまいそうになる。
嬉しくて、苦しくて。



「祝う…のは、いいけど…」

「前と同じで大丈夫です」

「え…ええっ? 同じって」

「駄目ですか?」



方法に悩むところに先手を打たれて、肩が跳ねた。
前、というのは夏のことだろう。彼が相手でなければ頷けないような、できるはずもないことだ。
無意識でもあんなことができた私は、本当に随分前から彼に惹かれていたらしい。実感して震えた。二重の意味で恥ずかしすぎる。けれど。



「駄目じゃ、ない…です…」



断りようが、ない。

消え入りそうな返事をしっかりと拾った彼の、ふわりと崩れた相好に息が詰まった。






取り上げる呼吸




でも、私でいいの?

訊ねた瞬間に伸びてきた腕に包まれ、言葉を封じられる。



「貴女がいいんです」



ぐっと息苦しさが増したのは、抱き締められた圧迫感からだろうか。
近く感じる呼吸と僅かな汗の匂いが、胸を締め付けて。とろとろと溶けた思考が、掬い上げる間もなく流れ落ちてしまう。

自然と持ち上がった私の手が彼の背を撫でても、咎める人は何処にもいなかった。

20150128.

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