incidental | ナノ


幼かった私は、最低なことをしました。
寂しさや虚しさに耐えられなくなり、一人の男の子を代替にして、自分の傍に縛り付けたのです。

年を重ねるごとに出来過ぎていった姉弟の関係は、時間が物を老朽化させていく様にも似ていました。塗り固めてあった鍍金が剥げて、子供の飯事らしい歪なその姿を露にしていきました。

私は私のエゴで、あの子を家族という鎖で繋いでしまったのです。
寂しくて、虚しくて、独りで生きるのが怖かった。それだけのために。

幼く純粋だった弟は、今はきっと私の本性にも気付いているはずなのに。あの子こそ本当に優しい子だから、いつまでも私を一番大切にしてくれています。
だから私は、あの子以外を、一番大切にするわけにはいかないのです。
決して、見捨ててはいけない。手酷い裏切りでしか、ないのだから。









「私達は…普通の姉弟らしくないよね」



ぽつりと溢した呟きに、隣に座るテツヤくんは返事らしい返事を返さなかった。
私の反応を恐れて、返せなかったのかもしれない。

遠慮のない立ち振舞いをしたり、互いの我儘を曝け出し合ったりしない。くだらない喧嘩もしなければ相手を億劫に思うこともない。仲睦まじく、正に理想の兄弟像と言える形を、私達姉弟は今までずっと貫いてきた。
そんな関係を飯事のようだと、私も、きっと颯も思っていたのだろう。
彼方くんは事情を何も知らずに指摘してきたわけじゃない。知っていて、心配してくれているからこそ厳しい言葉をかけてくれたのだ。

限界を見極めて、叱ってくれる。よっぽど私より、彼は兄らしかった。



「櫛木先輩は多分…なつるさんや颯くんを否定したかったわけじゃないと思います」

「うん…何か、彼方くんからも聞いたの?」

「いえ、特には。ただ何となく…言いたいことを、きちんと言い合えるようになればいいと…そんな風に思ってそうにボクには見えました」

「…それは、外れてはいなさそう」



何だかんだ、彼方くんは颯より私との付き合いが長いからなぁ。

少しだけ苦い気持ちで笑うと、コンクリートの上で重ねられていただけの手が、ぎゅっと握られる。軽い驚きに振り向けば、透き通る空のような瞳とぶつかった。



「一つ、いいですか」



落ち着いた声に、ぎくりと胸の辺りが強張る。
何を言われるのか、悪いことだったらどうしようかと、怯える気持ちが抑えきれない。

何度も大丈夫だと言われてきていても、先程話しきった話が話だ。冷たい言葉の刃を向けられても仕方がないと思ってしまう。
ぐっと息を詰めて衝撃に備える私に、澄んだ目をした彼は甘くも辛くもない疑問を、投げ掛けてきた。



「どうして、今の話でボクがなつるさんを嫌いになると思ったんですか?」

「え……?」

「とんでもない悪事を働いたとか、そういうことでもないでしょう。なのに、何をもってボクに嫌われると思ったのか、気になります」

「それは……だって、私、姉として酷いことをしてるから…」



一瞬、何を問われたのか判らなくて止まりそうになった脳を、動かして何とか答えになる事柄を口にする。

確かに、私の家庭事情にテツヤくん自身が関わりを持つことはない。ただ、それでも明かしたものがマイナスイメージにしかならない話であることも、確かで。
しかも、その関係がない彼に今正に楽しくもない事情を語って、時間を使わせている。

正直な気持ちとしては、幻滅されていないのが不思議なくらいだ。
そんなことを口にすれば、そこまで心が狭くはないと怒られるような気も、しなくはなかったけれど。

彼の目を見続けるのがつらくなって視線を落とそうとすると、繋がれたままの手をきつく握り締められる。
痛みを感じるほどではなかったけれど、逃げるな、と言われた気がした。



