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「黒子ー、この後オレらマジバ行くんだけどどうする?」



いつものごとく厳しい部活練習を終えて、練習着から着替えている最中。
少し離れた場所から声を掛けてきた福田くんに、すみません、と首を横に振って答える。



「今日は用事があるので」

「そっか。なら仕方ないな」



あっさりとした返事にまた誘ってくださいと付け足せば、了承に軽い笑顔が返ってくる。こんな些細なやり取りにもチームの良さが見てとれて、少し頬が弛んだ。

誘いを断り手早く帰る支度を整えて、向かうのは普段と逆方向、校舎の中だ。
日も暮れて暗くなる校舎に点る灯りは少ないが、目的地を外から確かめればまだ人がいるらしい。窓の向こうの白いカーテンは光を滲ませていた。

チームメイトに向けては用事があると口にしたけれど、半分くらいは嘘になるのかもしれない。
昼休みに廊下で鉢合わせた彼女の顔色が、随分と悪かったのがあれからずっと気にかかっていた。保健室まで付き添い眠りに落ちるまで傍にはいたけれど、授業や部活に時間をとられてその後は様子を見に行く暇がなかったのだ。

もう、体調は戻っただろうか。無事に家に帰り着いていればいいが、一応確認だけはしておきたい。
メールを送るという手もあったけれど、無理でも何でも抱え込んでしまいがちな彼女だ。直接顔を見て確かめるのが、容態を見るには一番確実だと思った。

軽いノックをしてから、静かに昼にも訪れた保健室の扉を滑らせる。
まず彼女を寝かせた手前のベッドのカーテンが閉まっているのを目で確認して、それから近場に視線を戻した。真新しいソファーに頭を預けて寛ぐ男子生徒を見付けて、小さな驚きについ声が漏れる。



「あれ…」

「ん?…うぉっ、お前いつ来た!?」



転た寝でもしていたのか、その目が開くとボクを映してがばりと起き上がる。
今の今です、と答えながら軽く頭を下げれば、見覚えのある顔は僅かに眉を寄せた。

彼のこの僅かに苦味の浮かぶ顔は、その幼馴染みだという彼女と関わる上ではわりと見慣れたものだ。



「お前もっと存在主張しろよ」

「すみません、無理です。それより櫛木先輩、見に来てたんですか…」

「あー、まぁオレらの部活は縛り緩いし。何もないとは思うけど、一応妹みたいなもんだからな」

「そうですか…」

「お前こそ、不調だって知ってたんだな」

「昼休みにここまで付き添ったので」



誰のことだか、名前を出さなくても伝わるのは、それだけ自分に近い位置に彼女を置いているからだ。
正直面白くない、と感じてしまうのはお互い様だろう。その感情の出所は違っても、それぞれの立場なりに抱く思いは似たようなものだ。

ボクの回答に納得はしてくれたのか、櫛木先輩は欠伸を噛み殺しながらああそうか、と頷いただけだった。



「ま、オレは颯が来るまでの番犬みたいなもんだけど」

「颯くん…来るんですか」

「そろそろ来る」



よっぽど忠犬だから、と溢した先輩の声が、聞き間違いだろうか。冷たさを孕んでいるような気がしたのは。
とりあえず、まだ寝ているらしい彼女を起こすのも忍びない。容態は見ておきたいし、もうすぐ彼女の弟が迎えに来るというなら、そのタイミングまでここにいようと結論付けた。

少し間を開けてソファーに腰を下ろしても櫛木先輩は何も言わなかった。彼女に近寄る存在としては、ある程度認められているのかもしれない。
今日貸す予定だった本を出して手慰みにぺらぺらと捲っている内に、どれだけ時間が流れただろう。時計を見てみたところ数分しか経っておらず、そろそろと口にした先輩の言葉は本当に近くを指していたようだ。
ガラリと開いた扉から、目に馴染まない制服を着た見知った顔が現れた。

鋭く細められた目は苛立っているように見えたが、すぐにそれは焦りによる表情だと気付く。
速足で先輩に近付いてきた彼が発した声は、激しい運動をした後のように掠れていた。



「彼方、姉ちゃんは」

「まだ寝てる。貧血っぽい」

「……ああ、そう…」



貧血。
復唱した後に、深い溜息を吐き出した彼の肩から一気に力が抜けていくのが見てとれる。余程心配していたのだろう。

本当に彼女のことを大切に想っているんだな…と、こちらまで少し胸の締め付けを感じていた時、しかしその僅かに感じた暖かい空気は、いやに通る櫛木先輩の声によって一瞬で蹴散らされた。



「心因性って言葉知ってるよな、颯」



ぴたりと大きな動きを止めた颯くんに、見ているだけだったこちらまでつられて身体が固くなる。
そしてすぐに、底冷えするような目で睨み返された先輩を見て、ボクには分からない禁止語句のようなものを吐き出したのだと理解した。

空気が凍り、室内の空調が狂ったような錯覚を覚える。



「……何か言いたいなら、はっきり言えば」

「お前、あいつに付き合うならもっと上手くやれよ。無理だろうけど」

「っ…うぜぇ」

「なつるがメンタルから体調崩しやすいって知ってんだろ。何した」

「オレは何も間違ってない」



何の話だろう。やけに不穏な空気だ。
中身の読み取れない会話の応酬を眺めることしかできないボクは、どんどん悪くなっていく状況に詰まりかける息を確保することしかできない。



