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「ええと…国木田、国木田……あ、あった」



昼休みも残り10分近くという時間帯、人目につかない図書室の端に設置された古書の並ぶ本棚を仰ぎながら、目当ての本を見つけて頬を緩めた。

新書の部類も嫌いではないけれど、たまにふと、先人の書き留めた文章を読んでみたくなる時がある。
今はちょうどそのピークで、昔の本と言えど比較的文体が古風でなく読みやすいものを漁っている最中だ。
その時々の時代背景や著者の思想が所々に出てくる書物からは、現代とはまた違う生々しさが滲み出てくる。深く読めば読むほど遠く何の縁も無いはずの今は亡き彼らと、心の奥底で繋がるような気がする。その感覚が嫌いではなかった。

目当ての本は一番上の棚に収まっていて、あまり背の高い方ではない私では踏み台無しには届きそうにない。
少しだけ悔しいような、切ないような気持ちになりながら近くにあった台を引っ張ってきて登ると、それでも辛うじて届くくらいの棚の高さに自然と眉が寄った。



(高校の本棚として、これってどうなの…)



高過ぎやしないだろうか、これは。
私の背が高くないと言えども精々女子の平均値を僅かに下回る程度のもののはずだ。明らかにこれは、本棚と踏み台の高さが釣り合っていないように思える。

特にこんな古書の辺りに来る生徒は少ないので、通り掛かった親切な人が代わりに取ってくれたりするようなことも殆ど無さそうなものなのに。
新設校で施設のスケールが違うからこその失点というか…いっそ椅子でも引き摺ってきた方がマシだったかもしれないなぁ…なんて、一人の世界に入り込んで考えていたのが悪かったのかもしれない。



「あ、なつるさん」

「っ!? くろっ…ふわっ!」

「!」



詰め込まれた本を引き出している最中に掛けられた声に振り向いてしまい、その存在に驚いた瞬間に勢い余って体勢を崩してしまった。

押し出した踏み台が床を滑って本棚にがつりと当たった音が耳に入ったけれど、それどころじゃない。
予想外のアクシデントに咄嗟に反応できなかった私は、何故か抜き取った本を抱えておくのに夢中で自分の身体を守ることを放棄してしまった。

まずい、という考えが脳裏を過った時には、既に体勢を立て直せるような状況ではなくなっていて。
衝撃を覚悟してぎゅっと目を閉じた瞬間、固い音が耳に飛び込んできて、ぐ、と背中が引き上げられる感覚に襲われた。

軽く軸が立て直されて、すぐに床についた脚と背中にある支えによって、衝撃が殺される。
それでも立ったままでいることはできなくて、そのままぺたりと床に座り込んでしまったけれど。

想像していた痛みの半分も襲ってこなかった現実に狼狽えて、きつく閉じていた目蓋を押し上げた私は、目の前の光景に更に狼狽えることになった。



「っ!?…えっ? く、黒子くっ…ええっ?」

「ギリギリセーフでしたね…すみません、驚かせてしまって。怪我はないですか?」

「う、え、あ、はい。ない…です……」

「なら、よかったです」



ばくばくと暴れる心臓が、治まらない。

私を支えるように、片手で棚に掴まりもう片手を私の背中に回してくれたらしい彼は、座り込む私に合わせて蹲み込んでいて。
その距離の近さだとか、触れたままの腕だとかに、かっと顔面に熱が集まる。

多く見積もって15センチ程しか離れていない距離では、羞恥心で一杯になった自分を隠すことなどできるわけがなかった。
あまりの恥ずかしさにうまく言葉を交わせない私を疑問に思ったのだろう。なつるさん?、と不思議そうに首を傾げる彼に、申し訳なさまで込み上げてきた。



「ご、ごめんなさい…ちょっと、びっくり、して…」

「え、いえ‥なつるさんが謝ることじゃ…元はと言えばボクが急に話しかけたのが悪いんですし」

「ち、違うの、その…あの……」



黒子くんが、近いから。

どうしてかその理由を言うのは恥ずかしくて躊躇われて、何の動揺もしていない様子の透き通った瞳を見上げれば、一瞬の沈黙の後にあ、と彼が声を漏らした。
それから直ぐ様背中から剥がれた手に、ほっと息を吐く。
何だか、何故だか緊張して、呼吸がしづらかったのだ。



「すみません…つい」

「え、う、ううん! 黒子くんは助けてくれたんだから…寧ろ、ありがとう」

「嫌な思いをさせませんでしたか?」

「ないよ! 本当に違うの。私がちょっと、その…男の子に、慣れてないだけ…です。うん」



決して不快だったわけじゃない。恥ずかしかったし、心臓が痛いくらい存在を主張しているけれど。
それは黒子くんが嫌だとか、そんなことじゃなくて。
男の子に、家族以外に身体を触られるなんてことが殆どないものだから、変に意識してしまっただけだ。



「でも、驚いた…黒子くんって、結構力強いんだね…」

「それは、ボクも一応男なので…なつるさんよりは強くないと困ります」

「うん…そうだよね。でも…」

「?」

「…ううん、やっぱり何でもない」



立ち上がって、スカートに付いた埃を払い落としながら漸く落ち着きかけてきた動悸を確かめて、深く深呼吸をする。

改めて、男の子なんだなぁ、なんて。
分かりきっていることのはずなのに、そんなことを考えた自分がよく分からないけれど、気恥ずかしかった。








本棚とアクシデント




例えば筋ばった手だったり、明らかに自分よりも力強い腕だったり。
物静かに見える彼だからこそ、余計にその差を見せつけられたような気がした。



(ところで、なんですが)
(? うん?)
(今日は名前で呼んでくれないんですか?)
(っ!?……あ、え、えーっと…その‥あれ、正直かなり、恥ずかしくて…ですね…)
(…ボクは嬉しかったんですけど)
(う……し、精進して‥みます…)
(それじゃあ、楽しみにしてます)
(な、何でそんな楽しそうなの黒子くん…)
20120831.

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