incidental | ナノ


いつまでも、終わらない幸せを抱き締めていたかった。
本当は最初から掌に掴めていないと、知っていたものだから。終わりが来た後にどうなってしまうかが、恐ろしくて堪らなかった。
何が残るのか、分からないから。何も残らない未来が、一番鮮明に想像できたから。

全て、臆病で卑劣な私の我儘で始まってしまったこと。ならば幕引きまでが、私の役目になるのだろうか。
始まりから終わりまで、いつだって、大切にするべき人を傷付ける刃物を振り回していただけだった。
それを自覚しても、自分が変われない。変わろうとしないなら、何の意味もないのだ。






「……ああ」



やっぱり。

吐き出した息と声の中に、落胆が混じる。それすら身勝手なものだと自分で思った。
普段通りに準備した朝食は、一人分余ってしまったようだ。いつもなら私が家事にばたつく中、先に席に着いている弟の姿がある。それが、今日に限って見当たらない。
洗濯物を干している間に玄関の扉の音を聞いた気がしたから、恐らくその時に出てしまったのだろう。辛うじて、既に中身を詰めてあった弁当の方は、持っていってくれたみたいだけれど。

顔を合わせて食卓を囲むのは、無理ということか。
言葉で表されても悲しくなるけれど、態度に出して拒まれるのも中々虚しいものがあって。苦く込み上げる思いに、無意識に唇を歪めていた。



(自業自得…だけど)



一人、椅子に腰かけてみると、部屋の広さを実感する。
テレビから流れるニュースキャスターの声だけが賑やかな音となり、寂しく静まった空気を強調するよう。口に運んだ料理は祖母が亡くなってすぐの頃を思い出す、味気無さだった。






 *




「何かあった?」

「…え?」



どれだけ自分が迷走していようと、周囲の環境が変化することはない。
普段通りを装い登校した学校で、顔を合わせた友人は他愛ないやり取りの後に、訝しげな顔を向けてきた。



「何がどうってはっきり言えないけど…元気ないよ、なつる」

「…そうかな」

「うん。何か疲れてる」



口に出してみてから自分の発言に納得するように頷く歩ちゃんに、思わず苦笑が漏れた。

よく見てるなぁ、なんて。
いつも明るく裏のない性格をした彼女は、私には勿体ないくらい優しい、いい友人だと思う。
たまに羨ましくて、少し眩しい。私にはきっと、彼女ほど余裕をもった性格にはなれない。誰かを気遣ってみたところで、自分の置かれた状況が一番重苦しくて、重要でもあるのだ。



(優しい…)



優しいと思う。そんな人も、ちゃんといる。
友人も、幼馴染みだって、間違いなく心根のいい人だ。分かっている。
解っているから、嫌われて離れられてしまいたくない。そう思うからこそ、泥に塗れた暗い悩みは具体的な部分をひた隠してきたのだ。
普通じゃないと思われるのは、怖い。奇異の目で見られるつらさを思い出したくない。
幼馴染みに関しては、隠すにしても限界はあった。けれど、できることなら親しい人には、私という人間の底を覗き込んでほしくはなかった。
それは、彼女も同じだ。



「何でも…ないわけじゃないんだけど」

「うん」

「聞いて楽しい話じゃないし、話したところで解決もしないと思うんだ」



困らせて、気遣わせてしまうだけなら、重すぎる相談なんて持ちかけない方がいい。
軽く、楽しく、笑っていられるだけの関係。その方が好まれるし、楽でしょう?

