incidental | ナノ


崩すことは、簡単だった。
そして案外と、立ち上がれなくなるほどの痛みを感じることでもなかった。

悩んだ時間が馬鹿らしくなるくらい、単純な答えが一つ、私の中には残された。
家族に嫌われている、見放されてしまうのは辛いことだ。今だって解り合えなくて、虚しく軋む胸は誤魔化すことはできない。けれど、実際は完全に見放すことができないから、家族なのであって。
考え方を一度切り換えてしまえば、今まで身体の内側をぱくぱくと食い減らし続けていた恐怖心は、姿を消してしまった。

結局は気持ち次第。何もかもがうまく回るかと言えば、そういうわけでもないことは解っているけれど。
弟の手を引いて今度こそ帰り着いた家の中は、音や灯りが一切なく静まり返っていた。
玄関のライト一つで二人分の影が伸びる廊下。規則的に針を進める時計の音と、自分達の立てる物音しか響かないような静寂に包まれた室内が私達を出迎えた。

重ねてきた不貞の露呈を知って、気まずくなったのか。それとも、形だけでも家族ごっこに付き合いきれなくなったのだろうか。
どちらにせよ、両親はあの後ろくに捜索もせず、二人して出掛けてしまったらしい。
きっと、今夜も家に留まる気をなくしてしまったのだろう。その気持ちは行動を見ただけでもはっきり窺えた。私達の心配なんて、結局あの二人はしてくれないのだ。

帰宅したはずの両親の気配がすっかり消え失せた場には、呼吸を整えやすい軽い空気が漂っている。
無責任極まりないと思いつつも、今すぐに向き合わずに済んだことには浅慮にも、安心してしまった。



(よかった)



まだ、ちゃんと真正面から話し合えるほど落ち着いてもいない。
両親の影がない方が安心できるなんて、悲しいものがあるけれど…偽りない本音だから仕方がない。私や颯にとって、両親と真剣に向き合うのは途轍もなく気が重くなることでしかなかった。

とは言え、いつまでもこれでいいというわけでもなく。いつか、落ち着いて話ができるようになる時が訪れてほしいとは思っている。
それが今ではないだけで。
今は胸を張って向き合えなくても、死ぬ間際まで嫌な関係を続けていきたいわけでもないのだ。



「出掛けたみたいだな」

「うん」

「姉ちゃん、何か言ったの」

「え?」

「何か、あいつらが気まずくなるようなこと。…オレも暴いたけど。それでも帰ったらまたでかい顔して吹っ掛けられるかと思ってたから」



拍子抜けだとでも言うように、制服の上着だけ脱ぎながら首を捻る弟の言葉に、出掛けの自分を思わず振り返って苦笑する。



「言った……のかな?」

「何それ」

「うーん」



私にしては、思いきった行動に出た自覚はある。生まれて此の方、反抗という字とは無縁に生きてきたのだ。
けれど、今この瞬間にも、後悔する気持ちは欠片も芽生えない。



「私の家族は颯だけ…って、宣言はしたけど」



その程度の言葉が、彼らに傷を作るだろうか。罪悪感を引き出せたのなら、まだ希望はあるけれど。
少なくとも、気まずさを覚えて出ていってくれたのなら、いい。そう思う私は、汚れている。



「…それ、相当効けただろ」



僅かな間、目を見開いたたった一人の家族は、面白がり馬鹿にするような皮肉げな顔付きで、小さく噴き出した。









次の日は、二人で過ごすいつも通りの朝が待っていた。
少しだけ後に起きてくる弟と、同時にテーブルに着いて向かい合う形で朝食をとって。都合よく部活の朝練が無い日だったらしく、空いた時間で家事を手伝ってもらえたおかげで一緒に家を出ることができた。

途中までは同じ通学路を、特に急ぐこともなく並んで歩く。
何も言わなくても歩幅も歩調も合わせてくれる弟の隣で、確かに失われなかった温もりに胸を押さえて安堵した。



「颯、私ね」



それまで続いていた会話が途切れたタイミングを見計らって、呼吸を深めた。
冷えた空気は覚醒を促すだけでなく、吸い込むと肺の中まで清浄してくれるような気がする。それが有り難い。
どくりどくりと騒ぐ鼓動には、落ち着かない気分にさせられるけれど。

