一週間の合宿も、これで本当におしまいだ。
迎えに来てくれた彼方くんの母親が運転する車に乗せてもらい、家の前で下ろしてもらうとタイミングを見計らっていたように玄関の扉が開いた。
「お帰り」
「ただいま、颯。何もなかった?」
「特には。荷物運ぶよ」
トランクから取り出そうとしていたボストンバッグが、私が手を伸ばす前に出迎えてくれた弟によって浚われる。
出掛ける前と変わらない様子に密かに頬を弛めていると、助手席から降りてきた彼方くんがにやにやと笑いながら隣に並んできた。
「おーおー、姉ちゃん帰ってきて嬉しそーだなぁ颯ぇ」
「あ、あと適当に冷やし中華作ってるから。そろそろ昼だし食べるだろ」
「おい無視か。兄ちゃんは無視か…ってぇ! 足! 踏むなちょっ…踏みにじるな痛ぇっ!!」
「……颯」
「制裁」
ふんわりと柔らかな笑顔で私を見下ろすわりに、視界の隅で彼方くんの足を踵で踏み潰す様は容赦がない。
遠慮がないと言えば聞こえは悪くないけれど…と苦笑していると、今し方降ろしてもらった車からも微かな笑い声が聞こえた。
「それじゃあ、車庫に持ってくから。なつるちゃんもお疲れ様」
「あ、はい! 私まで乗せてもらって、ありがとうございました」
「ご近所さんだもの。気にしないで」
にこりと笑って再び車を発進させるおばさんに、息子は置いていっていいのかな…と一瞬思うも、その息子というと未だに私の弟と騒いでいるから、何とも言えない。
賑やかに言い争う二人は本物の兄弟のようで、私には向けられない顔や態度も躊躇いなく交わし合うから、少しだけ面白かったりする。
「さて、颯作冷やし中華でも食うか」
「お前の分があると思うのかよ」
「何だかんだやさしー颯はオレを無下に扱えないからな!」
「ねーよ。てか、先に言うことあるだろ」
玄関へ向かう私達の背後を当たり前の顔でついてくる彼方くんに、苛ついてしょうがないといった表情の颯が振り向く。
「ん? 言うこと?」
対する彼方くんの方は言葉の意味を把握できなかったようで、きょとんとしながら首を傾げる。
瞬間、辿り着いた玄関に荷物を置いた弟は、その胸ぐらを掴むと踵を返した。
「お、おいちょっ…颯?」
「お前の我儘で姉ちゃん巻き込んで家より息抜きできるはずの合宿中まで仕事させて何か言うことないわけ」
「お、おーい…目ぇ据わってるよ颯さーん」
「あ、あの、颯? 私気にしてないから…」
「オレは気にするから。これはオレの問題」
ぎり、と力の込められる右手に引きずられていく幼馴染みの頬が引き攣っている。けれど、これは私も止められそうにない。
「おい、ちょい待ち颯悪かった! ごめんな! オレだけで手ぇ回んなかったんだよ! 今回は人助けだしっ…!!」
「別にお前の選択は責めてないけど」
「! はやっ…」
「でもオレは合宿中ぐらい休ませたかった。そこは許せないから」
シメる、と。普段聞くことのない低い声で呟きながら幼馴染みを外へと引きずり出す弟に、かける言葉が見つからなかった。
(心配、させちゃったんだろうしな…)
彼方くんの思い付きに日頃から振り回されているのも事実なので、フォローもできない。
庭は芝だから、もし投げ技を食らうようなことがあっても大事には…ならないと、いいな…。
まぁ、手加減を忘れるような颯ではないと思うけれど。このやり取りも何度も見てきたものだし。
「頑張って…彼方くん」
「おおおい!! 止めろよなつるっ!!」
「支度してて。すぐ帰ってくるから。オレは」
にっこりと普段見れないレベルの笑顔を浮かべる弟と、この先を予想して青ざめる幼馴染み。
苦い笑みを浮かべる私の目の前で、がちゃりと閉まった扉の音がやけに大きく響いた。
帰ってきた日常その後聞こえてくる悲鳴には大人しく耳を塞いでおくのが、昔からのお約束。
とりあえずは荷物の整理へと移りながら、私は幼馴染みの無事を祈ることにした。
20130512.
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