incidental | ナノ


急に飛び出していったのだから、所持金はあってもそう遠くへは移動できないはず。
一応携帯に着信を入れてみても、案の定コール音が虚しく響くだけだった。そもそも、持って出る余裕なんてなかったように見えたから、期待はしていなかったけれど。



(持ってても出ないだろうけど…)



どこにも行き場がなくなった時、どう出るか。幾つかのパターンが想像できるくらいには、私は今まで傍にいて、弟を見てきた。
寂しい時、苦しい時、悲しい時。震えが走る身体を寄せあって、誰よりも傍で熱を分け合うように過ごしてきたのだ。
嬉しい時や楽しい時が全くなかったわけでもない。全てを間違いだったと思うには、私と颯が必死に繋いできた日々はあたたかく、優しすぎるものだったことを、ここに来て漸く思い出す。

弟ができた日。なくしてしまった家族の繋がりを得て、歓喜にうち震えた日。不安を圧し殺した目をしてカーテンを掴んでいた手を、包むように触れた日。
あの日の誓いは確かに、寂しさを消したい私の贖罪のようなものでしかなかった。
幸せにしよう、だなんて、傲慢にも程がある願い事だ。明確な形にして与えられるものでもなかったのに、自分の手にした温もりを手離さないために、自分が捨てられてしまわないために、必要とされるために必死だった。けれど。
それでも、いつまでも自分の寂しさを埋めるために、あの子を大事にしてきたわけじゃない。

颯は賢く、優しい子だった。私の卑しさに気付いているはずなのに、離れていったりはしなかった。もしくはあの子も私と同じで、自分の中にぽっかりと開いた空洞を埋めるために、必死だったのかもしれない。
誰かに大切にされたくて、誰かを大切にしたくて、人を愛せる人間になりたくて。
だから、始まりがどんなものでも、間違いなく気持ちは伴っていった。徐々に、切り離してしまえないほど募っていった。



(大丈夫)



速足で居場所を探す息苦しさはあっても、胸の苦しさに絶望的な冷たさは混じらない。

だから、今壊れてしまったとしても平気だと思える。
出逢った日からここまで歩いてきた時間は、無意味なものじゃない。



(やめられない)



やめたいならやめていいと、あの子は言い捨てたけれど。“家族”は切ろうとして切れるような縁じゃない。なってしまえば、死ぬまで変わらないものが必ずある。
きっと、完全な終わりは来ない。歪でも、不自然でも、私は……私達は。



「…見つけた」



雨足は強まり、髪から顔に伝う滴を払う意味もないほどになっているけれど、大して不快にも思わなかった。

小さい頃、まだ颯が家に来て間もない頃に、家から連れ出してよくやって来ていた近所の公園。土管に腰かけて身動ぎもしない影に近付くと、私の声を聞いてぴくりと肩が揺れる。
昔なら、中に入って身体を隠すこともできた、子供の遊び場。今はもう隠れられないほど、背も伸びて身体も大きくなった。



「颯…迎えに来たよ」



帰ろう。

そっと、地面を叩く雨の音に負けそうな声で促す。
曲げた膝に肘を置き、項垂れている身体の正面に立てば、持ち上がらない首が左右に揺れた。

ゆらゆらとした動作に、ああ、と意味もない溜息を溢す。
疲れてしまったのかもしれない。私だって疲れるのだから、颯だって同じくらいには草臥れているはずだ。
賢いから繊細で、傷付きやすい。この子も耐えきれなくなったのだと、心の底まで納得できた。

それなら、それでいい。
疲れてしまったのなら、休んでもいい。投げ出してしまってもいい。



「帰ろう、颯」

「……」

「大丈夫だから」



大丈夫。投げ出してしまっても、途切れて何もかも終わってしまいはしないから。
寂しくて辛いことがあっても、私もあなたも、いなくなったりしないから。



「……帰らない」



力なくぶら下がる手先を掴んでも、振り払われはしなかった。
代わりに、今度ははっきりと言葉で拒絶を受ける。



「出ていけっていう奴がいる場所が、家なんて、おかしいだろ」



弱りきった声だった。もう動けないと訴えるような。
今までなら、そんな姿を見てしまった時点で諦めていたかもしれない。
声が、言葉が届かないと、自分の存在のちっぽけさに怯えて、傷付かないために身を引いていた。



「もう…嫌だ」

「駄目」



けれど、今は。
何もかも壊れる寸前に立つ今、胸に浮かび上がる気持ちは一つきりだった。

私は、颯の姉でありたい。
疲れたなら休んでいい。だから、そのための居場所を保っていたい。



「颯は私の、大事な家族なの」



じわじわと保っていた身体の奥の熱が、堰を切る。溢れる。
詰まりそうになる息の所為で、ひくつく喉から出る声までおかしくなってしまいそうで。



「だから、帰らないなんて言わないで……っ」



いいや。



(違う)



一度吐き出した言葉を吟味する前に、今朝聞いたばかりの友人の言葉が頭に響いた。



『じゃあさっさと謝るか…どついてやればいーんじゃないかな』



彼女は、軽い調子で言ってくれた。けれど、それこそ一番正解に近い助言だった。
溜まる唾を飲み下し、その場にしゃがみこむ。俯いて見えない弟の顔を、できる限り覗き込めるように。



