incidental | ナノ



「そういえば…話してなかったんですけど」



一ピースのシャルロットを食べきり、ご馳走さまでした、と満足げに微笑んでくれたテツヤくんが、次の瞬間にあ、と声を漏らした。
今思い出したと言わんばかりの切り出し方に、一体何の話だろうと私も首を傾げてしまう。黙って続きを待っていると、手に付いたビスキュイの欠片を扉の外まで行って落としてきた彼が、改めて向き合ってくれた。



「ウィンターカップで戦う組み合わせが決まりました」

「それは…えっと…トーナメント票とかが出たってこと?」

「ですね」



スポーツに関する知識はあまりないから詳しくは知らないけれど、本選まで行き着いたということは聞いている。
こくりと頷いたテツヤくんの表情は静かなもので、瞳だけが強く強く、何かの感情を抑え込んでいるように見えた。



「初戦が、夏の予選で当たった桐皇……ボクの元相棒がいる学校のチームになりました」

「……そっか」

「勿論、当たる試合はどれも本気で挑みますけど。今度こそ彼らには負けられないと思ってます」



元相棒がいるチーム…ということは、その人の幼馴染みであるという桃井さんは、敵側に回ってしまうということか。
試合には関係のない事情に意識が向きかけて、慌てて首を振った。いけない。テツヤくんが話しているのは、そんなことじゃないのに。

真面目に話を聞こう。そう思うと、今度はまた違った記憶が蘇る。そちらの方は我慢が効かなくて、つい、口を突いて出てしまった。



「ねぇ、テツヤくん…今は」



夏の試合の際に、どこか切羽詰まっていた彼を覚えている。気を取られるだけの何かしらの理由があったのだとも、分かっている。
だけれど、それで失敗したところも見てしまったから、どうしても気になって訊ねずにはいられなかった。



「“今”は……見えてますか」



同じような後悔を、繰り返してほしくない。不必要な感傷に囚われたままでいてほしくない。

そんな、真意を暈かした曖昧な問い掛けでも、彼はきちんと拾い上げてくれる人だ。
透明に澄んだ瞳を柔く細めて、頷いてくれた。



「はい。しっかり、見えてます」



口に出す言葉を体現するように、逸らされない瞳に、私の方が押し負けてしまいそうになる。
詰まりそうになった喉を何とかこじ開けて、呼吸を確保した。



「目の前に立ち塞がる相手も、周りの仲間も、応援してくれるなつるさんも。…だから、今度こそ絶対に負けません。誠凛の皆と、日本一になります」



はっきりとした口調で返された答えに、迷いは窺えない。
どこか、遠く。今じゃなくて過去を、仲間より誰かを。そちらにばかり気をとられていたように見えた彼は、もう何処にもいなかった。
あの時のような不安感は煽られない。それどころか、どきどきと速まっていく鼓動に、自分がおかしな顔になってしまっていないかが気に掛かる。

ああ、やっぱり私は、この人が好きだな。
そう、防波堤を越えて溢れ出てきてしまう気持ちが目蓋に熱を点す。
こんなに単純に膨れあがってしまう気持ちなら、その内簡単にバレてしまったりしないだろうか。今だって、気を抜くとまともに受け答えが出来るか怪しいところで。



(でも……悪い気分じゃ、ない)



息苦しさは拭えないし、傍目にも間抜けに映ってしまうかもしれないけれど。
ぷかぷかと気分が浮かび上がる感覚は、夢見心地でいるような、酔ってしまっているような、言葉に表しがたいもの。
胸に迫ってくる苦しさが、熱を生み出す。辛いのか心地がいいのか、よく判らなくなっていく。



「…信じるね」



精一杯息を吸い込んで、返せたのは短い一言だった。
それでも彼は、嫌な顔一つしないどころか、私のペースに合わせるようにゆっくりと微笑んでくれる。



「はい。今度は観に来てくれる約束ですからね」

「…うん。観に行かせてほしい。今度こそ私も信じてるから、心から…応援させてね」



学校の授業意外で触れることのないスポーツで、ルールだって全て把握できているわけでもない。直接的な力にはなれない。けれど、勝ってほしいと強く思う。
私の知らない事情に、葛藤する彼を目にした。挫けても立ち上がり、直向きに努力を重ねる姿も。ずっと前から、私の目は彼を追い掛け続けていた。
誰よりも報われてほしいと思うのは、新たに芽生えた想いに突き動かされたものではない。

