「リビングにソファーがあるから、そこで待っててくれるかな。颯は案内ね」
「ん。じゃあ黒子さん、こっちです」
唐突に招かれることになったなつるさんの自宅は、新築とまでは言えないが庭や玄関回りの芝まで綺麗に切り揃えられ、所々に置かれた花は綺麗に咲き誇っていた。
扉を潜ると、今まで隣にいた彼女はすぐに奥へと去っていく。
弟の颯くんはボクを促して歩き出すと、廊下から一番手前の扉を開けて先に入り、手招きをした。どうやらそこがリビングらしい。
足を踏み入れたその部屋は広く、キッチンとの間に壁と背の高いカウンターを挟んだ間取りで、おそらくもう一つ先の扉から入ればキッチンに繋がっていたのだろうと推測がつく。
てきぱきと動き回るなつるさんが、カウンターを挟んでちらちらと此方からも窺えた。
陶器を扱う音や、引き出しを開ける音。彼女の立てる生活音を聞きながら、案内されたソファーに腰かけさせてもらった。
長椅子は彼女らが使うだろうと、そこだけは配慮しながら。
「黒子さんって、姉ちゃんと同じクラスか何かなんですか」
あまり部屋の中をじろじろと見るのは失礼かと控えたが、ぱっと見た感じでは落ち着いた色合いのソファーやカーテンで彩られ、所々インテリアとして置かれた小物も雰囲気を崩すほどではない。彼女に似合いの家だ。
そんなことを考えていれば、正面の長椅子に腰かけた颯くんが何の前降りもなく先程の言葉を切り出した。
「? いえ、クラスは違います」
「それじゃ、何で友達に?」
「偶然、図書室に案内して…それからよく話すようになったんです」
じっと見つめてくる視線から逃れる術もなく、聞かれたことに素直に答えながら首を傾げたいような気持ちになる。
この、まるで見合いの席で相手を見定めようとするかのような空気は、一体何なのだろうか。
若干の居心地の悪さを感じて、疑問に思う。
「じゃあ、話は合うんだ…」
「…あの、どうかしましたか?」
「いや、別に。それより黒子さん」
「はい?」
何やら考えるようにボクから一度外れた視線が宙をさ迷い、もう一度帰ってくる。
その、人を真っ直ぐに見つめる目は、彼女に似ているかもしれないと思った。
「姉ちゃんのこと、どう思います?」
そうして吐き出された言葉には、一瞬何を問われたのか解らず、瞬きを繰り返してしまったが。
「どう…?」
「どう思います?」
「…それは…性質とかの話ですか?」
「まぁそれも込みで。黒子さんが姉ちゃんをどう思ってるのか知りたいっていうか…」
後半、口ごもりかける彼の表情を見て、ああ何だ、と納得する。
多分彼は、姉の周りにいる人間がどの程度のものかを知りたいのだろう
彼女が、優しい弟だと言っていた言葉を思い出した。
些か心配性な気質なのかもしれない。彼女が自分の知らないところで傷ついたりはしないか、危険な人間はいないか、気になる気持ちは解らないでもない。
「そうですね…」
なんとなくその心情を察することができたボクも、真剣に考えて答えることにした。
きっと彼が気に病めば、彼女も同じように不安を感じるのだろうと思ったからこそ。
「なつるさんは…繊細な人だと思います」
「……」
「優しいし、よく気がつく‥傍にいると落ち着く人ですね。あまりいい人間でなくても疑わないまま接する気がします」
「…まぁ、うん。そうですよね」
「それから…」
口にしながらちらりと、一人動き回る彼女を見やる。
人の気持ちに敏感で、よく気がつく優しい人。
だけれどたまに、知り合って長くはないボクですら、気になってしまう悪癖がある人。
「他人を思いやる気持ちは大切だし、決して悪いものじゃない。けど、なつるさんはそれが強過ぎる部分がある気がします。結構な確率で自分を蔑ろにしているんじゃないかと…ボクですら少し、心配になります」
その性質は、確かに尊いものだろうが。
それでも彼女を好ましく想う人間にしてみれば、もっと楽でいてもいいと、言ってしまいたくなる。
ボクがそうなのだから、血を分けた家族である彼は余計にそう思うのではないだろうか。
目の前に視線を戻せば、今まで動かなかった表情が苦味を帯びていた。
「お茶がはいったよー…颯? どうかしたの?」
「…別に、なんでもない」
「そう…? はい、お茶菓子にチェリーパイをどうぞ」
「美味しそうですね」
「口に合うといいけど」
いつも通りのふわりとした笑顔は、見ているこちらの胸の中まで入り込んで、じわじわと広がり満たしていく。
そんな風に、いつだって無理をせずに笑っていてほしいと思うのは、きっとボクだけではないのだろう。
並べられたティーカップで揺れる琥珀色に目を落として、少しだけ苦い気持ちを洗い流した。
その後は喧しいと感じない程度の談笑をしながら、彼女の淹れてくれた紅茶とパイをご馳走になった。
ヨーグルトのクリームと二種のチェリーの甘酸っぱさが絶妙なそれは、見た目の綺麗さは勿論のこと、店頭に並んでもおかしくないレベルで美味しい。
普段はあまり飲まない紅茶も、特有の渋みは気にならず、口にいれた瞬間の香りに目を瞠るほどだった。
素直に感想を伝えれば彼女は心から嬉しそうに微笑むものだから、元から正直な口は余計に柔らかくなるようで。
喜ぶ彼女を横目で見つつ、見守るように頬を緩める彼にも、少しだけほっとした気持ちになった。
一先ず、怪しまれたり嫌われたりといったことはないようだ。
「それじゃあ、今日はご馳走さまでした」
「こちらこそ。わざわざ送ってくれてありがとう」
たくさんお喋りできて嬉しかったよ、と微笑む彼女に、今日もこれで何度目か判らない充足感に満たされる。
沈みかけた日の光に照らされたなだらかな髪が、キラキラと反射するのに目を引かれた。
「では、また学校で」
「あ、うん。またね!」
門の前まで見送りに出てきてくれた彼女に軽く頭を下げて踵を返し、少しだけ距離が遠ざかった時だった。
焦りを感じる声色で、呼び止められたのは。
「あの!」
「?」
振り返った先、門の前から少しも動かず僅かに離れた距離に立ち尽くしたままだったなつるさんの顔は、真っ赤に染まって見えた。
「付箋とか…あの、今日は本当にありがとうっ…テ‥テツヤくん…っ!」
「え…」
「それじゃあ!」
慌てた仕種で家へと駆け込んでいってしまった彼女に、今度はこちらが立ち尽くしてしまった。
一気に速度を増した心音を、思わず掌で確認して喉を鳴らす。
またしても、不意討ちだ。
「…まずい」
ただ、名前を呼ばれただけのこと。
ただそれだけのことに、じわじわと込み上げる熱をどうしても誤魔化せない。
彼女の頬が赤く見えたのは、夕日の所為だろうか。それとも…。
答えなんて知りようもないのに気になってしまう。そんな気持ちを持て余したまま、ボクは暫くの間その場から立ち去ることができなかった。
二度目の不意討ち次に顔を合わせる時は、また、呼んでくれればいい。
そんな願望だけが、確かに残った。
20120822.
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