誰だってそうだ。面倒臭いものに進んで関わろうとするなんて、物好きのすること。だというのに、私の言葉を拾った友人は不満げに眉を顰めて、これ見よがしに溜息を吐いてくれた。



「なつるはさー、なんか、私のこと信用してないのかな?」

「…え? いや、そんなこと」

「あるよね。そりゃー私基本バカだし、相談持ちかけられても解決まで導けないかもしれないけど!」

「そっ…そんな、私そういう意味で言ったんじゃ…っ」

「いや、本当。なつるが何かありそうな時何も言わないのは、私が力になれないって分かってるからなのかなー…とか、考えたりもしたんだけどさぁ」

「歩ちゃん……」



意味がないからと、何も話さない私のことを、そこまで気にして考えてくれているなんて知らなかった。

椅子に後ろ向きに座って、私の机に置いた腕に顎を埋めながら言葉を選んでくれている友人の姿に、知らず両唇を噛む。
嬉しい。友達として大切に想われているのは、自惚れじゃない。じわりと熱を持つ目蓋に、慌てて少し首を反らした。



「力には、なんないかもしれないけどさ」

「…うん」

「愚痴とか…ちょっと吐き出したい時とか、聞くくらいはできるんだからね」



まぁやっぱり、それじゃ何の役にも立たないわけだけど。

渋い顔で呟く歩ちゃんに、首を横に振って返した。
似たようなことをテツヤくんにも言われたことを、同時に思い出す。



(何の力にもならない…?)



そんなわけがない。
目蓋を熱くさせる、喉を引き攣らせるだけの思いが競り上がってくる。それは明らかに、彼らのくれた言葉から伝わる思いによって。



「私は周りに恵まれてるね…」

「なーに…急に元気出ちゃって」

「うん。嬉しいなぁと思っちゃった」

「お。ちょっとは何か話す気になった?」



くるん、と丸い目で見上げられて、答えに迷った。少しは考えるようになっただけ、自分にしてみれば随分進歩したような気がする。
気がするだけかもしれないけれど。少なくとも、彼女が思うよりは私は彼女のことも信用できるのだと、実感することはできた。

大切にしてくれる人を、私も大切にし返したい。素直にそう思う。



「ちょっとだけ、だけど」

「いいよ、ちょっとずつで。可愛いなつるのお話ならきっちり聞いてあげましょう!」

「うん。ありがとう」



にっ、と向日葵のような笑顔を浮かべる友人に、身体から無駄な力が抜けていくような気がする。
そのまま、重かったはずの悩みは弛んだ唇からするりと外に滑り出た。



「簡単に言うと…弟と、喧嘩したみたいな感じになっちゃったの」



大きすぎる、前提にある事情までは、まだ語る勇気はないから包み込んで。
簡単に現状の悩みを吐き出せば、ふむふむと前後に首を振った歩ちゃんがすぐに目を瞠る。



「…ん? 弟くんって滅茶苦茶なつるに甘くなかった? なつるもだけど」

「うん。優しい子だから…私が甘えすぎたんだって、解ってるの」

「ふーん…普段仲良いから変に拗れちゃったとか?」

「そんな感じなのかなぁ」



普通の家庭に置き換えると、そういう風な悩みになるのかもしれない。気軽に喧嘩できる兄弟なら、一々傷付いたり後悔したりもしないんだろう。
羨望を覚えもするけれど、私には到底そんな関係を築けそうにないな…と、ぼんやり思っていた最中だった。

徐に顔を上げた歩ちゃんが、考えもしなかったような発言を溢したのは。



「じゃあさっさと謝るか…どついてやればいーんじゃないかな」



前半は、別によかった。不用意に傷付けてしまったことを悔やんでいるのだから、私だって早めに謝りたいと思っている。
けれど、後に続いた内容を聞き逃すこともできない。



「どつ…どつくのっ!?」



つい、席から立ち上がりかけてしまって、慌てて座り直した。
まだ騒がしいホームルーム前だからよかったものの、抑えられなかった声も恥ずかしくなって肩を縮めてしまう。
そんな私を気にもしない歩ちゃんは、当然と言わんばかりのきょとんとした顔を傾ける。



