incidental | ナノ


頼まれていた買い物を済ませて、再び盛り上がりの冷めない校内まで戻ってくる。
僅かに胸に滞る気持ちには、行きと同じく蓋をしたまま。
より多くの荷物を手に隣を歩く弟と、普段と変わりないやり取りを交わしていた。



「あれ…桃井さん」



途切れたのは、人混みを掻き分けながら家庭科室に向かっていた時だ。
開放されていない屋上へ繋がる階段の踊り場付近に、校舎を離れる前に見た顔を見付けて立ち止まった。



「知り合い?」

「私のっていうか…テツヤくんの…」



段差に座り込んで俯いてはいるけれど、桃色の長髪は見間違えない。
私の反応を窺った颯に軽く頷いて、囂しい学祭の雰囲気から逸した姿に自然と近付く。

知り合いというほどの関係ではないけれど、何となく様子がおかしいことは察せる。立ち止まったままの颯から離れて、私も階段に足を掛けた。



「あの」

「え…?」



足音に反応してぱっと顔を上げた彼女は、私を視界に捉えると肩を揺らす。
さっきの、と呟いて目を丸くする。先程も思った通り、綺麗な女の子だった。

ちくりと、小さな針が刺さるような感覚が胸に走ったけれど、感じないふりをする。



「桃井さん…でしたよね? 一人でどうしたんですか?」



あれだけあからさまに好意を表していた人だ。てっきり、テツヤくんの傍にいるものと思っていた。
彼も休憩時間に入れば、女の子を一人放置するなんてことはないだろう。特に外部の人間が入り乱れる中では教員だけでは見廻りきれないし、羽目を外す人も出てくる。
こんな人気の少ない場所に、可愛い女の子が一人でいるのはあまりよくない。

できるだけ自然に、笑顔を浮かべて訊ねてみると、困惑したような表情をしていた彼女はまた、僅かに視線を落としてええと、と口籠もる。



「ちょっと…疲れて、休んでたんだけど…」

「そう…ですか。でも、女の子が一人でいると、今日は少しよくないかも…」

「あ、はは、そうだよね…はしゃいでる人、多いもんねっ」



私の言わんとするところを正確に汲み取ったらしい桃井さんは、笑みを浮かべると勢いよく立ち上がる。
急に変化した表情は急だったから不自然で、つい追い掛けてしまう。階段を降りようとしかかった彼女に、私は何を考えるよりも先に誘いを掛けた。



「もし、時間があるなら…少し休んでいきませんか?」

「え…?」

「私の部の模擬店、すぐ近くなんです」



勿論、時間がなければ断ってもらっても構わない。
付け足しながら、苦笑に近い笑みを深める。

何があったのかは知らないけれど、何かあったのだろう。
お節介で、私が介入できるようなことは彼女の中には一つもない。そもそも初対面で、仲良くなるつもりだって彼女の方にはなかったはずだ。
けれど、どうしてか。階段の隅で縮こまるように膝を抱えていた姿は、とても小さく見えてしまったから。

私には関係がなくても、そのまま放っておくということもできなかった。
世話焼きの幼馴染みや心優しい弟に溜息を吐かれるような気はしたけれど、性分だからどうしようもない。



「ちょっと騒がしいけど、隅の方で休憩できるはずだから…お祭りに託つけて羽目を外す人も多いし、一人でいるよりはいいかと…思うんですけど…」

「…えっと…じゃあ」



数秒の間逡巡した様子だった彼女は、さ迷わせていた視線を私に合わせなおすと、お邪魔しようかなと頷いた。









「あー、まぁ客じゃなくても隅なら邪魔にはならんし、いていいけどな。なつるが出れないなら颯駆り出すか」



変わらず席は満員に近い室内を見回し、小休憩用の椅子を手早く隅に確保してくれた幼馴染みにほっとする。
颯と桃井さんを連れてお使いから戻った私に一瞬訝しげな顔をした彼方くんは、軽く事情を聞くとすぐに納得してくれた。



「いや…颯も一応お客さんなんだけど」

「暇なんだからいーだろ。年はあれだ、誤魔化せ」

「無茶苦茶な…」



中学の制服なんて誤魔化せるものでもないだろうに。
微妙な顔をしてしまう私に、目的を無視され話を振られた本人はそれでも仕方なさげに肩を竦めただけで、頷いてくれる。



「別にいいよ、そっち気になんだろ。姉ちゃんはその人に付き合ってやれば?」

「う…」



こんな時ばかり幼馴染みの男同士は気が合うというか…つくづく私に甘い人達だと思う。
嫌がる顔は少しも見せずに受け入れてくれる颯には本当に申し訳ないけれど、客足は途絶えず働き手が欠ける今、とても助かる申し出ではあった。



