誠凛高校の文化祭は、新設校ということもあって宣伝に力を入れたいのか、校外へのアピールが盛んだ。
OBがいないからか訪れる顔触れはどちらかというと低年齢層が主で、中には受験を控えているのだろう中学生らしき影も多く、二日間続くお祭り騒ぎの幕開けはそれなりに成功しているようだった。
どこもかしこも賑わいを見せる校内で私はといえば、クラスと部活のどちらの出し物も飲食系の模擬店となってしまったお陰で、一日目に休みはない。
午前はクラス、午後は部の方に駆り出されてしまうので、余裕をもって他の催しを廻ることはできないだろうとその点の諦めは最初からついていた。
さすがに二日目まで駆り出され続けはしないだろうから、構わないといえば構わないし。
そんなことよりも、てきぱきと働きながらも頭の隅に残ったまま消えてくれないのは少し前に交わされた図書室での会話だった。
「お疲れさまです、交代します」
時間を見てクラスの屋台から引き上げて、普段と様相の変わった家庭科室に移動すると、ちょうど近くを通り掛かっていた入れ替わりになるはずの先輩が振り向く。
制服の上に着られた白のエプロンは、個性を出す為の飾り以外は全員お揃いのフリル付き。女子はともかく男子まで普通に着こなしている光景に苦笑してしまうけれど、見ている分にも楽しくはある。
やって来るお客さんの好奇の目も、文化祭という盛り上がった空気の中ではすぐに鎮火されているようだった。
「なつるちゃんお疲れ、代わる前にちょっとお願いしたいんだけど」
「はい?」
「おーなつるナイスタイミング、お使い頼むわー。これメモ、領収切ってもらって来りゃいいから」
「えっ?」
私に気付いて寄ってきた幼馴染みに、ぱしん、と頭にメモらしきものを叩き付けられた。
一応部長である彼方くんは、今回の企画を通す条件に責任もって現場監視することを学校側から義務付けられているため、二日ともほぼ家庭科室にこもりっきりだ。
なので、材料の不備には他の部員が駆け回ることになる、とは聞いてはいたのだけれど。
「随分早くない…?」
「あー、何てか、口コミってすげーな。思ってたより回る回る」
「うん…満員だしね」
予め多めに準備していたはずの粉ものがメモに並んでいるのを見て、それから各テーブルで賑わう来訪者と部員の姿にも目をやって、少し圧倒されながらも口元が弛んだ。
楽しそうで何よりだ。
「まだ一応余裕はあるが、夕方までは持ちそうにねぇんだよな。足りなかったらオレの財布も預けるけど、いるか?」
「ううん、これくらいなら大丈夫。行ってくるね。先輩、もう少し延長お願いしても…」
「ん、オッケー! こっちは任せて気を付けて行ってらっしゃい」
「はい、行ってきます」
着いて早々リターンすることになってしまったけれど、これも仕事と言えば仕事。早めに行って帰ってこなければいけないなぁ、と人波に飲まれそうになりながらも歩いてきたばかりの廊下を引き返して、外へと出られるルートを進む。
通り過ぎるどこの教室も、人声が賑わって活気があった。見ては回れないけれど他クラスの友人達もそれぞれ楽しんでいるだろうか。
(明日も駆り出されるかもしれないなぁ…)
幼馴染み提案の企画は、想定していたよりも随分と反響があった。
この調子でいけば明日の自由時間も少ないかもしれないなとちょっぴり残念な気持ちで足を進めていると、不意に聞き慣れた声に名前を呼ばれた。
「なつるさん」
「え?」
立ち止まって、視線を巡らせる。
さすがに人混みの中で人より目立たない影に気付くことはできなかったらしい。
目を凝らして初めて一つ先の教室の入口に白い浴衣が手を降っているのに気付き、再び足を動かした。
「テツヤくん!…って…それ幽霊?」
「はい。何でも脅かし役に打って付けだそうで」
確かに、たまに人を脅かしている彼には似合うかもしれない。
普段は忘れている影の薄さは白い浴衣も相俟って、今ばかりは目を逸らせば消えてしまいそうな雰囲気を醸し出していた。けれど。
「幽霊なテツくんも素敵だよ! すっごく似合ってる!」
「はぁ…ありがとうございます」
近寄ってすぐに気付いた存在、すぐ傍で頬を染めながら熱弁する少女に、私の視線は奪われる。
他校の制服に身を包んだ桃色の髪の美少女は、テツヤくんの一挙一動に反応しては笑顔を煌めかせていた。
(テツ、くん)
なんだか、とても親しげな空気を纏った人だ。付き合いの長さを察せられる。
普通に、いつも通りに彼に接しようとしているのに、彼女の存在があるだけで近寄りがたいものを感じてしまって、自然と笑顔が崩れそうになった私は慌てて取り繕った。
どうしよう。やっぱり、おかしい。
「なつるさんは休憩ですか?」
「え…あ、っう、ううん、彼方くんにお使い頼まれてて、今から材料調達に行くんだけど……」
その人は誰?、なんて、訊ねきれなくて尻窄まりになる。
じわじわと喉元に上がってくる苦みと、強く感じ始める脈拍。周りの騒ぎが聞こえなくなるくらい、世界が狭まるような感覚が襲ってくる。
「はじめまして、桃井さつきっていいまーす。テツくんの彼女です!」
「違います」
「え…え…?」
嘘? 本当? どっち…?
