それなりに期間のあった合宿は、体感してみるとそう長いものでもなかった。
料理部の方に混ざって遊ぶことは少なかったものの、バスケ部の助っ人として過ごした数日間は私にとって充実したものだったと、胸を張って言える。
大層な助けになれたとは、今だって思っているわけではない。
けれど間近で見て、感じて、知る。その末、彼らを応援する気持ちに変化が現れないわけもない。
必死な姿を見た。温かな絆と熱意を感じた。苦しい練習の中でもバスケが好きだという、チームが大事だという部員を知った。
テツヤくんや彼方くんという切っ掛けから広がった繋がりは、今やそれだけ、と言い切れるものでもなくなっていて。
(冬は)
今度は、絶対に観に行こう。
彼らの勝ちを、この目に収めたい。
今の私は、そう思っている。
「なつるー、そろそろ集まるっぽいよー」
「はーい」
民宿の人にお礼を言って、全ての荷物を抱えると外で人数確認をしている先輩の元に急ぐ。
燦々と照りつける太陽に、汗が滲んだ。
「白雲です」
「はいオッケー。は、いいんだけど…なつるちゃん櫛木どこいるか知らない?」
「え? いえ、知りませんけど…」
「そっかー、あと来てないの二、三人なんだけどなー」
本来の集合時間は五分後ではあるけれど、早めに集まるに越したことはない。
名簿を睨みながら唸る先輩につられて、片手で目元に影を作りながら辺りを見回した。
部長が集まってないのは、確かにちょっと困るよね…。
(彼方くんに常識全てが通用するとは思えないけど…)
既に集合している部員達が固まり合って騒いでいる中、見慣れた影を探すも見つからない。
そういえばバスケ部も同じ日取りだったので、そっちに顔を見せに行って時間を見ていないのかもしれない。その可能性に行き当たり、私は一人頷いた。
どうせ現地解散の予定ではあるし、私は彼方くんの向かえの車に乗せてもらえる。
待っている間にも一人二人と集まってくる部員で名簿は埋まってしまったので、もういいか、と納得することにした。
打ち上げは昨日済ませているし、締めは副部長に頼んでも構わないだろう。
「先輩、名簿は私が預かりましょうか。彼方くんはいつ来るか判らないし…もう解散しちゃって」
「うーん…そうねぇ、時間になっちゃったし……悪いんだけどお願いしてもいい? 一緒に帰るなら大丈夫よね?」
「はい。先輩は代わりに締めだけお願いします」
「んー…仕方ないか。了解」
軽く肩を竦めながらも快く引き受けてくれた先輩にほっとする。
上下関係の薄い文化部ならではの空気感は、厳しい人間が見れば弛んで感じるかもしれない。それでも私含む後輩部員には居心地がよかった。
結局料理部合宿の締めは部長を欠いた状態で成され、部員達が和やかに散っていく様を見送った私は再び民宿へと踵を返した。
バスケ部の面々には挨拶を済ませてはいないし、幼馴染みを探しに行くのにもちょうどいいと思っての行動だったのだけれど。
「おーなつる」
「あ、彼方くん…に、テツヤくんっ?」
「おはようございます、なつるさん」
少し廊下を進んだところで鉢合わせた異様な組み合わせに、思わず声色が引っくり返りそうになった。
おはよう…と挨拶を返しながらも訝しげな目で見てしまうのは、仕方のないことだと思う。
彼方くんのことだから、てっきり先輩達と一緒にいるものだと思っていたのに。
合宿中にテツヤくんと仲良くしているところも見た覚えはない。
一体この組み合わせは…と首を傾げる私の横を、何でもないような顔をして通り過ぎる幼馴染みに更に狼狽えた。
「か、彼方くんっ?」
「どーせバスケ部に顔出すんだろ。オレは表に車呼んどくわ」
「え、ちょっ…」
ひらひらと片手を振りながら去っていく背中に戸惑いを隠せない。
どういう状況なの、これ…?
私の幼馴染みは、用もないのに仲良くもない人と連むようなキャラクターじゃない。
嫌な予感に振り向いた先、ぱちりと瞬く透き通るような瞳とぶつかった。
「えっと……もしかして、また彼方くん、変なこと言ったりとか、したとか…」
何しろ、前例がある。
そうでなければいいと思いつつ、既に申し訳ないような気持ちで訊ねた一言を受け取った彼は、軽く頬を掻いた。
「変なことは言われてませんけど…」
「け、けど?」
「なつるさんを泣かせたら八つ裂きにされるそうです」
「それ充分変なことだよ…!」
八つ裂きって、テツヤくんに何てことを…!
まだ勘違いされていたことと彼に迷惑を掛けてしまったことに、私が落ち込む。
彼方くんは大袈裟に心配性過ぎる。
(私だってもう高校生なのに…)
いつまで、子供のように過保護に扱われるんだろう。血が繋がっているわけでもないのに、家族のように大切にしてくれるのは嬉しい。それは勿論嬉しいのだけれど…たまに対処に困る。
頭を抱えて羞恥心に耐えていると、普段と変わらない落ち着いた声に大丈夫ですよ、と慰められた。
「変じゃないです。ボクだって、なつるさんを泣かせる人は許せませんし」
「っ…、え…っ?」
「櫛木先輩の気持ちも…半分は解ります。でも、ボクは泣かせませんから」
「う、や、それは…まぁ…」
テツヤくんに泣かされる図なんて、私だって欠片も想像がつかないけれど。
でも、なんだかその言い方だと違う風に捉えてしまいそうになる、というか。
熱の上がってきた顔を逸らしながら隠しているのに、じゃあ行きましょうか、と握られた手にどきりと心臓が跳ねる。
思わず隠していた顔を上げてみれば、柔らかく相好を崩した彼が当然のように私の指を絡め取っていた。
「バスケ部に、顔を出すんですよね。だったら一緒に行きましょう」
「あ…っ……うん…」
あ、あれ? 手は、繋いだまま…?
促されるまま隣に並ぶも、違和感に気付いて横顔を窺う。
夏だし、恥ずかしさで変な汗をかきそうだし、胸が痛いし…できればさりげなく離してほしいのだけれど。
私の視線の訴えを受けて、軽く振り向いてくれたテツヤくんはふわりと微笑む。
つい見惚れてしまいそうになる私に、解っているのかいないのか、判断のつかない態度で。
「明日から、また暫く会えませんけど」
「え…あ、うん。そうだね」
「たまに連絡してもいいですか」
「! わ、私も…じゃあ、メールとか」
「はい。してください」
連絡先は、昨日の夜の内に交換してある。アドレス帳に新たに増えた一件を思い出して、また胸の中がきゅっ、と締まる。
休みの間でも、話せる。
勿論練習の邪魔はできないし、頻繁には無理だろうけれど。それでも繋がりが一つあるだけで、身体の芯が弛んでしまいそうなほど嬉しかった。
「あ…でも」
一つだけ、気掛かりなこともある。
「メールとかもいいんだけど…いつものあれも」
慌てて見上げた私の言わんとしたところを逸早く悟り、ああ、と頷く彼の表情も、どこまでも柔らかい。
「勿論、やめません。というか、やめたくないです」
「そ、そっか…よかった」
伝達手段として便利ではあっても、その為に一手間の楽しさを奪われるのは寂しい。
たった一枚の付箋から広がった関係だから、その繋がりはなくしてしまいたくなかった。
「私…テツヤくんとやり取りするの、好きなの」
こんなこと、口に出すのが恥ずかしいなんて、今までなかった気がするのだけれど。
身体中がどきどきと、震えている気がする。握られた手には汗が滲むし、顔も熱いから真っ赤になっているかもしれない。
変なことを言ってしまっただろうか。
不安になって横目で隣を見上げれば、何かあったのか口許を手で覆っていた、彼の頬も赤かった。
「え、て…テツヤくん?」
「…ボクも、好きです」
「っ!! あ、う…ん」
やっぱり、恥ずかしいことを言ってしまっていたらしい。
自分が言われてから気付くなんて…。
(馬鹿だ…)
でも、だけど、好きって。
テツヤくんも、私とのやり取りを好きでいてくれてるって。
それは本当に、嬉しくて。何も言わなくても同じ気持ちを抱けていたことに、感動したりもして。
言葉にならない衝撃にばくん、と跳ねた心臓を持て余しながら、右手に込められた力に、俯くことしかできなかった。
何でもないやり取りのように、何でもないこの時間を、切り取っておきたいと思った。
新たなやり取りずっと胸の中で疼いている、初めて感じるあたたかくて擽ったい感覚。
これは一体、何だろう。
20130408.
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