委員会の仕事ということは、おそらく居場所は保健室。
もし居なかった場合も職員室まで引き返せば担当教員なり事情を知っている教員がいるはずなので、今回ばかりは高い確率で彼女を見つけ出せるだろう。
そう思い、上履きに履き替えてからまず最初に向かったのが、西側の校舎の端、校庭に近く造られている保健室だった。
文化部の活動時間は片付けや自主練の時間差もあって、運動部よりも短くなりがちだ。
既に殆どの人間は帰ってしまった後らしく、廊下では一人二人の生徒としかすれ違うことはなかった。
そんな時間までメールへの返信を忘れて居残るほど、忙しい用事でもあるのだろうか。
保健委員の仕事は詳しくは知らないが、少しだけ気になり、歩く速度が上がった。
(教員不在…)
そうして辿り着いた教室の扉には、担当教員の不在を知らせる札が降りている。
鍵の確認に扉に手を掛ければ、カラカラと小さな音を立てながら難無く開いた。
(不在なのに施錠はしてない…)
若干管理が甘い気がするが、教員代わりに誰かが残っているというなら話は別だ。
しかしその場合なら、ドアの開閉に何らかの反応があってもよさそうなものだが。
一応中を確かめてみようと、室内に足を踏み出して扉を閉める。
それから何気無く足を動かしながら周囲を見渡して、すぐに目に入ってきたものに息を飲んだ。
「……!」
何も考えずに近づいてみた、まだ新しい濃いブラウン色のソファーに、彼女はいた。
横向きに倒れこんだような姿勢で、穏やかな寝息を立てながら。
入口からは死角になって気付けなかったらしい。
テーブルの上には山積みのファイルと、恐らく眠りに付く前に彼女が握っていたのだろうシャープペンと数学のテキスト、綺麗な字の並んだノートが広がっている。
空いた時間で期末試験の勉強をしていたのかもしれない。そしてその内眠気に耐えきれなくなり、横になったというところか。
何にしろ、無防備極まりない。
人気の少ない校舎で、誰でも出入りできる教室で、ここまで寝入るのはかなり不味い気がする。
起こさなければ、と思う。
けれど、顔を見たかった人を漸く見つけられて、しかもとても心地良さそうに寝入っている場合、なんだかそれはそれで勿体無いような気持ちにもなってしまって。
目が覚めたら、どんな反応をされるのだろうか。
驚いて、それから、逃げられでもしたら。
確実に、落ち込む。
避けられるより、目の前で逃げを打たれる方が更に辛い。
(でも、このままにしておくわけにも…)
彼女の弟も待っていることだし、どうせぶち当たることになる壁だ。寝入った彼女を放置して引き返すようなことも、できるわけがない。
小さく深呼吸をしてから固まっていた足を動かし、ソファーの前に回り込んで膝を曲げる。
すうすうと微かな呼吸音が届くくらい近く、その顔を覗き込んで、自然と自分の目蓋も伏せがちになった。
柔らかそうな髪が頬から、薄く開いた口許にかかっている。
初めて見る彼女の寝顔は、あどけなくもどこか女らしさを感じさせるものがあって、直視するのが申し訳ない気がするのに、一度見てしまうと目が離せない。
(…起こさなくちゃ)
いけない。の、だけれど。
あの穏やかな、ずっと見ていたくなる笑顔ではないけれど、その表情を崩してしまうのが惜しい。
僅かに沈んだソファーと、軽く投げ出された手と、微かな寝息と、秒を刻む時計。
緩やかに進む時間が、胸を突く。
何も考えずに動かしていた左手が、彼女の顔にかかっていた髪を一房、すくいとってかき上げた。
たったそれだけでも、無意識の行為に自分でも驚いて肩が跳ねる。
今、ボクは、何を考えて。
「ん……う…」
「! なつる‥さん…?」
「うぅ…?」
頬に触れた指先が擽ったかったのか、弛んでいた唇がきゅ、と結ばれる。
何故か、その仕種にどきりとした。
「ん………ん…?」
ふるりと睫毛が揺れたかと思うと、重たげに目蓋が引き上げられる。
ぼんやりと微睡む瞳が自然とボクをとらえて、不思議そうに瞬くのがまた、可愛いと思う。
けれど、問題はそんなことではなくて。
「ん…あ、れ? 黒子く……えっ…?」
比較的すぐに覚醒したなつるさんは、びくりと身体を引き攣らせたかと思うと勢いよく身を起こした。
そしてボクの存在を今一度確認し直し、表情を固くする。
「な、なんっ…え? 何で黒子くん、ここに…っ?」
ああ、崩れてしまった。
穏やかだった空気が急に緊迫してゆくのを感じて、溢れそうになる溜息を飲み込んだ。
(もう少し…)
見ていたかった、なんて、不躾だとは思うけれど。
とりあえず今は、真っ赤に顔を染めた彼女が逃げ出してしまわないよう、ソファーに置かれた手を押さえておこう。
保健室のソファー少なくとも、嫌がられるというよりは、恥ずかしがられているように見えるから。
20120916.
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