突然飛び出した単語に、がつんと頭を殴られた気分だった。
衝撃に耐えきれず狼狽える私に、即刻否定の言葉を繰り出したテツヤくんが小さく溜息を吐く。
「桃井さんは中学時代のマネージャーです」
「あ、そう…なんだ。えっと…白雲なつるです、はじめまして」
マネージャー。きっと、中学時代のバスケ部の。
彼女というのは嘘なのか、テツくんったら冷たい、なんて呟く少女の表情は特に変わりない。
それでもにっこりと可愛らしい笑顔を向けてくる彼女の、その気持ちは嘘ではない気がする。
相互的に成り立つ関係ではなくても、言葉や態度の節々に好意を感じて、身体の芯が震えた。
(駄目)
駄目だ、もう。頭の中を掻き回されて、気持ちが悪い。
ここに、いたくない。
「ご、ごめん私、買い物行かなきゃいけないから…そろそろ」
「それは一人でですか? 荷物とか、多いんじゃ」
「大丈夫っ…私これでもヤワじゃないし。ほら、せっかく友達来てるなら、テツヤくんは文化祭楽しまなきゃ」
買い物なんて、荷物の量なんて、本当に気にするほどのことじゃない。普段からやっていることだ。
だからそんなことはどうだってよくて、虚勢でも何でもなくて。嘘では、決して、なかったけれど。
逃げたいと思ってしまった。
本当は彼と、彼の傍に気兼ねなく彼女が寄り添う光景を見ていられなくなった。
桃井さんと呼ばれていた、彼女が何か悪いことをしたわけじゃない。ただ、私が持たないものを得て、私が作れない笑顔を持って、当たり前に彼の隣に並ぶ、その図がとても受け入れきれなくて。
息を吸うと、肺がきりきりと痛む。
熱をもつ目の奥をどうにかしたくて、彼らから離れて暫くの間、立ち止まってぎゅっと目を閉じ続けた。
もう、限界かもしれない。
痛みが唱う「あ…姉ちゃん」
「え…?」
上履きを履き替えて生徒玄関を出てすぐに聞こえた、誰よりも馴染む声に顔を上げると、数メートル離れた場所から此方へ向かってくる見慣れた中学の制服を見つけた。
「颯…」
片手に持つペットボトルを揺らしながらやって来た弟は、驚いて立ち止まる私を覗き込むと僅かに眉を寄せる。
「…何かあった?」
「え? ううん、何もないよ」
ぎくりと強張りかけた胸は無視して笑い返せば、つり目がちな瞳が微妙に細くなったけれど、それ以上は特に詮索されなかった。
騙されてくれたのか、許してくれたのか。どちらにしろ安心する。
「そう…ならいいけど。どっか行くの」
「ちょっと、彼方くんに頼まれたからお使いに行くところ…というか、颯も見に来たんだね」
「まぁ…部活休みだし、姉ちゃんいるし。誠凛も受けるつもりだから見学も兼ねて。つーか、また彼方?」
あいつまたいいように扱き使いやがって…と不機嫌を顔に出す弟に苦笑していると、嘆息しながら空いていた手首を掴んで引かれた。
「颯?」
「買い物、行くんだろ。なら荷物持ち手伝う」
「…ありがとう」
「ん、どういたしまして」
手首をすっぽりと掴んでしまえる掌の大きさに少し驚きながら、歩き始めた弟の隣に踏み出す。
じわりと広がる安心感は昔から変わらず、私を包み込もうとしてくれる。
(限界なんて)
まだ、感じたくない。感じちゃいけない。
私が望んだものを、私が手放してはいけない。
顔を上げることもできないまま、どこかで鳴き声を響かせる存在から意識を逸らした。
20131222.
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