「違う。間違えた……帰りたくなくても、引きずって帰る」



その瞬間、私の発言に驚いたように揺れた瞳が、漸くこちらを向いてくれた。



「…姉ちゃんじゃ、物理的に無理」

「でも連れて帰る」

「……言ってること、滅茶苦茶だろ…」



呆然と、さっきまでとはまた少し違う力の抜けきった声が返される。
呆れたような響きに、ささくれかけていた私の心は少しずつ柔くなっていった。



「うん。でも、言えなかったことも全部言うって決めた。今からちゃんと、向き合うって」



ほら、やっぱり。大丈夫だ。
消えてなくなったりしない。言葉が届かないほど遠くになんて、私達は行けない。



「家には私がいる。私、ちゃんと、颯のお姉ちゃんになるから」



完全に繋がりがなくならないなら、今まで積み上げた欠片があるなら、また繋いで、積み直せる。



「帰るよ、颯」



不安になる必要もないくらい、私達にはお互いが必要だ。
歪さを正そうと必死にならなくても…当たり前に。もう、ずっと前から大切で、必要な家族だった。

きちんと繋いだ手を引っ張ってやれば、数秒の間目を瞠ったまま動きを止めていた颯の口から、大きな溜息が吐き出された。



「…仕方ないか」



さあさあと響く雨に遮られながらも、聞こえた声は僅か、鼻に掛かっていたように思う。

姉ちゃんがいるなら、帰らないと。

諦め笑うように紡いだ弟の顔を、それ以上覗き続けるなんて無粋な真似はしない。
空を覆い隠した鈍い色の雲に、今だけは感謝して。私も、歪みそうになる表情を笑顔に変えて頷いた。






過ぎし贖罪




「お前らなぁ…仲直りするのはいいが、傘もなしに雨の中飛び出すんじゃねぇよ」



揃って風邪引く気か。

地域公園から弟を連れて、家へ帰ろうと足を踏み出した時、聞き慣れた声に足を止めさせられた。



「…彼方」

「何で、彼方くん」

「黒子から連絡あった。こんなこったろーと思ったよ。揃って考えなしな奴らめ」



いつの間に連絡先を交換していたのか。
振り向いた先、家に繋がる方向の道に傘を差す幼馴染みが立っている。
わざわざ連絡を入れてくれたテツヤくんにも驚いたけれど、彼方くんも彼方くんですぐに飛び出して来てくれたのだろう。制服を濡らしている姿に、迷惑をかけ通しだと改めて思い知らされた。

ああ、情けないなぁ。
でも、それ以上に、嬉しさの方が大きいから少し困る。



「走り回った所為で傘の意味なかったし…くっそ」



オレまで風邪引いたらお前らの責任だからな、と文句を言いつつ、二人は入れそうな大きな傘とタオルを投げ渡してくれる。そのあべこべさがおかしくて、つい笑ってしまった。

こういうところがつくづく、お兄ちゃんらしい。
私達は何だかんだ、周囲に恵まれているのだ。



「彼方」

「あ?」

「ありがと」



受け取ったタオルを頭に被りながら、ふと顔を上げた弟が珍しく素直な感謝を口にする。
普段は目の敵にされることが多いため、一瞬かちん、と石になってしまった幼馴染みは、少ししてぎこちなく頷きを返した。



「お……おお? どうした? まさかもう風邪引いた? 熱か?」

「そういう茶々入れウザ過ぎんだけど」

「一瞬かよ! もっとデレろよ、オレだってめちゃくちゃ心配したんだからな!!」

「それは知ってる」

「お、おー……何だお前、どういうテンション?」



髪から顔にかけての水気を軽く拭き取りながら、私一人だけが頬を弛ませていた。
戸惑って頭を掻く彼方くんと、顔を逸らしてしまった颯を見比べて。

二人だけでは穏やかに会話が続かない。ついでに、気持ちも伝わらない。
間に入って疎通を図るのが、私のいつもの役目だった。



「感謝してるんだよね」

「……ある程度は」



笑って促してやれば、苦い顔をしながらも弟は受け入れる。
そしてそんな姿を見た幼馴染みは、調子に乗るのだ。



「ほーお、へーえ?…ある程度ねぇ…?」

「煩い」

「煩いほど喋ってませーん」

「………姉ちゃん」



持ってて、と見た目だけ優しい笑顔を浮かべた弟から傘を任され、程々にね、と苦笑を返す。
この流れは身に染み付いていそうなものなのに、にやにやと唇を歪めていた懲りない幼馴染みに、近付いていく背中はもう、頼りなく小さなものには見えなかった。



「しまっ……ちょっ、待て待て今外! 雨! 濡れる風邪引く!!」

「もう濡れてるからいくら濡れようと一緒だろ」

「感謝の気持ちはどこ行った!?」

「使い果たした」

「少なすぎだろ…っ!!」



年上にはもっと敬意を!、という焦り声の訴えはすぐに悲鳴に変わって響き渡った。
住宅街から少し離れて、雨も降っているから、近所迷惑にはならないだろう。楽観的にも状況を確認して、幼馴染みの手から落ちてしまった傘も拾っておく。

程々であれば、可愛いスキンシップの域。この手のじゃれ合いになら慣れきっている。
どれくらい待ってからストップをかけようかな…と考える私の心は、憑き物が落ちたように穏やかなものだった。

20141226.

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