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自分のことも立ち居かなくなると、よく分かる。私の弟は本当に良くできた弟だと。



「お粥かうどん、食べやすい方作るから。とりあえず食べたら早めに休んで」

「夕飯は? 他にも、やること…」

「今日は作らせない。家事は適当にオレがやる。姉ちゃんは食って風呂入って寝るのが仕事」

「……はい」



ごめんなさい。小さく頭を下げると、少し上にある顔の目元が、ぴくりと震えた。
けれど、その些細な動きには気付かないふりをする。



「怒ってないし、誰だって不調はあるからいいんだって」



とにかく楽にしていろとリビングに追いやられてしまえばやることもなく、まだ重い身体をソファーに沈める。
カウンター越しに見える弟は、普段から手伝い慣れているだけあっててきぱきと動き回っている。きっと私がいなくてもやっていけるくらい、しっかりしている人間なのだと余計に実感させられた。



(情けないのは私…か)



最初から、縋り付いたのは私の方だもんね。

全体重を背凭れに預けながら深く息を吐き出した私に、颯は気付かない。
都合がいいのか悪いのか、今夜は両親とも帰宅しないとの連絡が入ったのは、颯の手が空いていない時だった。









急かされるまま湯を使って、髪を乾かし終えたのは二十時を少し過ぎる頃。いつもならまだ家事も終えていないし、この後も予習復習に割かれている時間だ。
しかしさすがに全快でもない状態で、自分に鞭は打てない。ここでぶり返せば色んな人の心配を無下にしてしまうことは解っていたから、大人しくベッドに潜り込むことにした。
勉強は明日、朝早く起きて時間を見つけよう。

そういえば、あれから携帯を確認していなかったな…と思い付いたのは、毛布を被った後だった。
一度気になってしまうと、放置できないのは性分だ。遠くない場所に置いてあった鞄を片手で漁り、目的物を引きずり出すと、着信を知らせるライトが点滅していた。



(メール…)



開いた携帯には、メールが四件届いていた。
その内の一件は広告で、残りの三件は私の体調不良を心配してくれた人達からのものだった。

友人からは、少しは調子がよくなったかと気遣うような文面。幼馴染みからは、説教じみていながらも親しみの溢れる文面。
同じ気持ちを抱えていても性格が出るなぁ、と少しだけ笑ってしまう。じわりと胸に広がるぬくもりが、目の奥にまで駆け上ってきた。

申し訳ないけど、嬉しくも思う。
それぞれに心配をかけた謝罪とお礼を打ち込み、送信する。それから一呼吸置いて、私は最後の一件を開いた。

敢えて最後まで読まずに残したのは、やっぱり少しは怖かったからだ。
目覚めてすぐは平常通りに接してくれた彼でも、幼馴染みや弟、それから私のやり取りを目にして何を思ったかまでは分からない。
それでも、きっと彼は私を傷付けたりしないだろうと、信じる気持ちの方が大きくはあった。

だから単純に、返信に時間をかけてしまう可能性を考えて最後に回したという理由もある。
黒子テツヤ。表示された名前から開いた画面には、当たり障りのない丁寧な文章が並んでいた。
それを確かめて、ほっと息を吐く。
体調を気遣う文は、彼らしい優しさの滲む言葉遣いで何ら変わった部分はない。けれど末尾に、申し訳程度に付け足された一文まで読みきった私は、一度画面から視線を上げた。

“ボクでは頼りないかもしれませんが、苦しいことがあるなら教えてください。”
その一文が、頭の中を巡る。
それを書いたのが他の誰でもない彼だから、冗談や軽い気持ちで沿えられた文ではないことはすぐに分かった。



(頼りない……?)



まさか。頼りないどころか、いつだって頼りたくなるくらいよ。

引っ張った毛布の端に顔を半分埋めながら、どうしようもない気持ちで再び液晶に目を落とした。
いつもいつも、テツヤくんは私の弱音を容赦なく突き出して、受け止めようとしてくる。
私はずっと逃げているのに、彼は優しいからこそ、そんな私を許してくれない。



(やだなぁ…)



嫌だな、もう。本当に、嫌だ。
今度こそ、ぐっと込み上げたものが涙袋から溢れ出してしまうのが止められない。

テツヤくんは優し過ぎる。私に甘過ぎるから、困る。
そんな風に気にかけられてばかりだから、苦しいなんて言える立場じゃないのに、吐き出してしまいたくなってしまうのだ。
助けて。そう、縋り付くわけにもいかないのに。



