海常高校との練習試合が決まり、突如現れた黄瀬くんに宣戦布告した日の部活後、いつものように帰り支度を済ませて校舎を出ようとしたところで、校門に寄りかかる影を見つけて小さな驚きに足を止めた。
「白雲さん?」
鞄を右肩に何をするでもなく、ぼうっとした様子で立ち竦んでいたのは、最近よく話すようになった白雲さんだった。
ボクの呼び掛けにぴくりと身体を跳ねさせて、向けられた瞳が現実に戻ってきたようにぱちりと瞬く。
傾いて鮮烈さを増した日の光に照らされた彼女は、ボクの名前を呟いてふわりとした笑みを浮かべた。
「なんだかよく会うね。部活の帰り?」
「はい。白雲さんも?」
「うん、今は弟の迎えを待ってるところ」
「兄弟いたんですね」
「うん、いたの。ちょっと過保護だけど優しくて自慢の弟!」
余程兄弟仲がいいんだろう。
自慢の弟だと語る彼女の表情は本当に嬉しそうで、つられてこちらの心も解される。
まだ日の沈む時間とまではいかない。これから更に日の出ている時間は延びるが、わざわざ高校まで姉を迎えに来る辺り、確かにその弟というのも彼女を大切に扱っているのだろうと察することができた。
(気持ちは解らないでもないけれど)
彼女がしっかりしていないというわけではないが、自然と人を惹き付ける性質を持っているということは、出逢って短い間でも身をもって知っている。
近づいてくる人間が善意を抱く者ばかりとは限らないのだから、彼女の弟が過保護になるのも何もおかしいことではない。
そこまで考えたところでふと、返ってきた本に挟み込んであった栞に貼られていた付箋を思い出して、喉の奥がむず痒くなるような感覚に襲われた。
彼女にとっては特別でも何でもないことなのかもしれないが、あれは完全に不意討ちだった。
不快感があったわけでは勿論、絶対にないけれど。
「どうかしたの、黒子くん?」
「…いえ」
急に黙ったボクを訝しく思ったのだろう。小首を傾げて不思議そうに見つめてくる彼女の瞳の中で鮮やかな橙の光彩が揺れる。
一瞬、目を奪われた。
真っ直ぐな視線が夕陽に彩られる光景が、とても素直に綺麗だと思えて。
「…今度、白雲さんのお薦めの本も教えてもらえますか」
内心の動揺を気付かれないよう平静を取り繕って話し掛けたボクに、彼女はすぐに笑顔を返してくれる。
「うん、勿論! 私も、黒子くんにも私のお薦め読んでほしいなぁって思ってたの」
またお揃いだね、と笑う白雲さんに、断られないだろう予感はしていたが、つい無意識に緊張していたらしい。ほっと安堵の息を吐く。
そうしてまた同じような気持ちでいたということを実感して、何とも言えない充足感が内臓を充たすのが判った。
「あ、颯…弟が来たみたい」
ふわふわと浮き上がる気持ちを捕まえているうちに、彼女が一番近い交差点を指差して校門から一歩遠ざかった。
もう少し話をしていたい気持ちもあったけれど、彼女の帰宅を邪魔するわけにもいかない。
その指の先を辿ると、細かい容姿までは判らなかったがボクとそう変わらないくらいの身長の、誠凛からそう遠くない公立中の制服に身を包んだ男子がこちらに歩いてきているのが見えた。
「それじゃあ、お疲れさま。今度本も持ってくるね」
「はい、楽しみにしてます」
「うん! あと、話し相手になってくれてありがとう」
彼女が一人にならないように、退屈しないように。
そう思ってボクが校門で足を止めたのだと、彼女は解釈したらしい。
確かにそれも間違いではないが、部活後すぐにでも家に帰って身体を休めたい中でも苦にも思わずにその行動を選択した理由は、ただ単にボク自身が彼女と言葉を交わしたかったからだ。
思い遣りより自分がどうしたいかを、考える間もなく選んでいた。
それでも彼女が好意的に受け取ってくれたのなら、それはそれで得をしたと思うのは少し狡いだろうか。
ボクが話したかっただけですから。
その一言はそっと喉奥に押し込み隠して、手を振って離れる彼女に小さく微笑んで返した。
「気を付けて帰ってください」
「うん、ありがとう!」
じゃあまたね、と離れていく彼女の満面の笑顔が、特別なものであればいい、と思う。
手を振る校門前何でもない日常が少しだけ綺麗に思える、そんな夕方。
20120724.
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