涼しすぎない居心地のいい気温に馴染んで、にじんでいた汗も引いていく。
騒がしいとまでいかない、遠くのコーナーから僅かに聞こえるざわめきは逆に心を落ち着けてくれるし、古びた紙の匂いは言い表せない懐かしさを感じさせてくれた。
(先に少し見て回ろうかな…)
自習に使える机に勉強道具だけを置いて、貴重品を入れたバッグだけを持ってずらりと並ぶ本棚を見渡す。
大きな公立の図書館になると、さすがに取り扱うジャンルも幅広い。全ての本に興味をそそられるということはないけれど、自分を取り囲む本棚、古い本が放つ匂いや独特の雰囲気は嫌いではない。
どこかほっとさせてくれる、この空気が昔から好きだ。
空調管理もなされているし、静かすぎない静けさも心地いい。勉強もしやすい。夏休みのような長期の暇があれば、入り浸りたくなってしまうほどにはこの空間が気に入っている。
(現代小説…は後で)
入り口付近のコーナーは後回しに、古書、純文学の類いからゆっくりと本の列に目を通していく。
古い本でも、最近読んだ外国の児童書は中々学ぶ面もあって面白かったから、同じ著者のものを一通り借りて読んでみようか。
文庫本の並ぶ本棚を探し、同じレーベルを見つけ出す。そして覚えている著者名を口の中で唱えながら目をさ迷わせていたから、人の気配に気付けなかったのだろう。
とん、と右肩に衝撃を感じてからやっと、誰かにぶつかってしまったのだと気付いて慌てて顔を上げた。
「あ、すみませ…」
「いえ、こちらこ…」
どちらも、最後まで言い切る前にぴたりと動きを止める。
一瞬後、叫びそうになった唇を手で覆って止めた私に、見下ろしてくる瞠られた瞳がぱちぱちと瞬いた。
合宿以降顔を合わせていなかったから、見慣れていた夏服が久々に感じる。
隣に立っていたのは、最近はメールでしかやり取りできていなかった、テツヤくんで。
「…偶然、ですね」
「…う、うん…びっくりした…」
「ボクも…こっちに意識を持っていかれてました」
こっち、と示された彼の手には、読んだことのない著者名の書かれた文庫本が握られていた。恐らく、立ったまま目を通していたのだろう。
意識を持っていかれるほどには面白かったんだな…と思っていると、予想通りその本は本棚に戻されることはなかった。
「なつるさんも本を借りに?」
「うん…この図書館、好きでよく来るの。勉強もできるから、夏休みはほぼ毎日通ってるかな。テツヤくんは…部活は?」
「午前練です。時間が空いたから、久々に大きな図書館に寄ろうかと」
「じゃあ本当に偶然だね…すごい」
結構大きな図書館だから、知人がいても探し出せないことも多いのに。
こそこそと声を潜めて驚きながらも、なんだか嬉しい。
合宿の後も約束通り連絡はとっていたけれど、直接言葉を交わす機会はなかったからだろうか。少しだけ、心音が速まるのを感じる。
(やっぱり、忙しいんだろうな…)
全国レベルの試合に挑むのだから、当たり前のことなんだろうけど…。
部活動お疲れ様、と労う私にお礼と共に落ちてくる微笑は変わらず優しくて、身体の内側が解されるような気がした。
「なつるさんは、これから勉強ですか?」
「課題と、休み明けには試験もあるし…。テツヤくんは借りたら帰るの?」
「そのつもりだったんですけど…なつるさんがいるなら残ります」
「え?」
柔らかな笑みを乗せた言葉に、どきりとする。
ここで別れてから、また夏休み明けまで会えないのだろうと考えていた私の心が、見破られてしまったのだろうか。
そんな、顔に出したつもりはないのに。
「あの…でも私、勉強するし…図書館だから話せないよ…?」
「ボクも本を読むだろうから、喋りませんよ」
「あ…うん。そっか…」
確かに、本を読むにも適した環境だ。テツヤくん本人がそうしたいのなら、私が止める理由はないのだけれど。
まさか、ちょっと離れがたいなんて、思ってしまったのがバレたわけではないんだよね…?
不安に思って見上げた先で、彼は見透かせない表情で首を傾げた。
「偶然でも、なつるさんに会えたのにすぐに帰るのは勿体ないです。合宿からはメールでしか話してませんし」
「…う、ん。そうだね…うん…」
「…照れてます?」
「だから、そういうの聞かないでほしいです…」
顔が熱いから、絶対に赤くなっている。見れば判るくせに、訊ねてくるテツヤくんは意地悪だ。
案の定、先に本を選ぶ私を見下ろす彼は小さく笑っていて、それがまた何だか悔しいし、恥ずかしかった。
体感温度上昇中空調はきちんと管理されているはずなのに、また汗がにじんできそうだ。
20130714.
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