10000 | ナノ
赤林×少年


*天涯孤独ツンデレ来良男主が苦手な赤林さんにお世話になってる話(斑目響希様)
*ぬるいですが血・猟奇・暴力・薬物売買表現等が含まれますので大丈夫な人向け


















5年前。
忘れもしない午後6時過ぎ。
小学生だった僕が友達の家から帰って持たされていた鍵をノブに差し込んで回すと、がちゃん、と鍵が閉まった。

あれ、変だな。

戸締りにうるさかった母さんは、いつもきちんと鍵をかけていたのに、今日は僕が出かけてから今までずっと鍵がかかっていなかった事になる。
珍しいなぁ、と思いつつもう一度鍵を回して玄関を開けた途端、鼻をついた悪臭に思わず一歩後ずさった。
噎せ返りそうな程の鉄錆の臭い。重く絡みつく様な、血の、におい。

「おか、ぁさん…?」

いつも家にいる筈の母が、こんな酷い臭いの中で一体何をしているのかと心配で、恐る恐る一歩を踏み込んだ。玄関を見ると、見慣れた父と兄の靴が無造作に転がっていて、まるでそのまま踏みつけられたかの様にぺしゃんこに潰れていた。
その横に自分の靴を脱ぎ捨て、慎重に廊下を歩く。
普段なら気にならない距離なのに、その時はリビングのガラス戸がやけに遠く感じて小走りに駆け寄りドアに嵌っている擦りガラスに手をつくと、無機質なガラスの冷たさにぞく、と背筋が震えた。
ゆっくりとレバーハンドルを下げて、ドアを開く。
隙間から徐々に見えるリビングは、ほんの数時間前に見た時と同じ部屋とは到底思えない程に様変わりしていた。

なに、これ、

しん、と静まりかえった室内でまず目に入ったのは、視界を覆い尽くす程の赤、紅、朱。
白い筈のカーペットが真っ赤に染まり、吸収仕切れなかった大量の水分でびしゃびしゃに濡れていた。その真ん中で、眠っている母親。
カーペットに滲み込んだ血液が歩く度に靴下を濡らす感覚が不快で堪らなかったけど、そんな事を気にしている余裕なんて一つもなかった。

「おかぁさ、おかあさん…っ」

すぐ傍に膝をついて肩を揺すってみても、向こうを向いてしまっている顔がこちらを向く事は無くて。無理やりこちらを向かせると、青白い血塗れの顔がごろりと転がり見開かれた光の無い濁った眼に怯え切った僕の顔が鈍く映っていた。
ひ、と息を吸って吐き出せないまま、母親の惨状を伝える為に帰って来ている筈の父を捜す。
きょろ、と室内を見回しただけで見つける事が出来た父は、頭から血を流して背中に庇ったのだろう兄の身体ごと胸と右腿から生やした日本刀で壁に磔の状態で縫い止められ絶命していた。

「…っ、ふ、ぅえ…っ、げほ!」

なに、なんなの、いみがわからない。
猛烈に込み上げる吐き気を耐え切れず、えづくと生理的なそれも相俟ってぼろぼろと涙が零れた。
いつも通りの筈だった。今日も昨日と同じ様に、友達の家から帰って来た僕を母さんが出迎えてくれて、家族4人で晩御飯を食べる、そんないつも通りのはずだったのに。

…そうだ、警察、呼ばなくちゃ。

泣きながら、どこか冷静な頭がそう漠然と指示を出す。のろのろと思い通りに動かない脚を引き摺って、いつも電話が置いてあるキッチンの横の台の所に歩く。

電話は、乗っている台ごとぐしゃぐしゃになっていた。

ひしゃげた電話を見て、呆然と立ち尽くす僕の頭はやっぱり妙に冷えていて、現実感の薄いリビングを一瞥した後、外に出る為に玄関へ向かった。
電話が無いなら、直接交番に行けばいい。
廊下を歩いて、玄関で脱ぎ捨てた靴に再び足を入れる。中々思う様に入らないのがもどかしくて、涙が零れた。ぽた、ぽた、と垂れた雫が玄関タイルの色を濃く変えていく。
ようやく、靴を履き終えて玄関の扉に手を伸ばす。
その時、ふ、と後ろに人の気配を感じたけど気にせずにやたらと遠く感じる扉に手を伸ばし、指先が触れる直前。

ぐっ、と思い切り後ろに肩を引かれ、廊下に押し倒された。

背中を強かに打ち付けたせいで息が詰まり、ひゅっ、と変な音が喉から洩れた。そのまま上に圧し掛かられて気管を圧迫される。反射的に喉を抑える腕をどかそうと掴むけど子供の力ではびくともしなくて、供給されないせいで薄くなる一方の酸素に頭がぼーっとして目の前が霞む。
ぼんやりとした視界の中で見上げた顔は、いびつに歪んでいた。



