incidental | ナノ


道を遮るように閉ざされてしまった扉を、呆然と見つめることしかできなかった。
離れていった背中をすぐに追い掛けられなかったのは、出ていけ、という母の言葉が頭の中で反響してしまっていたからだ。

颯が責めらる謂れが何処にあるのか。どうして、追い出すようなことを言うのか。
凍り付いて鈍った頭で考えてみても、全く理解が追いつかない。



「…なつる。帰っていたのか」

「……お父、さん?」



どうして、いるの。

リビングより手前、玄関近くにある階段を、下ってきた影に声を掛けられる。
ぎこちなく首を動かして見上げれば、そこには先に帰宅していたらしい父が、平然とした顔で立っていた。



(どうして…)



どうして、そこまで落ち着いた顔でいられるのか。
今降りてきたということは、ずっと二階にいたのだろう。あれだけの声量なら、自室にいたとしても二人の口論は聞こえていたはずだろうに。
止めに入るつもりは更々ないと言わんばかりの態度に、私の腹部がぐつりと、音を立てたような気がした。



「お父さん、颯が、飛び出して行っちゃったの」

「らしいな」

「…落ち着いてられることじゃないよ」



らしいなって、何。何、それ。

湧き上がる熱に、吐き気を催す。
あんなに酷いやり取りを見てみぬふりをして、出てくる言葉はそんなもの…?
悪意を向ける対象を間違っている母も、おかしいけれど。自分の起こした間違いから、子供を隠れ蓑にすることで逃れる父のことは、殊更に理解できない。赦せる範疇を超えていた。

この人は、颯の父親なのに。
勝手に振る舞うだけ振る舞って、昔から一度だって、庇いもしない。
身を挺するどころの話じゃない。言葉一つも惜しんで、目を逸らして。



「探しに行かないと」



今にも激しい非難を浴びせたくなる気持ちを、拳を握り締めることで堪えた。

そんなことをしている場合じゃない。
ああまで言われて、あの優しい子が、平気なはずがない。
出ていく瞬間の傷付ききった弟の表情を思い出すと、本当に帰ってこなくなってしまいそうな予感に胸の中がざわざわと騒いで、じっとしていられなかった。



「右も左も分からないような子供じゃないんだ。警察にでも連絡しておけばいい。どうせあれも、帰る家はここしかないんだからな」

「お父さん…」



踵を返そうとしたところで、待て、と引き留めてくれた父に、大きく息を吸い込みながら一度だけゆっくりと振り返った。

最低、最悪だ。
どこまでも、親という存在のイメージを底辺にまで落としてくれる。
こんな人のために傷付いてきた時間が、今更に勿体なくて仕方がないと心底思ってしまった。



(もう、駄目だ)



ここまで瓦解してしまっては、修復なんて夢のまた夢。
壊れてしまわないよう、今の今まで辛うじて守り続けてきた家族の形を、支えていた手も意味がなくなった。

私は、知らないふりをし続けていた。
いつしか目も合わせなくなり、家に帰ってくる日が極端に減った両親。幼い頃から掛かってきていた無言電話からは、その内女の声が発せられるようになり、嫌がらせのように父の動向を知らせてくれるようになった。
母が同僚という男を引き連れ、出張に出る機会を増やしていったのも同じ頃だ。

分かっていた。解っていて、気付いていないふりをし続けていた。
気付かずにいれば、いつかは綺麗な形に戻れる日が来るかもしれない。二人が家庭を振り返り、私や颯と向き合って、大切に想ってくれる日が訪れるかもしれない……なんて。



「馬鹿みたいね」



信じていたかったの。
追及してしまえば、なんとか形を保っている家族が、二度と手の負えないところまで崩壊してしまうと分かっていたから。
だから今まで、目を閉じて耳を塞いで、頭も心も鈍く保つようにしてきたのに。

視界が歪むのは、悲しいからだと思いたくない。
こんな人達のために、傷付きたくない。壊されて、戻れなくなるなら、せめて私の方が先に見放してやりたかった。
これ以上、私は愚行を起こしたくない。我儘でも卑怯でも、それは本質だから構わない。今は目を瞑る。けれど…



(このままじゃ)



弱く頼りなく何もできない、取るに足らない子供だと思われたままで、いられない。いたくもなかった。
生きて、自分で考え決断できる、たった一人の人間だと思い知らせたかった。