(颯くんが何か…? いや、まさか…)



先輩の口振りは彼女の弟を責めているように聞こえる。が、目に見えるほど姉を想っている颯くんが何かをしたとは到底思えない。
心因性、という言葉が頭に引っ掛かったが、どうしてもなつるさんを振り回す颯くんの図というものは浮かばなかった。

というか、これは、ボクの存在に気付いていないのでは。
割って入れるほど彼らの摩擦部分には詳しくないが、辛うじて彼女に関わる事柄だということは解る。この場にいつ目覚めるかも分からない彼女がいるのに、音量の増していく二人の言い争いを完全に放置していいものだろうか。

悩んでいる数秒間にも、彼らの舌戦は収まるどころか白熱していった。



「自分の娘を蔑ろにするくせに、あいつら主張だけご立派なんだよ」

「…気持ちは解らんでもないけどな。間違ってなければなつるのためになるとでも思ってんのか。お前も…」

「お前には関係ない。知った顔で説教垂れてくんな、他人のくせに」

「…んだと?」



無理にでも割って入るべきだったと気付いたのは、少し後になってからだ。まずいと思った時には既に遅かった。
怒鳴り合いと表現していいほど熱り立つ彼らを、さすがに止めようと思い立ったちょうどその時、ぎしりと軋むベッドの音が耳に届いた。

それは、彼女が目を覚ましたという合図だった。









「いやー、言った言った」



彼女が目を覚ました後、悶着は一時的に収まった。心配をかけたことに対する謝罪とお礼をしっかりと言ってからタクシーに乗り込んだなつるさんを見送った後、ボクの他にもう一人残った櫛木先輩があっけらかんと空を仰いだ。
その顔は、ついさっきまで口論に暮れていたのが嘘のようにさっぱりとしている。

とても重要なことを口にしていたようなのに、この人もまた不思議な人だ。



「さっきの…」



ぽつりと、考えるより先に声が漏れた。それに反応して、反っていた先輩の首が徐に振り向く。
僅かな躊躇いはあった。それでも、どうしても気になって仕方がない。

目覚めてすぐ、とても心細そうにしていたなつるさんは、普段と変わらない接し方を選んだボクに明らかに安堵した顔を見せた。
彼女の気持ちを落ち着けられたならよかったとは思う。思いはする。けれど、だからといって気にせずいられるわけもない。

その後、すぐだ。彼が溢した最後の一言に、彼女は穏やかに笑った。
あの状況で浮かべるには不自然なくらい、落ち着いた表情だったように思う。



「“飯事遊び”って何ですか」



もう終わっていいと、止めろと言っているように聞こえた。きっと気の所為なんかじゃない。

微かに震えた先輩の目元をじっと見つめて答えを待てば、視線はすぐに逸らされた。
そして大きく伸びをした後に、彼は肩を竦める。



「そうだなー……それ、聞いてどうする?」

「え…」

「お前、オレの口からなつるの色々、聞いていいのか」



確かめるような台詞に、軽く頭を殴られた。
ちらりと合った先輩の目付きは悪くはなかったけれど、かといって好意的なものでもない。



「…いや、よくないです。すみません…そうですよね」



彼女の知らない場所で許可もなく、込み入る事情に首を突っ込んでいいわけがない。
言われて気付いた自分の発言に、反省する。それは立派なプライバシーの侵害で、親しい立場にあっても見極めを誤ってはいけないところだ。
それに何より、彼女の幼馴染みとはいえあまりに親しさを見せ付けられれば、ボク自身も心穏やかではいられないに決まっている。

返答を聞いた櫛木先輩はそうだろう、と軽く頷いて返した。



「はい。ただ、不用意になつるさんに訊ねて、傷付けはしないかと心配なんですけど」

「…お前もわりと過保護だよなぁ」

「いえ…それを先輩に言われるのはちょっと」

「オレは兄みたいなもんだからいーんですー」



校門を出て駅の方向に歩き出す櫛木先輩は、それ以上顔を合わせて喋る気はないのか、振り向きはしなかった。
過保護といえば彼の方だろうに。少し前を歩く背中を見て、思う。
他人と言われてあそこまで憤れるほど櫛木先輩は彼女が、そして彼女の弟が、大事なのだろう。



「なつるならお前が粘れば話すだろ。聞かれるだけなら、今更傷付くこともないと思うぜ」



あいつらめちゃくちゃ面倒臭いけどな。

軽く笑い飛ばすように吐かれた言葉に、どれだけの想いが隠されているのかは分からない。
けれど、態度や台詞通りの重さをしていないだろうことは、よく分かった。






一等級の秘密保持者




もしかしたら、と思ってしまうことが今までにも何度かあった。
知ったところでどうする力もないだろうことは予測できて、無意識に尻込みしていたのかもしれない。
下手に近付いて逆に遠ざかることもあり得ると知っていた。

けれど、拒まれないなら。新たな傷を刻むことにもならないのなら。
話を、聞きたいと思う。時折垣間見える彼女の不安に、今は触れたいと願った。

柵は、目に見える場所には一つもなかった。

20140716.

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