「おい白雲! 3組の山茶花さん振ったって、マジか!?」
「は?」
ホームルーム前の教室、そろそろ生徒も集まり始める頃に、飛び込んできたクラスメイトの信じられないと言わんばかりの形相に、椅子ごと軽く後ろに引いた。
クラスメイトの立川悟は元から騒がしい人間だが、ここまで派手にプライベートを暴露されるとさすがに眉を顰めたくなる。
その発言の所為で一気に集まったクラス中の視線と女子のこそこそした囁き合いが耳に入ってきて、深く溜息を吐いた。
「…誰に聞いたんだよ」
「否定しないってことはマジなんだな!? うっわー信じらんねぇ…あんな美人振るとか男じゃねぇよ!!」
「興味ないんだよ。ほっとけ」
「そうそう、ちょっと騒ぎ過ぎだよ立川。好みは人それぞれなんだからさ」
背後の席からひょい、と身を乗り出してきたクラスメイトに、顰めた眉が余計に皺を濃くする。
にこにこと人の良さそうな顔で話に加わってきたそいつが表面通りの人間だと思っていると痛い目を見るということは、七年来の付き合いに置いて既に身をもって知っていた。
「柊…お前か、こいつに面倒なこと吹き込んだの」
「楽しいネタは分けあわないとねー。親友に隠し事は無しでしょ?」
「そうだぞ白雲! 水臭いぞ!!」
「いつから親友になった…てか、話すと煩いから嫌なんだよ気づけよ」
ああ、朝から頭が痛い。
集まったままの視線をどうしてくれようと、もう一度深く嘆息したところで近くにいた四人組の女子のグループに控えめに名前を呼ばれ、一瞬逃げたい、と本気で思った。
この年頃でこの手の話題に、興味を持たれずに済むわけがないことは理解できる。けど、面倒臭いものは面倒臭い。
“そういう”内容にすぐに食いつく女子の気持ちは、未だに何が楽しいのかよく解らないままだった。
多分、一番身近な存在である姉がそんな人間じゃなかったから、余計に解らないのだとも思う。
「白雲くんって、顔の善し悪しとか興味ないの?」
「…別に、人間顔じゃないし」
持って生まれた才より、努力して得たものに対しての方が魅力を感じるのなんて、普通のことじゃん。
受け答えが面倒になりながらもそう返せば、何故か勢いよく顔を逸らす女子数名。
そして何故か馬鹿野郎!、と立川から叫びと共に突き出された拳をわけも解らないまま避けると、避けるなと怒鳴られた。
いや、避けるだろ。誰が好き好んで殴られるんだよ。
「この無自覚イケメンがあぁっ!!」
「はぁ…?」
「馬鹿だねー立川。颯の無自覚は今に始まった話じゃないじゃない?」
一人だけ落ち着いて何もかも解った顔でけたけたと笑う柊は、面白いものを見るような視線を一瞬だけこちらに寄越したかと思うと、それに、と続けた。
「どうせ颯は理想像高いんだから、そう簡単に好きな子なんてできないよ」
「えっ!?」
「何それ柊くんどういうこと!?」
「あっはは、言葉のままー…だよね、颯?」
「それ、大っぴらにする必要あんの」
てか、別に自分の理想が高いとは思わないんだけど。
そんな感情を込めて首を捻って睨めば、肩を竦めた柊は呆れたように溜息を吐いた。
「あっまい! 言っとくけど、なつるさんほど理想的な女の人なんてそうそういないよ?」
「えっ!? 誰!?」
「ちょっと待て白雲!? おまっ、好きな人いたのかよ!?」
「ぶっ…くくくっ!」
「……柊」
「くくっ…ごめん、好きな人だって颯。まぁ当たってんじゃない?」
今にも机に突っ伏しそうな体勢で笑い転げるそいつを、殴りたくなったオレは別に悪くないと思う。
放っておくと妙な方向に転がるであろう勘違いをそのままにしておくわけにもいかず、とりあえず柊には必要以上には触れずに痛む頭を押さえながら騒ぎ立てる立川やその他女子に向き直った。
「好きな奴じゃなくて姉。白雲なつる」
「は!? 姉…って、オレ見たことないんだけど!?」
「見せてないし」
「何でだよ!? オレ達親友だろ!? 何で紹介してくれないんだよ!!」
「絶対やだ」
「何でだよ…!?」
両手で頭を抱えてオーバーリアクションをとる立川が凄まじく鬱陶しい。
こんな奴を紹介したら悪い虫にしかならないのは想像がつくのに、何でも何もない。
言ってしまえば柊にだって紹介したわけじゃない。オレの知らない場所でいつの間にか顔見知りになっていて、どうしてもっと警戒しなかったのかと相当後悔したのも記憶に新しい。
際限なく溢れ出そうになる溜息を次から次へと飲み込んでいれば、何が理由かさっきよりは大人しくなった女子が再び笑顔で話し掛けてくる。
「白雲くんお姉さんいたんだぁ」
「ねぇ、どんな人? やっぱり弟使いが荒い感じ?」
「…荒くないけど。寧ろ甘いし」
「うんうん、なつるさんは素敵なお姉さんだよねー。優しいし、いつも笑顔で穏やかだし可愛いし、頭もいい上に家事スキルは主婦以上だし…あんな人が傍にいたら理想なんて高くなって当たり前だと思うよ。ていうか寧ろ、理想のお嫁さんって感じ?」
「…お前まさか狙ってんの?」
「どう思う?」
引き攣りそうになる顔を抑えながらまた横から出てきた柊を睨めば、にっこりと一見すると邪気のなさそうな笑みで首を傾げられる。
こいつもグレーか。
増えた頭痛の種にいい加減嫌気が差してくる。
「な、何だよそれ!? 聖母!? 聖母かお前の姉ちゃんはぁあっ!!」
「煩い…」
「え、ちょ、ちょっと待って! もしかしてお姉さんって…まさか、白雲くんのお弁当作ってるのって……」
「なつるさんだよー」
「嘘!? だってあの彩り綺麗で、冷食なんか一個も入ってないのにすっごい完璧なお弁当でしょ!? ちょっ、お姉さん何歳なの!?」
「…まだ15だけど」
「!!」
一体何なんだ。
質問してきた女子とその周囲が、一瞬固まったかと思うとふらふらと後退っていく。
その顔は絶望で一杯という雰囲気で、とうとう笑っている人間は教室に柊一人だけとなってしまった。
無駄に騒がれるよりはマシだけど、この妙な空気は何なんだ。
「ま、なつるさん以上の子じゃないと颯は心動かされないって話だよねぇ」
「誰もそんなこと言ってないんだけど…」
「じゃあ颯、なつるさんより好きな人間いる?」
「……はぁ」
一々答えるのも面倒になって、もう何度目かの溜息を吐く。
好きとか理想とか、どうでもいいと思うのだが。
もういっそのことシスコンだと自称してしまえば静まるのか、とぼんやりと思った。
確かにこんな時、あの笑顔を見て癒されたくなりはするけれど。
(一番好きな人間、ね)
否定できないのはまぁ、事実だ。
現実的理想像幼い頃から変わらない、好意の詰まった声で、笑顔で、オレを呼ぶ姉の姿を思い出して身体の芯が弛むのは、これもまた昔から変わらないこと。
(よし白雲! オレ今日お前の家行くわ!)
(来るな)
(あ、僕も僕も。久々になつるさんに会いたいし)
(お前は絶対来るな)
((やだ))
(………はぁ…)
20120829.
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