ほんの少しの勇気を込めた手を、そっと伸ばしてみる。
その動きに気付いたテツヤくんは瞳を瞬かせて、次には察したように、リストバンドの着けられた彼の手を持ち上げてくれた。
躊躇いを振り切って、その手を握る。ぎゅ、と握り締めた私の手の方が震えているのは、少しおかしいけれど。やっぱり、彼は笑ったりはしなかった。



「バスケ部の皆で、勝てるって信じる。どうしても、私は……テツヤくんを、一番応援しちゃうとは思うんだけど」



どくりどくりと首もとで激しく脈打つ血の音が、その意味までもが伝わってしまって、迷惑を掛けることがなければいい。
小さく、息を飲む音が聞こえた気がした。すぐに他の部員の騒ぎ声に掻き消されてしまったから、目の前の彼が発したのかどうかは、判らない。



「ちゃんと…みている、ね」



応援、なら、大丈夫だよね。

すっかり落ちてしまっていた視線を、僅かに上げて窺った彼の表情は、どうしてか少し驚いていたように見えたけれど。
純粋に勝利を願う、この気持ちだけでも、力に変わってくれたらいい。






漏洩は必然




それ以外の気持ちは、今は、伝えたりすることは止めておこう。

逃避ではない一つの決意を口に出すと、頬杖を付きながら話を聞いてくれていた友人ははあ、と深い溜息を吐いてくれた。



「じゃあ、隠しちゃうのかー…」

「うん……好きって意識してなければ、今まで通りに振る舞えないこともない…かも…しれないなって……」

「なつるはそれでいいの?」

「…いいと思う」



他の誰かに奪われちゃうかもよ、という脅しには、確かに少し怯えてしまう気持ちはある。
けれど、直接テツヤくんと接している時に、その不安はいつだって跡形もなく消し去られてしまうのだ。

奪うとか奪われるとか、はっきりとしたイメージが湧かない。ピンと来ない。
今のところ、色恋沙汰に現を抜かすような人ではないからだろうか。若しくは、私以外の女子が彼に近寄る様を見掛けないことに、ついつい安心してしまっているのかもしれない。
桃井さんに関しては事情が変わってくるけれど…彼の口から過度に気にする発言が出ないのもあって、揺さぶられることは少ない。

そんな風だから、私自身がマイナス方向に動揺することはなく、一人で静かに舞い上がっていられている。
それに、一番大切な理由は、しっかりと胸に埋め込まれていた。



「今は大事な時期だから。少しの変化でも、コンディションに影響しないとは限らないでしょ…? 余計なことに、頭を悩ませてほしくなんかないの」



私は、テツヤくんに負担を掛けることだけはしたくない。
抱えきれないほどの優しさをくれる彼には、与えられた以上のものを返したいと思うのだ。



「簡単に伝えて簡単に受け取られるのは、無理だと思うから。だからまずは、活躍の方を見守るに徹するよ」



想いを伝えるとしたら、その時私は自分の気持ちにも彼にも、必死の覚悟で向き合うことになる。そして彼も、他人の気持ちを適当に受け流したりはしない人だから、どうあっても思考を奪ってしまうことだろう。

それなら、やっぱり今は口にはしない方がいい。
気持ちを殺す必要はないから、私としてもそう苦しいことでもない。



「ふぅん……まぁ、なつるが真剣に考えていいって言うんなら、私は何も言えないけどね」



ちょっと無駄な気もするけど…と苦笑を溢した歩ちゃんの言葉は、よく解らなかったけれど。
少なくとも否定されるような結論を出さなかった自分に、小さな自信が満たされるような気がした。

20150117.

prev / next

「#オリジナル」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -