incidental | ナノ



違和感は、物心がつく頃には既に感じていたものだったと覚えている。

私は少し、おかしな存在だった。
私自身がおかしかったのか、私を囲む環境がおかしかったのか。どちらが正解かは判らない。どちらも正解で、或いは不正解だったのかもしれない。
正解にしろ不正解にしろ、今在る結果は変わらないのだから、そんなことを今更気にしても仕方のないことだ。

仕事に掛かりきりで、家庭への興味の薄い両親のもとに生まれついた。そんな私はいつの間にか、振る舞いの良し悪しに関係なく、幼稚園や小学校といったコミュニティーの中で否応なしに浮く存在となってしまっていた。
授業参観は勿論のこと、運動会等の学校行事や外部行事、全ての催しに彼らが顔を出したことは一度もない。幼稚園の頃だって同じで、行き帰りの送り迎えですら、近くに居を構えていた母方の祖母が面倒を見てくれていたくらいだ。
忙しさに家に帰らない両親を見兼ねた祖母の家に、泊まりきりになることも少なくなかった。私はできるだけ我儘を口にしないよう努めていて、二人に迷惑をかけてはいけないという、脅迫概念に似たものも抱いていたように思う。
多分、幼い時分から察しはよかったのだ。

みんなは、お母さんやお父さんがいてくれるのに、どうして私は違うんだろう。
そんな不満を込めた疑問も、幼い胸には満ちていたけれど。そのまま彼らにぶつけてはいけないのだと、知っていた。



「なつるはいい子だね」



不満や不安を、ほんの僅かでも感じさせる振る舞いをすれば、祖母はいつだって優しい声で、私の頭を撫でながら言ったものだ。
優しく世話を焼いてくれる祖母のことは、大好きだった。母親より父親より、大事にしてくれる人だから、私も大事に思っていた。
けれど、だからといって父や母が恋しくないかと訊かれれば、そんなはずはない。周囲の同年代の会話の中では、家族の話が多く出てきた。それを耳にしては羨ましく思い、焦りにも似た気持ちに苛まれたのは一度や二度のことではない。

お母さんと買い物に行った、お父さんに怒られた、兄弟喧嘩を起こした…そんな些細な話を聞く度に、自分に当て嵌めては想像した。
母と手を繋いで歩いたり、父に叱られた後に慰められたり。そんな、経験したことのない想像を膨らませてはみたけれど、それらは一つも、少しもしっくり胸に馴染むことはなかった。
両親との接し方なんて分からない。話をするにしても、何を話していいのか。邪魔だと、煩いと、後にしろと…素気無く扱われることを思い出しては、私は最後に肩を落とした。

徐々に、自信をなくしていった。周りにいる誰とも重ならないことが、何だかとても寂しく恐ろしいことのように感じた。
精一杯、真面目に、いい子に見えるようにしていたけれど。親しい仲間に、いつ追究されるかと、心が休まることはなかった。
周りの子達にとっては当たり前の会話に、小さな傷をたくさん負った。少し他より聞き分けがいい、普通の子供として振る舞い続けても、私の頑張りを褒めてくれるのは祖母、たった一人だけだった。

帰って来ても容易く近づけない両親の、冷めきった夫婦喧嘩に耳を塞ぎ続けた時も。
学校で出された家族をテーマにした作文に両親についての書けるようなことがなく、とうとうクラス中からおかしいと責められた時も。
目を逸らし続けていた事情。両親から愛されていなかった事実を、理解して受け止めた時も。
私のことを褒めて、慰めてくれる人は、祖母一人しかいなかったのに…。

彼女という存在を失ったのは、私が小学三年生になった年の、冬のことだ。
老体に肺炎を拗らせた祖母は、苦しげに何度も咳き込み、チューブに繋がれたマスクを必死に外そうと皺だらけの手を震わせた。
病院に運び込まれて、彼女の命が持ったのはたった二日だった。離れてしまえばその瞬間に消えてなくなってしまいそうで、それを恐れて学校を休んで付きっきりでいた私は、どちらにせよ迫る死の気配に怯えていることしかできなかった。
真っ白な蛍光灯の下、真っ白なベッドに横たわったその人は、最後まで、私のために生き延びようと足掻いてくれていたのに。
ベッド脇で、引き留めたくてその手を握り締めることしかできなかった。

死んでしまった方が、楽になれるのに。私を独りにすることを、最期まで彼女は謝り続けた。
苦しんで、苦しんで。苦しみの果てに漸く息を引き取った瞬間、静かな室内に響き渡った冷たい機械の音が私に大きな絶望を植え付けたことを、覚えている。

少し前まで呼吸器の中で戦慄いていた唇は、僅かに開いたまま固まっていった。
最後の最後まで握り締めていたしわくちゃの手は、もう力を込めて握り返してはくれなかった。
私の名前を呼んで、褒めてくれない。慰めてくれない。愛してくれる日はもう二度と、帰らない。

暗く翳る窓の外の空に身が凍るような不安を抱いて、こんな時までも駆け付けてくれない両親を待ち続けた夜。
今でも、あんなに悲しいことはないと思う、巻き戻しようのない記憶。
一時間後、漸く駆け付けた両親は病院側と夫婦間で事務的な会話を交わしただけで、亡くなった祖母の顔を振り向こうともしなかった。

ああ、これは私だ。私が死んでも、きっと同じ。何も、何一つ、変わらない。
身体を洗われ、綺麗に整えられた祖母の横たわるベッドの脇に佇みながら、私は私の未来を見た気がした。

私は、たった一人しかいなかった家族を亡くしたのだと、分かってしまったのだ。
そうしてすぐに、私自身も消えてなくなりたいと強く思った。

私の傍には、誰もいない。
このまま誰とも繋がらず、誰にも求められないまま進んでいくくらいなら、いっそ今すぐ消えてしまいたい。
命も存在も何もかも、ここにあることが無意味だと。
寒空の下で寂しく虚しく、凍り付く心を持って踞った。






 * * *



「一人しかいなかった…ですか」



昼休みの屋上の、扉からは死角となる陽当たりのいい壁に寄り掛かりながら、とろとろと語って聞かせた昔話は、今に繋がる私自身の過去だ。
テツヤくんから電話を受けて翌日、昼休みに約束を取り付けて、人の耳の届きにくい空の下を指定した。

もう、今になって隠し立てするつもりはない。
ぽつりと落とされた疑問には、こちらからも諦めの笑みを落とした。
うん、と頷いて息を吸い込む。



「一人だよ」



おかしいと思うでしょう、と笑いかける。訝しげに寄せられた彼の眉を確かめながら。
だから、話すことを躊躇ってしまうのだ。これを語れば私という人間の認識が、がらりと崩れ落ちる可能性が大きいから。
今だって、隣に並んで静かに耳を傾けてくれていた、彼以外には凡そ語る気にはなれない。彼にだって、本当はまだ、知られることに怯える気持ちがないわけじゃない。
今、コンクリートについた手を重ねるように握られていなければ、心は折れていたかもしれない。

あの頃は、私には祖母しか家族がいなかった。
何故なら、ここから先が、私の犯した罪の話になるからだ。



「弟は…父が、連れてきた子だったの」



それが、私の間違った切っ掛け。

掠れた声が、静かに流れる空気に溶けて消えた。



「え…」

「私と颯は、片方しか血の繋がりはないの」



遠い思い出を語ると、身体のどこかがぎしぎしと軋みを上げる気がする。
見開かれた透き通る瞳に映る私は、ちゃんと笑っているだろうか。

縋るような目をしていないといいと思う。
私を包む現状は、今までの報いも多分に含んでいるのだから。






喪失、再建、歪な理想




その男の子が家にやって来たのは、祖母が亡くなって二ヶ月も経たない、まだ寒い季節のことだった。

当時、一人塞ぎ混んでいた私には詳しい説明はなかったけれど、居所がないような顔をしてリビングの隅に立ち竦んでいた年の近そうな男の子が、父の子であるということだけは、両親の会話から聞き取って理解した。



「仕方ないだろう、他に引き取り先もないんだ」

「仕方ない!? 余所で作った子供をいきなり連れてきて、馬鹿げたこと言わないでよ!」

「なら、放り出せと言うのか? こんな子供を? さすがに体裁が悪すぎるだろう。家には跡取りもいないんだ、ちょうどいい」

「冗談じゃないわ! 蒸発したとかいうふざけた女、探し出して育てさせなさいよ…!」



久しぶりに家に揃って、響き渡るのが言い争う声だけとは。既に慣れていた私にはともかく、初めて目にするだろう男の子には厳しい光景ではないだろうかと少し気にかかった。

意見を譲る気のない父は、男の子を引き取るつもりのようだった。金切り声を上げる母も、きっと最後は呆れて折れるだろうと予測できた。
どうせ、どれだけ諍いを起こしたところで、二人は滅多に家に揃うことはない。一人ずつだって、帰ってきたところで子供に関わることは殆どないのだ。



「はじめまして」



普段からあるパターンを読んだ私は、二人の目を盗んでそっと男の子に近寄っていった。
そうして近付いてみたところで気付いたが、彼は自分の唇を噛みながら、近くにあるカーテンを握りしめていた。

ああ…この子、怖いんだ。
なんとなく、彼も自分の居場所に不安を抱いているのだと察せられた。
同族に対する安堵が、幼い胸に込み上げて満たしていく。

話し掛けられてびくりと肩を震わせた彼は、次の瞬間には警戒も露なきつい目で、私を窺ってきたけれど。
それすら自分を保つための虚勢なのだと、分かっていたから構わなかった。



「名前、何ていうの? 私はね、なつる。白雲なつる」

「……颯」

「はやて…颯ね。なんさい?」

「8さい」

「私の一つ下だ」



言いながら、笑顔を浮かべた。

おばあちゃんは、ずっと謝ってた。お母さんをあんな風に育てて、私を一人にさせてごめんね、と。



(この子なら…)



寂しい、心細い思いをしているだろうこの子なら。
本当の家族に、なれるかな。

私を、独りにしないでくれる?



「じゃあ、私は颯のお姉ちゃんだね」



浮かべたのは、満面の笑みだったと思う。
失ってしまった形を捕まえられたと、手に入れられるという期待に身体中が震えてしまいそうだった。

それほど私の心は干からびていて、飢えていたのだ。
大事な人が欲しくて、誰かに、大事な人と思われたくて。



「…お姉ちゃん?」

「うん。…家族ってことだよ」



戸惑いを浮かべた瞳が揺れて、ほんの少しだけさ迷わされる。
カーテンを握ったままの拳に手を乗せれば、驚いた顔をして振り向いた顔と再び目が合った。
その無防備な表情を焼き付けた時、私は愚かな決意を定めたのだ。

この子を、私は大事にしよう。
そう、途轍もなく幼く愚かな決意を、抱き締めた。



「私と、家族になってくれる…?」



狼狽えながらも、それ以外にどうしようもなかった男の子は、私の願いにそうっと頷いた。
綺麗な理想を追い求めて、私は歪な二人だけの絆を結んだ。結ばせたのだ、あの子にも。

お人形でも何でもないのに、酷い約束をしたものだと思う。
正しい形なんて、私だって、欠片も知りもしなかったくせに。

20140801.

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