「おかえり、なまえくん、だったっけ?」



ひゅーひゅーと自分の喉の音を聞きながら聞いたその声は、ねっとりと耳朶に絡みついて全身の産毛が逆立った様な錯覚がして、ただ純粋に『気持ち悪い』と思った。
語尾が疑問形だった割には、僕の答えを必要としていないらしくその声は楽しそうな響きを隠そうともしないまま狂気を紡ぐ。

「ずっと君が帰ってくるのを待ってたんだ。だって、そうだろ。今日は4人で遊ぼうと思ったのに、君が出て行ってしまうんだから。でも、君を待ち切れなくて、先に3人で遊んだのは悪かったな、って思ったよ。でもね、本当に待ち切れなかったんだ、本当だよ。楽しみで楽しみで楽しみで楽しみで仕方なかったんだ。この人はどんな声なんだろうとかどこを切ったら動かなくなるのかとかどうやってやったら死んじゃうのかなって。最初は、考えるだけで我慢してたんだけどね、途中から我慢出来なくなっちゃって。でね、思った通りだったよ」

お母さんは、すごくきれいな声だったから喉を。
お父さんとお兄ちゃんは、すごく仲が良さそうだったから一緒に。
にこにこと笑顔で紡がれる言葉が理解出来ない。
相変わらず首は抑えられたままだし、酸素は足りないし、家族がどうやって殺されたかなんて知りたくない、し。

「ねぇ、君とはどうやって遊ぼうか今まで考えてたんだけど、やっぱりなまえくんって顔が可愛いから、先に顔を剥がしておこうよ。君とはいっぱいいっぱい遊びたいからさ、途中で加減なんてできないと思うんだ。ね、なまえくんの顔がぐちゃぐちゃになったら、もったいないじゃない」

ね、と笑って右手に握ったのはべっとりと赤黒く酸化した血がこびりつくサバイバルナイフで、漠然と、このナイフでお母さんを殺したんだな、と思った。
ふんふん、と陽気に鼻歌まで歌いながら、お兄さんは僕の顔にナイフを下ろしてくる。
ナイフの切っ先がぼやけて、視界から消える。
ぴりっとした痛みと一緒に何かが顔を伝う感触がするけど、瞬きなんて忘れてしまった様に見開いたままの僕の目は、くすくすと楽しそうに笑うお兄さんの顔から離せなくなってナイフの行方を追うなんて出来なかった。
痛みがゆっくりと下の方に移動していく。
不思議と、あまり痛いとは感じなかった。
ただ、ぼんやりと現実感の無い目の前と頭の奥で響く様な鈍痛が苦しくて浮かんだ涙でますます視界が霞んでいく。

――きっと、僕はこの時壊れてしまったんだと思う。
――壊れてぼろぼろになった僕は、新しい持ち主に拾われてしまったのだ。

がつ、と硬いものと堅いモノがぶつかるような音がして、急に解放された気管に一気に空気が雪崩れこんで噎せた。げほっ、げほ、と必死に呼吸を整える為に口に手を当てて胸と肩を上下させる。

な、に?

朦朧とする意識と視界で唯一はっきりと認識出来たのは、赤い、という形容だった。



 ***



「……くん、なまえ君!もう授業終わっちゃったよ!」

思いっきり肩を揺さぶられ、ゆらゆらと揺蕩っていた意識が覚醒する。
寝起きで焦点が合わない目を擦って悪夢から起こしてくれた救世主を見ると、長い三つ編みを下げた女の子がくりくりの目で、僕の顔を覗き込んでいた。

「おり、はらさん…、おはよ」
「おはよー!もう帰れる時間だけどね!」

きゃっきゃっ、と楽しそうに笑う彼女は、多分このクラスでは僕と一番話す人間じゃないかと思う。クラシックさすら感じさせる文学少女然とした紺のセーラー服と大人しそうな印象を増長させる眼鏡には反して、その性格は明るく人懐こい。およそ社交的じゃないと自負する僕と偶然隣の席になったというだけで碌に受け答えをしない僕に毎日話しかけるなんて、普通の人はしないだろう。

「大丈夫?魘されてたよ?」
「あぁ、うん…夢見が悪くて」

心配そうな声音で聞いてくれた彼女に、大丈夫だと手を振るとにこりと笑ってそっか、と頷いて教室を出て行った。
きっと、双子のお姉さんを迎えに行ったんだろう。
適当に教科書とノートなんかを鞄に詰め込み、僕も席を立つ。
下校する人の波に任せながら廊下、階段、昇降口を辿って校門を出る。