(何て返そう)



どんな言葉を並べ返せば、彼は気にしないでくれるだろう。
毛布に包まり、携帯を見つめて考える。けれど、どれだけ考えたところで良い案は浮かんでこない。どんな誤魔化しも彼には通用しないだろうと、浮かんだ考えに自分で納得して、絶望した。

隠し事ができないなんて。それを拒まず認めてしまうなんて、全幅の信頼を寄せているのと同じだ。
ぼたりと落ちた滴が、シーツに染みを作った。



(だめ)



駄目なのに。まだ私は、変わってはいけないのに。
もう、駄目なのかな。

深い穴に、優しく突き落とされていく。抗うことができないくらい、底で待ち受けるものを欲していたのはやっぱり、私の方だった。






憧憬再現




当たり障りのない文章には、同じく当たり障りのない文章を返す。そして、数分の間迷って、結局最後に付け足した一文。
“テツヤくんに、何を思われるかが不安です。”
対する返事は、早急に送られてきた。メールではなく、電話着信という手段で。



『もしもし、なつるさん…?』

「も、もしもし…」



まさか、こんなにすぐに反応が、しかも電話で来るとは思っていなかった。
慌て過ぎてボタンを押し間違えそうになり、声にも焦りが出てしまったと思う。

それでも彼は、声だけでも分かる私の挙動不審さには一言も言及はしなかった。



『早く休まないといけないのに、すみません。メールだけじゃどうしても気になってしまって』

「だ、大丈夫…体調は随分よくなったし、早めに寝るつもりだから」

『それならよかった…ボクも長引かせたいわけじゃないので、一つだけいいですか』

「…うん。何?」



どくん、どくんと、自分の心臓が血を送り出す音が耳の奥まで響く。
携帯を片耳に当てたまま、身を縮めて包まる毛布を強く引き寄せた。

電波を通して聞く声は、少し低くくぐもっている。僅かな間を置いて、彼は再び口を開いた。



『保健室でのやり取り…踏み入っていい事情なのか判らなくて、迷ったんですけど』



息を止めて、彼の声も止まるのを待つ。
どうか突き進まないでという願いも虚しく、テツヤくんの台詞は私の胸を貫いた。



『だけど、すみません。話してなつるさんが傷付かないことなら、ボクはやっぱり知りたいです』



力になりたい。そう言われたようなものだった。
電話の向こうでは、あの透明感のある瞳がしっかりとした意思を映しているんだろう。想像するのは容易くて、息苦しくなる。



「……私は…」



知りたい。
その欲求は、テツヤくんの優しさと好意の現れだと分かっている。けれど。
知られるのが怖い。きっと誰に知られるよりも、反動が怖いと、私が思ってしまうのも同じような部分から溢れる気持ちに変わりない。



「テツヤくんに嫌われたら……堪らなくなる、よ…」



ずるずると、長い根を掘り返されて地面に引きずり出されるような気がした。抗う術は見つからない。
おかしな奴だと距離を置かれたら、見離されたら。あたたかな彼の目が冷たく翳るところを想像しただけで、耐えきれない。
誰にそうされるよりも落ち込んでしまう。その瞬間に心が凍り付いて、バラバラに砕け落ちてしまいそう。

もう、誤魔化しは効かない。私はテツヤくんに、絶対的な味方でいてほしかったのだ。
絶望は深まるばかりでも、手放したくなかったのだ。
必死に作り上げた自分の形が崩れていってしまうのに、それでも構わない、欲しいのだと。思ってしまっていた。

優しいから。テツヤくんが優し過ぎるから、疾に私は絆されていて。元からおかしな形をしていたものが、最早形を維持できないほどに溶けて崩れてぐちゃぐちゃになってしまう。

そのまま消えてしまえたらいいのにね。
でも、それもあなたは許してくれないんだろうね。



『なつるさんは…ボクがそんな風に思うと、思うんですか』



心外だと言わんばかりのほんの少しだけ険を孕んだ声に、心臓を摘まれる。
ぎゅう、と全身を引き絞られたような痺れが回る。

解っていた。
彼が私を見離すような言葉を吐かないことも。
私が今更信じきれないわけがないことも。

全部、気付かずにはいられなかった。



「…思わないよ……」



絶望的なほど、信頼は育っていた。
隠し事を、隠し通すことができないくらいに。

震える喉から無理に紡いだ声は、情けなく弱々しい。
大丈夫だと笑って答えられる自分には、もう、戻れないのだと知った。

20140717.

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