「なつる…?」

「不自由ない暮らしをさせてもらっていることには、感謝してる。何が起ころうと私や颯の両親が二人だってことは変わらない」



泣くな。絶対に、泣いたりしたら駄目だ。

涙が落ちないように目を見開いて嗚咽を殺し、冷静を取り繕った声を出す。
ほんの僅か、戸惑う様子を顔に出した父に、生まれて初めて逆らうために。



「だけど、私が大事だと…家族だと思ってるのは、ずっと颯、ただ一人だけよ」



だから、私は探しに行く。
あなた達のように大切なものを見失う、いい加減な人間にはなりたくないと思うから。

それだけ吐き捨てて飛び出した外、既に暮れきった空は曇っていた。
ぽつぽつと落ちてくる雨は私に優しく、堪えきれずに溢れ出した涙を都合よく隠してくれた。






瓦礫の下に光る星




雨脚は徐々に強まり、制服を濡らしていく。傘を取りに戻る時間も惜しく、弟の行動範囲を必死に思い浮かべながら家の近場を探している最中のことだった。

ポケットに仕舞っていた携帯が、震えた。その時にもう何かしら、期待する気持ちがあった気がする。
辺りで雨を避けられる場所を探し、表示された名前を見た瞬間、強張りきっていた私の心はぐずぐずに解けてしまった。



「もしもし…テツヤくん…っ?」



狙ったようなタイミングだった。
いつだってそうだ。彼は二進も三進もいかなくなった私の前に現れて、温かな手を差し伸べてくれる。
だから、いつも縋らずにいられない。
平静を保つのが難しく、少し声が震えてしまうのが自分で分かった。



『こんばんは、なつるさん……外にいるんですか?』

「うん…外」

『もう結構暗い時間ですけど。雨も降ってますし、風邪引く前に家に帰った方が』

「分かってる。けど、今、大事な用事があって」

『…何があったんですか』



私はそんなに分かりやすいのだろうか。もしくは迷惑をかけ通しということか。
電話越しのテツヤくんの声が一瞬で真剣なものになって、一度は締まったはずの涙腺がまた弛み始める。

今日は学校で会えなかったから、どうしているか気になっていたのだ、と。
形だけでなく、心から心配してくれていると分かる言葉を聞いて、冷たく冷えきっていた胸の奥にじわじわと熱を取り戻せた気がした。



「颯が、出ていっちゃったから…私が探さないといけないの」

『颯くんが?』

「酷いこと、言われて。きっと傷付いてるから。私が行かないと」



あの家に、味方はいない。守ってくれる人が存在しないことは、ずっと小さな子供だった頃から自覚していたことだ。
私には颯しかいなくて、颯には私しかいなかった。
それなのに、私は誤った。大切にしたかった颯を、きちんと引き留めて抱き締めてあげることができなかった。



「テツヤくん…私、駄目にしちゃった」



両親が親として失格なら、私だって姉としては失格だ。
大事なものを守り通せない。我儘ばかりを振り翳して、周りを巻き込んで失敗して。

けれど、それでも。



『しっかりしてください』



それでも、諦められないものは一つだけ、まだ私の中に残されている。



『なつるさんは、颯くんのお姉さんでしょう』



口調は叱るものなのに、彼の声はどこまでも優しく、凍えそうになる心臓を包み込んでくれる。



「うん…っ」



うん。ありがとう、テツヤくん。

涙声を、彼に対してだけは誤魔化さなくていいと思えた。弱くて卑怯で我儘な私のことを知って、見放さないでいてくれる彼という人にだけには。
何もかも曝け出してしまっても、いい。そんな安心感が、強く背中を押してくれる。



「私は、今の形が駄目になっても…この先も颯の姉で。家族で、ありたいんだ」



ごっこ遊びでも何でもなく、家族になりたい。家族でいたい。
大切に思う気持ちは嘘じゃない。それを忘れたりしない。
歪さを取り繕い、形を保つ必要はない。どうせ跡形もなく崩れてしまうなら、もう、そう思ったって構わないよね。



『いってらっしゃい。気を付けてくださいね』



無茶だけはしないように、と釘を指してくれる穏やかな声に頷いて、通話を切った携帯を一度ぎゅう、と胸に押し当てた。



「大丈夫」



呼吸を整えて、呟く。

少し前まで燻っていた怒りも、張り付いていた恐れも、消えていた。
最後に残ったのは、とてもシンプルな一つの事項だった。

20141224.

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