「おっけーおっけー可愛いよ! んじゃ、いってらっしゃい!」
「……歩ちゃん、本気?」
「イタズラだもーん」
にやあ、と唇に弧を描いていかにも楽しんでいます、というような笑顔を向けてくる歩ちゃんに、今日ばかりは恨めしげな視線しか向けることができない。
彼女のイベント好きをすっかり忘れていた私が悲しい。
括っていた髪をほどかれて、空かさず差し込まれたカチューシャには猫の耳を象ったフワフワの飾りがついている。
ついでに、制服のスカートにもよく似た色の尻尾がぶら下げられていたり。
そもそも何故そんなものを着けられたかというと、西洋のお祭りをすっかり忘れていた私に、彼女は容赦なくあの台詞を投げ掛けてきてくれたからで。
運悪く手持ちのお菓子がなかった私は、彼女のイタズラの餌食になったのだった。
「お菓子…家にはあったのに…」
しょんぼりと肩を落としても、こんな時には絶対に引いてくれない彼女だ。
「残念だったねぇ!」
とてつもなく爽やかな笑顔を向けてくれた歩ちゃんは、さぁ行っておいで!、と強引にも私の背中を押して、教室から追い出した。
昼休みという人の多い時間に、軽度とはいえ仮装している友人を一人放り出すなんて…酷すぎる。
恥ずかしさに縮こまりたくなりながら、引き返すこともできないのでせめて両手で猫耳だけは隠しながら足早に廊下を進んだ。
すれ違う人や屯する人達の視線が自分に向いているような気がして、半泣きになりながら。
(さ、さっさと終わらせよう…っ)
言い渡されたイタズラというのも中々恥ずかしいけれど、どうせ逃げられないのだ。
だったら早く終わらせて、一刻も早くこの仮装をやめよう。そう結論づけた私は、辿り着いた図書室の扉を開けると直ぐ様目的の人物を探した。
(…いた)
人気の少ない図書室で、カウンターにつきながら静かに文庫本を開いているその姿を見つけて、一先ずはほっと安堵する。
周囲に人がいないのは、目立ちたくない装いをしている身には正直かなり助かる。
まぁ、恥ずかしいのはやっぱり、変わりないのだけれど…。
本に集中して私に気づいていない彼にこっそりと近付いて、カウンターに手をつきながら蹲みこんだ。
耳だけなら未だしも、尻尾まで見られるのは何だか恥ずかしいので、ちょっとした配慮だ。
低い姿勢でカウンターを回り込みその正面から見上げられる位置までくると、私は逃げたくなる気持ちを何とか押し込んでそっと声を掛けた。
「テ‥テツヤ、くん…」
「っ、え…?」
ぱっと、すぐに声に反応して顔を上げた彼と目が合う。
いつもなら、ここで柔らかな表情が返ってくるのだけれど…。
「…なつるさん?」
ぱちくりと、あからさまに目を瞠って驚いた顔をされると、恥ずかしさが極まって。
じわじわと顔に熱が集まってくるのが分かる。
それでも、ここまで来て逃げ出すわけにもいかないし…。
「あの、変な格好でごめん、ね。その…と…Trick or Treat…です」
「え……」
「友達に、イタズラされちゃって…テツヤくんに、同じように言ってこないと後が怖くて…ですね…」
意味もなく丁寧語になってしまう口調にあああ、と唸りながらカウンターの角に額をつければ、それまで軽く固まっていたテツヤくんが動く気配がした。
「これは…猫ですか」
「…らしい、です」
触って確かめてみたのか、気持ちいいですね、と呟く彼の声。
それに誘われて少しだけ顔を持ち上げてみれば、そこにはいつも通りの優しい微笑があって、嬉しいはずなのにやっぱり恥ずかしい。
「似合いますね」
「っ…は、恥ずかしいんだよ…っ? 教室からこれでここまで来なきゃいけなかったんだから…」
「お疲れさまです。でも、可愛いですよ」
慰めるようによしよし、と頭を撫でられて、ついその心地好さにうっとりと目蓋を伏せて流されそうになったところで、はっとする。
本物の猫じゃないんだから…!
慌てて軽く頭を振ると、離れていった彼の手はその顎に添えられた。
「でも、困りましたね…手持ちのお菓子がありません」
「あ…そうだよね。まず図書室で飲食が駄目だし…」
「となると、ボクがイタズラされるわけですか」
「…そうなる、ね」
そういえば、そこのところは考えていなかった。
自分のこと、とにかく恥ずかしいという気持ちばかりが先走っていた所為で、テツヤくんからの反応については全く頭になかったのだ。
どうしよう。
イタズラなんて考えたことないし…。
困りきって彼を見上げれば、彼の方はどこか期待するような目をこちらに向けていて、ぐっと喉が詰まった。
逃げられない…。
というか、テツヤくんはイタズラが嫌じゃないのだろうか…。
「え…っと……」
「はい」
「う…うー…お、お手を拝借…」
「? はい」
どうしよう。イタズラ、何をすれば。
一応猫の格好なわけだし、何か猫のようなことをすればそれでいい…かな…? いいの? イタズラになる?
自信はないし、混乱しているし、未だ色々と恥ずかしくて堪らないし。
軽く目が回っているような感覚のまま、私が何をしたかというと。
「っ…にゃ、う」
「…っ!」
多分、本当に、頭がおかしくなっていたのだと思う。
気づけば私は何故か彼の指に、軽くだけれど、歯を立てていた。
(…あ、れ?)
ちょっと待って。私、何してるの…?
熱に浮かされたような感覚の中、視線だけで見上げた彼は、呆然と固まっていて。
それを見た瞬間に、一気に戻ってきた意識と羞恥心に、私は慌ててくわえていた指を放すと後退る。
「わ、私、ごめっ…ごめんなさい…っ!!」
「え、あっ…なつるさんっ?」
私、なんてことを…!!
図書室だということも忘れて叫ぶように謝罪して、ダッシュでその場を後にする。
彼の戸惑う声が追い掛けてきても、振り返ることなんてできるはずがなかった。
Trick or Treat「歩ちゃぁあん…っ」
「お! おかえり…どしたの? 泣きそうな顔して」
「もう駄目…私……」
教室に戻る前に外したカチューシャと尻尾を片手に、へなへなと自分の机に凭れかかり、頭上から不思議そうに問いかけてくる声に首を横に振る。
「もう駄目…テツヤくんと顔合わせられないぃ…」
「あらら…何やらかしたのよ」
「ううう…」
口に出すことすら恥ずかしい。
恐らく真っ赤になった顔を腕に埋めて、机に突っ伏した。
(あ? お前熱でもあんのかよ)
(…え?)
(顔、赤いぜ)
(ああ…いえ、少し猫に噛まれただけです)
(は?)
20121029.
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