それでも、大切なことは隠さないと決めた。綺麗に見せ掛けるための嘘も、もう吐かない。
虚勢は無駄で、誤魔化してはいけないこともあると、解ってしまったから。



「私ね……好きな人ができたの」



颯が一番だと、本当はもう随分前から胸を張って言えなくなってしまっていたの。
重い言葉にしたくなくて、最後の方が少しだけ早口になった。

順位付けなんてできなくなるくらい、どうしようもなく、心に居座る影がある。
白状しながら、返ってくる答えに僅か、怯える気持ちもあった。

傷付けてしまったら、どうしよう。
想いの形は全く違う。一番や二番が決められなくて、大事な颯に裏切りだと思われてしまったら……見放されることはなくとも、その事実が繊細な心を傷付けてしまわないか。それだけが何よりも、心配で。



「知ってるけど」

「…えっ」



心配で……いたのだけれど。
あっさりとした響きで返された声に、私の方が驚いてぽかんと口を開けてしまった。

ちらりと顔だけで振り向いた弟は、確かに動揺した様子はなく、何を今更と言わんばかりの顔付きで肩を竦めてみせる。



「知ってる。ていうか、姉ちゃんより先に気付いてたと思うけど」

「え…えっ?」



知ってる…知ってた、って……それって、いつから?



(私より先にって)



どういうこと。

呆然として足を止めそうになる私の背中を軽く叩いた弟は、正面に顔を向け戻すと白い息を吐く。
知ってたけどさ、と続ける声は、妙に淡々としていた。



「姉ちゃんの好きにすればいい…って、言わなきゃいけないと思ってた。自分に言い聞かせるみたいに、ずっと」

「颯…?」

「オレは姉ちゃんの弟で、そうとしてしか生きられないから。嫌われたら世界が終わるようなもんだって、思ってたんだよ。だから、かなり……言えなかったこと、あるよな」



同じだ。重なる気持ちを、私は身をもって知っている。
突然の告白に狼狽えかけていたのに、意識を引き戻される。

面倒だと鬱陶しがられたり、嫌われてしまったら今度こそ、世界に一人きりで残されてしまうと思っていた。
私達は、血の繋がりは中途半端なのに、思考回路だけそっくり似ているところがあって。
言えなかったことがたくさんある。言うべきことなら、曝け出さなくてはいけないのに。
そう思って、今私が漸く自分と向き合った答えを紡いだように、颯には颯の答えがあって。根っこの本音を、今初めて溢してくれているのだと分かった。



「本音を言えば、結構、相手が誰であっても取られるのは嫌だ。黒子さんは悪い人じゃないだろうけど、オレだって姉ちゃんを大切だと思ってるし、気持ちは絶対負けてない」

「私も、颯が大切だよ。その…種類が違うけど」

「ん。だから…結局オレは、家族として切れない繋がりも持ってたらしいから。姉ちゃんが自分の幸せをちゃんと掴めるなら、それでいいって…今はちゃんと納得できるよ」

「…ありがとう」



溜息と共に、奥底の気持ちを言葉にして吐き出してくれた弟の横顔は、少し寂しげではある。けれど、悲しむような様子はなかった。
じんわりと胸を温めた熱が、競り上がって涙腺を弛ませそうになるのを堪えた。

私の弟は、きっと世界一優しい子だ。



「でも、あの…取られるとかは…相手次第だから、そんな早まった覚悟はいらないと……」



というか、好きな人がテツヤくんだということについては、バレバレなわけですか……。
どこから知られていたのかは分からないけれど、明け透けであったとしたら…恥ずかしすぎる。そんなに私は分かりやすかっただろうか。

溢れそうになった涙は堪えきれても、かっかと熱を持つ頬はどうにもできない。
少しでも隠したくて手を当てていると、いつの間にか物言いたげな視線が横から飛んできていた。