「ボクには…兄弟というものの正しい形は分かりません。家族の正しい形だって…何が正しいという定義があるのかも、分かりません」

「それは…そうだね。定義付けるのは難しい。でも、私の家が普通じゃないのは確かなことだと思うの」



お世辞にも普通の家庭とは呼べないだろう。幼い頃よりずっと、思い知ってきたことだ。
普通のことが普通じゃない。周囲に混じり込めず違和感を持って弾かれるのは、途轍もなく恐ろしかった。
その気持ちは伝わったのか、テツヤくんの目蓋が一度伏せられる。



「なつるさんが、自分の立場をとても重く考えているのは解りました。同じ立場にいないボクには、その気持ちを正しく感じ取ってあげられないことも。ただ、それでも…颯くんを可哀想だと思い込むのは、違うと思います」



再び目が合うと、ゆっくりとその口が動かされる。慎重に、選びながら紡がれる言葉は、少しずつ杭を打つように私の胸に沈められた。



「寂しかったり心細かったのは、なつるさんだけでしたか?」

「…それ、は……」

「今、おかしい形になってしまっていたとしても…颯くんだって、なつるさんに救われた…だからあんなに姉思いなんだと、ボクでも解りますよ」



カーテンを掴んで、震えていた小さな拳が頭を過った。気丈であろうとして、警戒心を剥き出しにしていた、子供の顔も。

思い返したと同時に、目の前が滲んでいく。
視界を隠したくて持ち上げたもう一本の手は、その動きを読んでいたのか手首を捕らえられてしまった。

酷い。これじゃあ、隠せない。
ぐしゃりと歪んでいく顔なんて、見せられたものじゃないのに。テツヤくんは、優しいのに、意地の悪い人だ。



「なつるさんが罪だと思っていることは、必ずしも悪いものじゃない。だってなつるさんは、ちゃんと颯くんが好きじゃないですか」

「っ……」

「なつるさんは、確かに弱い人ですね…でも、大切な人を大切にできる人が酷い人なわけありません」



耐えきれなくなって俯けば、コンクリートにぽつりぽつりと染みができる。
視界ははっきりしたかと思えばまた滲んで、染みの範囲は増えていった。

胸が痛い。息が苦しい。頭が回らない。言葉が声として、発せられない。

いつの間にか身体ごと向き合っていた、彼の影が視界を暗くする。
俯いている私の頭頂に、優しくぶつけられた頭が囁いてきた。



「どうしようもないくらい、あなたも優しい人です」



落ちてきた言葉に、喉がひくひくと引き攣ってしまう。
否定したいのに、くっついた頭の所為で首を横に振ることができなかった。

そんなことはないの。私は酷い人間なの。
そう思われるような話をしたのに、誰よりも味方でいてほしい人は、力の入らない私の手を握ったままで。



(ああ、私、)



もう駄目だ。

最後の鍵を開けたのは、深すぎる安堵だった。



「どうしたらいいか、わからないの」



嗚咽で留まっていたものは堰を切って、ドロドロに混ざりあった感情が泣き声として溢れ出る。
汚いと、封じ込めていたいものを抑えきれない。

私の形が、崩れていく。



「私や颯が、どれだけ頑張っても、あの人達は見向きもしない…大事にしてくれない。悪い気持ちばっかり、持ち帰ってきてぶつけてくる」



口にしてはいけなかったものも、もうどこまでかが判らない。

子供が駄々をこねる時のように、泣いて、泣いて。
縋るように、繋がれていた手を掴み返した私に、彼は何も言わなかった。振り払いもせず、耳を傾けた。



「関わらずにいられたら、少しは楽よ…でも、実の親との繋がりなんて簡単に切れるわけない…っ」



どんなに気持ちが届かなくても、言葉が通じなかったとしても…保護者があの二人だということは変えようのない事実だ。
自立できる歳になるまで、最低限、彼らの敷くレールから足を踏み出してはいけない。見放されて切り離されてしまえば、生きること自体が困難になる。

だから、何も言えない。
元から壊れている家庭でも、それを露呈させるようなことはできない。
あの人達の機嫌を損ねて、自分だけならまだしも、颯の運命まで、これ以上捩じ曲げることなんて許されない。