「え? だって家族だし。わざわざ謝んなくてもいい時はいいでしょ」

「そ…そんなもの…?」

「私はね。なつるは遠慮しすぎな気がするよ」



律儀っていうか、真面目すぎるっていうか。
もっと適当に我儘やっちゃっていいんじゃないの。

今でも充分、愚かなほど我儘を振りかざしているはずの私を、からりとした笑顔を浮かべた友人は唆した。






形骸




一つ倒れれば、後は総崩れ。必死に並べてきたドミノを終わらせるのは、ひどく容易なことだ。



「見ないふりしてるから余計惨めになるんだろ」

「うるさい!」



帰宅してすぐ、リビングから漏れる明かりに一瞬で嫌な予感を覚えた。
そして聞こえてきた、二人分の言い争う声に肺の中の空気を奪われていく。

今日は、両親が帰宅する日だったらしい。自分のことでいっぱいいっぱいになっていたから、忘れていた。
悪すぎるタイミングだと、溜息を吐くこともできない。関わらずに自室に向かうべきか、母と弟の口論を止めに行くべきか。逡巡して玄関に立ち竦み、靴も脱がずにいた数秒の内に、聞こえてくる声はヒートアップしていく。

いつだって、後悔は先に立たない。
そのことを私は知っていたはずなのに、肝心な時ばかり忘れてしまうのだ。



「無言電話も浮気の報告も、飽きるほど繰り返されたことだけどな。そもそも仕事だけであそこまで家を空けるなんてことあるわけないだろ」



弟の物言いに不穏な要素が混じっていることに、気付くのが遅すぎた。
耳に届いた声の鋭さ、語る内容に吸い込んだ息に噎せかける。



(うそ)



嘘。嘘だと思いたかった。吐き出された軽蔑の滲んだ弟の声を、一瞬静まって聞こえなくなった、母の声を。
がらがらと、硬くて大きな何かが崩れ落ちるような音が、頭の中に響く。

気付いてはいけない。気付いていることに気付かれてはいけない。
心も頭も鈍くして、やり過ごさなければいけなかった。何よりも触れてはいけなかった秘密に、手を掛けた颯を、信じたくなかった。

だって、それを口にしてしまったら。
今よりずっと、家族の形は崩れてなくなってしまう。



「あいつもあんたも同じようなものだ。姉ちゃんだって何も言わないだけで、気付いてるし呆れてる」

「うるさいって言ってるでしょう!? 大体、あんただってそーやってできた子じゃない!!」



ふらついた足の所為で、閉じたばかりの扉に背中がぶつかった。がたん、と響いた音は、彼らには届かなかったらしい。



「そうよ。あんた、誰のお陰で暮らせてると思ってんの? 私が許してやらなきゃこの家にもいられなかったんだから!!」



手にしていた鞄が、床に落ちる。指先まで走る震えもどうにもできず、耳を塞いでも現実は遮りきれない。

やめて。
口を動かしてみても、かすかすとした息が喉から漏れるだけだった。

やめて。もう、聞きたくない。何も言わないで。
これ以上は。



「出ていきなさいよ! あんたみたいな可愛いげない子供、世話する義理なんて私にはないんだから!!」



陶器の割れたような音がヒステリックな叫びに合わさって、耳障りだった。
同時に荒々しく開け放たれたリビングのドアから飛び出した人影と、目が合う。



「……っ」



唇を噛み締めて、どろどろと淀んだ怒りを目に浮かべた弟は、一度繋がった視線を切り離すように私から顔を逸らし、身体だけこちらに向かってくる。



「は、やて…」



凍り付いて動けない私の横を通り過ぎ、足先に靴を引っ掛けると扉の取っ手に手を伸ばす。
嫌な予感、どころの話ではなかった。その瞬間にざっと、全身の血が抜け落ちていくような感覚に襲われた。



「颯…っ!」



伸ばした手は動きが鈍すぎて、離れた背中、服の端すら掠りもしない。
追い掛けようとした目の前で閉じられた扉の音は異様に大きく響き、ついてくるなと、強く拒まれてしまったような思いがした。

20141222.

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