「……」

「な、何…?」

「姉ちゃんって……」



颯の方からこんなに呆れたような顔を向けられたのは、初めてのことのような気がする。

本当に、何?
狼狽えながらも再度問い掛けてみたのだけれど、はっきりとした答えは返されなかった。



「……まぁ、いいか。それはそれで喜ばしいし」

「な、何が?」

「別に。ゆっくり弟離れすればいいんじゃない」

「はい…?」



何が言いたいんだろう。よく解らない。
またすぐに前を見つめ直した弟は、それ以上は語る気はないという風で、追究させてくれそうにない。
何だかモヤッとした疑問が残ったものの、話す気がないのなら仕方がない。悪いことではなさそうだから、代わりにもう一つの言葉を辿ることにした。

弟離れ、か。
呟いてみると、ほんの少し、胸の中に隙間風が吹き込む。



「中々…難しそうだなぁ…」

「オレから姉離れした方が手っ取り早そうだよな」

「…それは、寂しい」

「今からそれでどうすんの」

「だって…」



颯も、大好きな弟なんだもの。

そんなに簡単に切り換えられない、と唇を尖らせると、またもや大きな溜息を溢された。



「天然たら……」

「え? 何?」

「…何でもない」



さっきから微妙に目が合わない気がするのは、私の気のせいだろうか。
何となく、また何かを誤魔化されたような…。

訝しく思う気持ちが表情に出てしまっていたのかもしれない。閊えていたものが取れたように、感情の起伏が表情に現れやすくなった弟は、それでも今までにも見てきた変わらない穏やかな笑みを浮かべた。



「姉ちゃんは、そのままでいいと思うよ」






転生の日




何かが変わったのかもしれないけれど、何も変わっていないような気もする。
少なくとも学校生活にはこれといった変化もなく、普段通りまっすぐ教室に向かって歩いていたところ、辿り着く前に声を掛けられた。

なつるさん、と柔く空気に溶けるような声を、聞き間違えることはない。



「おはようございます。昨日は大丈夫でしたか」

「っ……テツヤ、くん…」



彼の所属クラスを、通り過ぎようとしていたところだった。
ちょうど扉の傍にいたのか、廊下まで出てくる影に、ついぎこちなく身を固めそうになる。

近付いてくる彼の方は何も変わらないのに。やっぱり私に関しては、変わっていないわけではなかったようで。
トクリトクリと速度を増す血の流れを、首元に感じて息が詰まりかけた。



「…よかった。調子は悪くなさそうですね。天候も雨だったから、心配してたんです」

「あっ……ごめんなさい。あの後連絡も何もしないで…彼方くんのことも、呼んでくれたのに」

「いいえ…ボクこそ、直接助けになれなくて」

「ううん」



バタバタしていたし、完全に落ち着くまで時間がかかったから、昨日の内にお礼を言えていなかったのだ。
慌てて頭を下げれば、僅かな苦笑と一緒に首を横に振った彼に、私も同じように否定を返す。

助けにならなかったなんて、とんでもない勘違いだ。



「テツヤくんは私に、勇気をくれたよ」



崩れてしまって不安定になった足場を歩くのに、とても心強い支えになった。
あなたの言葉は、心は、私をいつもあたためてくれる。
今この瞬間にも、生まれる温もりが身体の末端まで広がっていくくらいに。

じわじわと侵蝕してくる感情の誤魔化しは利かない。誤魔化す必要も、ないのだと分かった。
透き通り、奥まで見透かせてしまいそうな色の瞳を真っ直ぐに見返して、気持ちをそのまま取り出すと浮かんでくる笑顔を、そのまま彼に向ける。



「本当に……ありがとう、テツヤくん」



あなたがいてくれて、よかった。
目を瞠る彼を見上げながら、芽生える気持ちを初めて、肯定できた。

私はこの人を、好きだと思う。
どの瞬間にだって、好きになってもいい。この世界は思っていたよりは甘くできていると、知ったから。

20150103.

prev / next

「#ファンタジー」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -