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そろそろ来ると予測できていた言葉に、今更傷ついたりはしないのだけれど。






「勉強の方は大丈夫なんでしょうね、なつる」



久々に朝食の席で顔を合わせた母の一言に、三人分の味噌汁を装っていた私は内心溜息を吐いた。

昔からとやかく体裁を気にする母は、成績ごとに厳しい方だ。
今朝も席を外している父にもそれは言えるが、父の方は男と女の絶対の差というものを信じている人なので、それほど成績が良くなくても他のことで評価はしてくれる。
けれど母はどうしても、同じ女である所為なのか、私の出来が悪いとその都度機嫌を悪くした。
曰く、今は女も社会的立場に拘るべきだ、と。その為には充分な学歴は必須らしい。

私は別に、普通に働いて、普通に結婚できたらいいな、くらいの理想しか抱いてはいないのだけれど。
父や母を間違いだと責める気はないけれど、仕事や裕福さよりも身近な温もりの方を大切にしたい。



「期末試験の勉強は、してるよ」



母と弟の前にお椀を置きながら答えると、既にきっちりとメイクを終えた母の眉間に皺が寄った。



「そう言うけど、あなた中間はギリギリ10位内だったでしょう。理解できないところはできるまでやっているの? 先生方に訊きに行ったりとか…」

「うん…しているんだけど、応用に弱くて」

「応用問題だって似たような問題はテキストや問題集にあるはずよ。もっと事細かに見て解いておきなさい」

「…はぁ」



咄嗟にごめんなさい、と口にしそうになった私を遮ったのは、それまで黙々と朝食を口に運んでいた弟の嫌気を丸出しにした溜息だった。



「姉ちゃんの三分の一でも家事やってから言えば。せっかくの朝食が不味くなる」

「なっ…」

「は、颯…」

「三分のーでもやってみて、今まで通り仕事で成果出せたら文句言えるだろうけど。予備校も通わず10位以内、上等だろ」

「あ、あなたは5位内キープできてるじゃない。なのになつるができないわけが‥」

「オレは姉ちゃんほど家のことやってないし。何が楽しくて親の部屋まできっちり整えたりするんだよ。馬鹿らしい」

「っ、あなた」

「ご馳走さま。だし巻き美味かった」

「…お弁当にも入れておいたよ」



きちんと手を合わせて食器を片付ける為に席を立つ弟に苦笑を向ければ、ありがと、と笑いかけられる。
私には柔らかい表情も見せるのに、両親に対しては厚い壁を見せ続ける弟には苦い笑みしか浮かばない。

気持ちは、解らないわけじゃないんだけどね…。



「…どうしてああなのかしら。出来はいいのに、可愛いげのない」



通り過ぎていった息子の背中を苛立たしげに見つめる母には、おそらく何を言っても通じない。
その態度が私を想ってのものだと言えば余計に機嫌を悪くするのだろうと、少し冷めた味噌汁を流し込みながら思った。

どうしても価値観が違う人間には、言葉の真意までは伝わりきらないものだ。









「試験勉強ですか」

「っ、びっくりした。黒子くん」



窓際に設置された図書室の長机の隅で、問題集と睨み合っているところで不意に掛けられた声に驚いて顔を上げると、むに、と右頬を摘まんで引っ張られる。
あ、と気づいてテツヤくん、と言い直すと満足げに指は離れていったけれど、摘ままれていた部分が少しだけ熱を持ったような気がした。



「な、なんかこれどっちも恥ずかしいんだけど…」

「そうですか」

「変えてくれる気はないんだね…」



恨みがましい私の視線を受け止めながら涼しげに微笑む彼は、意外と頑固だ。

どうやら名前呼びの罰ゲームは決定してしまったらしく、最近は私が呼び間違える度に伸びてくる手に頬を摘ままれ続けている。これでもう何度目かも判らない。



「なつるさんが間違えなければ何もしなくていいんですけど」

「う…」

「いっそ名前で呼ぶ方を練習しますか」

「…そうだね。期末試験の後にでもしようかな」

「試験後は夏休みですけど」

「……テツヤくんの意地悪が強まってる気がする…っ」



うっ、と両手で顔を覆うと、不可抗力です、と返される。
何がどう不可抗力なのか訊ねる前にがたりと隣の椅子の引かれる音がして、つられて顔から手を外すと、椅子に腰掛けたかと思うとこちらを向いて軽く首を傾げる彼がいた。



「え、何?」

「いえ…なんだか、元気ないのかな、と思って」

「え…?」



ぱちり、瞬く私を見つめる透き通るような瞳は、真剣で。
心臓がドキリと脈打ったのは、図星を刺されたからなのか、何なのか。



「別に、いつも通りだと思うけど…」

「…話したくないことなら聞きませんけど、誤魔化すのはやめてください」

「……ううん。誤魔化してないよ。…この時期としては、いつも通りなの」

「……勉強ですか?」



机に広げられた筆記用具に移された視線に少しだけほっとした気持ちになるも、続けて問われた質問の鋭さに浮かんだのは苦笑だった。

黒子くんは、本当に優しい。
時々、都合の悪さを感じてしまうくらいに。



「少しね、伸び悩んでるっていうか」

「……」

「成績自体は、私はそんなに気にしてないんだけど…もっと頑張らないと、もっと駄目になっちゃう気が、したり、して…」



母の言葉や弟の態度が、浮かんでは消える。

母に厳しく接されるのは、あれでいて私の幸せを願っているからだということは、解っている。
そして颯が頑なに両親を認めなくなったのは、近くで私を見ていてくれたからだとも。

どちらも間違いではないし、優しさだと思う。
でも、私がもっと優れていたら、しっかりしていたら…もう少しくらい歩み寄れるかもしれないとも思って。
母の機嫌を損ねることも、颯に余計な心配をかけることも、無いはずだと思って。

そうしたら、どうしようもなく、申し訳ない気持ちにもなって。



「勝手に私が悩んでるだけだから…テツヤくんが気にすることじゃ、ないんだよ」



もっと、完璧に。頑張らないと。
確かに今の頑張りが、未来に役立たないわけでもないから。

気にしてほしくなくて笑った私を見つめ直す視線は真っ直ぐで、少しだけ怯みそうになる。
耐え兼ねて目を逸らしそうになった時、伸びてきた両手にぐい、と両頬を摘ままれた。



「!? な、なんで? 私今呼び間違えてないよね…っ?」

「少し、頭にきたので」

「えっ…!?」

「無理してるなつるさんを、心配くらいさせてくれませんか」



引っ張られる頬が、地味に痛い。
思わず滲んだ涙を見て、彼の手はすぐに離れていったのだけれど。

届いた言葉はとても、温かくて。
不意に弱い部分を突かれて、先に頬を摘ままれていてよかった、と思った。
痛みで滲んだと、誤魔化せるから。



「分かる人には分かりますよ」



なつるさんは頑張り屋過ぎです、と。
頭を撫でてくる彼の手つきはやっぱり優しくて、もしかしたら私の涙の理由も気づいているのかもしれない。

敵わないなぁ、と唇の裏側で呟いて、暫くはその緩やかな手付きに意識を傾けるよう、目蓋を伏せた。

彼はやっぱり、優しすぎる。






享受する温もり




言葉が足りなくてもこれだけ的確に、分かり合える人だって存在するのだ。
20120921.

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