「…ごめんね颯。できそうなら、お願いしていい?」

「だから、いいって」



声を掛けたのは私だし、連れてきたからには桃井さんを放置もしたくない。素直に頭を下げれば、ぽん、と頭頂部を軽く叩いてくれた颯は離れていく。
しっかりした弟の背中が働き回る部員の中に混ざっていくのを見つめていると、またすぐ近くからおずおずとした声が掛かった。



「あの…私、やっぱり邪魔になったんじゃ…」

「! ううん、大丈夫。私が誘ったんだから、気にしないでください」



心細げに眉を下げる桃井さんに、慌てて否定する。
弟も手伝ってくれるみたいだし、と笑えば、ぎこちないながらも同じように笑みを返してくれた。



「学園祭でこういう鉄板焼は…珍しいね」

「お好み焼きメインですけどね…。参加型の模擬店がいいねって、皆で話し合って…少し大変だったけど会議で通してもらったんです。味の方も普通じゃつまらないからって、関西風と広島風でお客さんに選んでもらってて……あ」



思わず、振られた話題に乗っかってしまってから口を押さえる。
友達でも何でもないのに、気安い反応をし過ぎたかもしれない。



「ごめんなさい。私ばっかり、勝手に喋って…」

「ううん、凄いよ! 生徒だけでここまでのことは中々できないし、皆てきぱき働いてるし…料理上手なんだね」

「料理部なので…でも確かに、捌ける人は多いです」

「そうなんだ」



気のいい人達ばかりが集まる部活だ。褒められれば純粋に嬉しくなる。

賑やかな話し声に雑ざる鉄板の上の具材の焼ける音、広がる芳ばしい匂いに高揚する人の姿を眺めていると、自分まで楽しみを分けてもらっている気分になった。
こんな風に部活動やその一貫を満喫できるのは、幸せなことだ。



「白雲さん…だったよね」



少しの間、ぼんやりと仲間やお客さんの楽しげな姿を観察していた。
タイミングを計るようにして静かに呼ばれた名前に、はい、と頷いて視線を近くに戻す。

室内の隅、窓際に置いた椅子に腰掛けてこちらを見上げる桃井さんは、ほんの少し揺れた瞳を私に合わせてきた。



「白雲さんは…テツくんのこと……好き?」



囂しい空気が、一瞬で遠ざかったような感覚がした。

閉鎖された世界に、私と彼女だけが閉じ込められたかのように、他者の奏でる音が遠くなる。逆に近場の感覚が鋭くなるようで、ピクリと震えた自分の指先が気になって、拳の中に隠し入れた。

“好き”か。

ここで意味を履き違えるほど鈍感にはなりきれない。
彼女の口にする好意の意味を理解して、解らないふりもできなければ誤魔化すこともできない。
問い掛けてきた声は震えていた。本気で知りたい、知らなければならないとでもいうような、真剣な思いが伝わってきた。

避けられるはずがない。
重みを増す胸に、握ったままの拳をあてて撫でる。観念するしかなかった。



「…わからない」



自分の声が、喧騒に溢れた空気を震わせた気がする。

否定できればよかったのに。
悲嘆したくなる気持ちで、ぱちぱちと瞬きをしてこちらを窺う桃井さんを、見つめ返す。



「分からない…?」

「分からない、です…まだ」



彼女が彼と並ぶ姿を見て、気心の知れたやり取りをしているのを見て、彼女が彼に向ける偽らない好意を感じて、胸が痛んだ。
悲しくて切なくて、身体の奥底を掻き回されるような苦痛を感じた。それは事実だ。

隣に立つ人を羨んだ。
間違いなく、私は嫉妬した。けれど。



「テツヤくんが…大事な人なのは、本当だけど…」



“好き”だなんて、言えない。
そんな言葉を吐くなんて、私には。



「どうして…それで、分からないの?」



じわりと込み上げる思いに、目を伏せる。気を抜けば泣き出してしまいそうで、そんな卑怯な真似はどうしても避けたくて。

どうして。彼女の疑問は真っ当、尤も、正当なものだ。
おかしいのは、ここまで来ても変われない私。



(解ってる)



解っているの。私がおかしいの。
私が最初から、おかしかったから。こんな風になってしまったの。

自分のことでもないのに、気にするように見上げてくる困惑した視線を感じる。
対して私の顔に浮かぶのは、失笑だった。

自分では見えないけれど、今の私は、きっと酷い顔をしている。



「不実だから」



簡単に答えを出してしまえない、認める気にもなりきれない自分に、呆れるくらい絶望した。
それだってもう、きっとずっと、繰り返してきたことだった。







目映い貴女




普通はこんなに、真っ当で綺麗なのね。

直視できないくらいに眩しいから、酸素を奪われるように苦しくなったのだ。

20140315.

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