そう、思って堪えていたのに、うまくいかないの。



「せめて、私と颯だけでも、支え合えたらって、思うけど…違う人間だから、いつも同じ気持ちでなんかいられない。お互い、言いたいことも飲み込んで言わないできたことが、たくさん、ある」



間違ったのは、どこからだろう。
せめて完璧に血が繋がっていたなら。ちゃんとした姉弟として接することができていれば。最初からあんな言葉を掛けたりしなければ。
後悔は探すまでもなくいくらでも湧き上がってきて、歪んだままの顔が元に戻らない。

ずるずると、力が抜けた身体は芯をなくして倒れこむ。
手を引かれるまま、彼の肩に埋まるように、額をぶつけた。

限界だろ、と口にした、幼馴染みを思い出した。



「苦しいよ…ぐちゃぐちゃに、なって。最初から壊れてたけど。でも、全然直らない。もっと悪くなっていくのがよく分かって…つらい……っ」

「…はい」

「もう、いやなのに、いやって言えない…資格も、ないの」



隠してきたものを吐露すればするほど、混乱から来る熱は冷めていく。
徐々に戻ってくる冷静な思考が、自分を見据えて深く嘆息した。

ああ、なんてみっともないんだろう。
上手に生きられない、無様な私は。
それなのに、どうして、私は独りじゃないのだろう。
力を抜いてしまっても、手先は指が絡んでいて、離される気配がない。

なつるさん、と。
変わらない穏やかな声が落ちてくるのを拾った。
テツヤくんは、愛想を尽かしてくれなかった。



「ボクも子供で、助けられない部分がたくさんあります。今も、どうしたらなつるさんを楽にしてあげられるのか、具体的なことが思い付かなくて歯痒いです」



接触した部分からびりびりと、私の中に振動として流れ込んでくる。悔しさと悲しさが混じる、普段の彼より低い声が。
私は私で盛大な涙声しか返しきれず、どこか別人同士のようで不思議な感覚がした。



「テツヤくんは、何も関係ないのに…」

「関係なくないです。今みたいに、誰にも吐けない弱音くらい聞かせてください」

「酷いことばかり、言ったでしょう?」



幻滅されても仕方ないくらい、正体をなくした…というより、正体がばれてしまった。
それなのに、どうしてかテツヤくんはその時、小さく笑ったようだった。

酷くなんかないですよ。
そう、ほんの少しだけ普段に近付いた声音が囁く。



「ボクは、なつるさんの笑顔が好きですし。つらいことは吐き出してしまって、繕わずに笑っていてほしいです。迷惑だとかも思わないで」



迷惑だろうと思ったのに、言葉を封じるように先手を打たれた。
息を詰めた私に微かに吹き出したのか、大きな振動が伝わる。



「ボクにできることは、少ないですけど」

「…そんなことないよ」



本当に、そんなことない。あるはずがない。
ここまで私を暴いて、離れないで受け入れてくれることが、軽いことのわけがない。

後から、どうしようもなくなるかもしれない。恥ずかしくて死んでしまうかもしれない。
けれど、憑き物が落ちたように、今私の胸の中は凪いでいた。

信じられないほど信じきって、身を預けて、甘えている。



(これじゃあもっと、駄目になる)



帰る場所も忘れて、ずっとここにいたくなる。
浮き上がる願いが彼の耳に届かないことに、心の底から感謝した。






この傷に寄り添いて




(でも、この顔で教室には戻れないや…どうしよう)
(保健室に行きますか?)
(そんな連日通うのも…)
(…じゃあ、サボっちゃいましょうか)
(えっ、む、無理。見つかったらどうするの…っ?)
(泣かせたのはボクですから、責任はとりますよ)
(ど、どうやって…いや、駄目だよ。授業は出なきゃ駄目)
(なつるさんは根が真面目ですよね)
(こ、これは普通じゃない…?)

20140827.

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