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朝目覚めた時から、身体が重いような気はしていた。

家族の朝食、それから自分と弟の弁当を用意しながら、少しまずいかな…とも思いはしたのだ。けれど、朝から二人揃ってテーブルに着いていた両親に知らせるのは憚られた。
昨夜軽い言い争いがあったこともあり、必要以上に彼らに何かを知らせる気にはなれず。普段通りに振る舞ってやり過ごしてしまった。



(…きつい)



一応、常備してある風邪薬を飲みはしたのだけれど。
昼休みの半ば。薬の効果も切れ始めたのか、込み上げる頭痛に握った箸を満足に動かせなくなった。
食欲がないというか、口に運んだ料理の味もよく判らない。空いているはずの胃は重く、中で渦巻く熱が競り上がりかける感覚に息を詰めるのを繰り返していた。



「なつる…あんたやっぱ顔色悪いよ。無理しない方がいいって」



机をくっつけて昼食をとっていた友人は、心から心配してくれているのだろう。
ぐっと眉を寄せてこちらを見つめてくる顔には、逆らう気なんて起きるはずもない。そんな気力自体、今はなかったけれど。



「ん…ちょっともう、きついかも」



朝の授業までは粘ったけれど、何度も薬に頼るわけにもいかない。無理をして周囲に更なる迷惑を掛けるのも、いけない。
素直に限界を認めれば、机の向こうの彼女の表情はホッとしたように緩められた。



「うん、じゃあ保健室行こう。私も一緒に行くし」

「ううん、それはいいよ」

「はぁ? 何言ってんのそんな真っ青な顔で!」

「だって、昼休み結構過ぎちゃってるし…お弁当残すの勿体ないし、よかったら好きなおかず食べててほしいな…なんて」

「なつるー…」

「お願い、歩ちゃん」



作った笑顔はぎこちなかったかもしれない。物言いたげに口を開いた彼女は、私が引かないと解ると青色の吐息を吐き出した。



「言い争う方が時間の無駄ね…解った。遠慮なくいただいとく」

「うん…お願い」

「で、時間見付けて櫛木先輩に連絡するわ。それはいいよね?」

「…はい」



できるだけ騒がず、誰にも迷惑は掛けたくないんだけどな…。
そう思う気持ちは、普段から仲良くしてくれる友人には悟られているのかもしれない。彼方くんに知れるのも辛いものがあるなと、僅かに増した頭痛を感じつつ、これ以上の問答はできそうになかった。

気を付けて、とわざわざドアまで見送ってくれた歩ちゃんに重ねてお礼を言ってから、鉛のような足を引き摺って廊下を進む。
時折ぐにゃりと歪みかかる視界を堪え、壁に手を付きながらゆっくりゆっくり歩を進めていると、長い休み時間で増している喧噪の中から静かで、それでもはっきりとした声を耳が拾った。

なつるさん、と。
そんな風に私を呼ぶ人は、一人しかいない。



「こんにちは…なつるさん?」

「…テツヤ、くん」



俯きがちになっていた首を持ち上げれば、すぐ目の前にもう、彼は立っていた。
思わず掠れた声が出た。しまった、と頭の隅で思った時には既に訝しげに覗き込まれていて、私と視線を合わせた彼は一瞬でその眉を顰める。



「具合、悪いんですか」

「あ…えっと……何でテツヤくん、こっちに」

「貸す約束だった本を届けに行くところだったんですけど…それは後でいいですよね」



疑問符の付いていない問い掛けは、宣言のようなものだ。
彼の教室からは通りかけにくい廊下でどうして鉢合わせてしまったのかという疑問は、すぐに解決してしまった。

私に、用があったらしい。
逃げ場を塞がれる答えに、何と返そうか。回らない頭で考えようとしても、それより早くに二の腕の肩近くを支えるように掴まれてしまう。
真っ直ぐに向けられる瞳からは疑いようもない感情が読み取れて、余計に息が詰まる気がした。



「保健室で休んだ方がいいです」

「あ…今、向かってたところで」

「じゃあ、すぐに行きましょう。付き添いますから」

「え…っと…」



掴まれた部分からじわりと染み込む人の熱に、身体の芯から力が抜けてしまいそうになる。

いいよ、そんなの。迷惑でしょう。
そう言いたいのに、口は思ったようには動いてくれない。
体調不良からか、心が敏感にでもなっているのか。走り抜けた震えを堪えたくて、指先を全て握りこんだ。

こんな時なのに、振り払えない。
こんなに弱い神経をしていたつもりは、なかったのに。



「駄目ですよ」



咎める声は険を孕むどころか穏やかなものなのに、肩が跳ねた。
いいや。きっと、険しいものだったなら私はもっと落ち着いて受け止められただろう。

落ちてきた言葉の真意が、読めてしまう。歪んでいただけの視界がゆらゆら、滲んでいく。
テツヤくんは優しい。どうしてここまでしてくれるのかと、無償であるからこそおかしく思えるくらい。



(頭、痛い)



揺さぶられる脳では深くまで考えが及ばない。
ただ、与えられる優しさが、こちらもまた痛いくらいに心肝を締め上げるような感覚がする。

誰にも迷惑を掛けたくない。
けれど、彼に心配されて嬉しい。
そんな風に思ってしまう自分が、信じられない。



「強がりは駄目です。辛い時は誰かを…ボクを頼ってください」



いつも独りで無理をするから、なつるさんは心配なんですよ。

多分、叱られている。私の悪い部分を指摘するような言葉は、それでも彼の心遣いが漏れだしていて少しも厳しく響かない。
それどころか、穏やかに胸の奥底まで染み込んで。



(どうして)



支えられた腕から力を加えられた方向に、足が動く。
一人で歩いていた先程よりふらつく足取りでも、不安は込み上げない。
その要素一つも、絶望にも似た何かを頭上から伸し掛からせるには充分だった。

どうして、彼なのだろうか。
どうして、伸ばした手の先を掠めていったものを、与えてくれる人は、彼なのだろうか。
何の柵も罪もない関係で、どうしてこんなに。



「……あ、りがとう」

「はい」



彼が優しいのは、今に始まったことではない。けれど、誰に対しても無償の情を向けられる人かと訊かれれば、私には答えられない。

導かれるようにして辿り着いた保健室でも、ベッドに入るまで容態を気にしてくれていた彼は、私の何かを見破ってでもいるように柔らかく額を撫でていった。
意識が混濁しかけていた私の気のせいでなければ、その手付きも慈しみに溢れていて。

髪を避ける一つの仕草をとっても、泣きそうになるくらい、胸が締め付けられた。






中身の違う青い鳥




眠りに落ちる瞬間。
ごめんなさい、と。最期の瞬間まで唇を動かしていた面影が、痛みに苛まれていた頭を過った。

20140612.

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