学校は僕の非日常で、学校の外は僕の日常だ。

校門を出た僕は、制服のまま『彼ら』が居る場所へ向かう。

不法入国者や滞在者が住みついている、寂れたホテルがある裏路地。

その前でたむろしている二人組の若い男達。
その片方に、声を掛ける。

「ねぇ、お兄さん」
「あ゙?なんだガキ、俺になんか用か?」
「うん、お兄さんが幸せを売ってくれるって聞いてきたんだ」

そう言えば、怪訝そうな顔が途端にニヤついた気持ちの悪いものに変わる。

「なんだ、お前客だったのか、早く言えよ」
「幸せになりたいのか?」
「うん、ちょっと忘れたい事があって」

にこ、と微笑みながら言えば、向こうは少し顔を赤くしてそれ以上の追究はなかった。
いくら、と問えば彼の独断だろうか、相場よりずっと安い金額で譲ってくれる事になった。
ああ、それともこういう手口なのかな。
最初は安くしておいて、依存させてから金額を吊り上げていく。
本当、最低。
クスリが入った包みを受け取りながら、話しかける。

「でもさ、お兄さん達知ってる?最近ここらへんで有名な噂」
「あ?」

なんだよそれ、と尋ねてくる所を見ると本当に知らないらしい。
なんだ、命知らずの馬鹿だと思ってたけど、ただの馬鹿だったみたいだ。

「こーゆー、イケナイお薬を売ってる悪いおにーさん達の所には、鬼が来るんだよ」
「…鬼?」
「そ、粟楠会の怖ーい赤鬼さん」

噂をすればなんとやら。
ただでさえ狭い路地を塞ぐ様に両側からやってくる数人の怖そうないかにも、という風体の男の人達。
黒服の男達に遅れて、わざわざ真ん中を譲られてゆっくり歩いてくる派手な柄のスーツを着た男。
片手には同じく派手な西洋杖を持ち、一際目を引く右目の大きな傷。
売春とクスリを嫌う、粟楠会の赤林さんって言ったら有名だと思ってたんだけどな。
案外、大したことないらしい。

「いけないなぁお兄さん達、こんな坊ちゃんに怪しいクスリ売りつけるなんて」

にこにこと口元は笑っている様だが、色眼鏡の奥の瞳は窺えない。
連れて行け、と一言命令して、小さく頷いた黒服達が両側からお兄さん達を抑えてどこかへ連れて行ってしまった。

「おかえり坊ちゃん、相変わらず鼻が利くね」
「その坊ちゃんっていうの止めて下さい赤林さん。これ、受け取ったイケないおクスリです」
「はいどーも」

目に入れる事すら嫌悪するソレを、半ば投げ付ける様に渡して踵を返す。
横に並ぶ赤林さんが、渡した包みを無造作にポケットに滑り落とすのをわざと視界から外し、仕方なくとはいえ触れてしまった指を洗いたくて自然と足が速くなる。
そんな僕の心情を分かっている癖に、赤林さんはわざわざ俺の手を掴んで握るとゆっくりと足を進めて行く。

「なに、離して下さい」
「そんな、触るのも見るのも嫌だっていうならお家で大人しくしてればいいんじゃないかとおいちゃんは思うんだけどねぇ」
「…、仕方ないじゃないですか、分かっちゃうんですから」

あの事件が薬物中毒者に因るものだと知って以来、市販の風邪薬すら受け付けなくなって、赤の他人が治療の為に服薬する事にも自分でも異常だと思える程嫌悪する様になった。
特に、合法だろうが違法だろうがドラッグを一度でも使った事がある奴には身体が無意識に反応して頭痛と吐き気を瞬時に訴える程だった。
まあ、そのある種センサーともいえる自分の過敏な反応を自ら利用して、こうして摘発ボランティアに率先して参加している訳だけど。

「いいんだよ、無理しないでも」
「…別に、無理はしてないですよ」
「じゅーぶん無理してるように見えるけどねぇ」

まあ、赤林さんがなんと言おうと僕はこのボランティアを止める気なんて微塵も無い訳で。

「それよりも、あんまり傍に寄らないで下さい。気分悪いんで」
「それはおいちゃんでも傷付いちゃうよなまえくん…」
「すみません、事実なので」

そう言えば、深い溜息を吐いてようやく手が自由になった。
並んで歩くのも気が進まないので、わざと歩幅を狭くして彼の2、3歩分後ろを歩く。
ああ、ほら。だから言ったのに。
忘れたくても忘れられない、赤林さんを見る度に思い出される記憶がじわりと脳裏に広がっていく。



 ***



数十秒経って、ようやく落ち着いた呼吸とクリアになった視界が捉えたのは、さっきまで上に圧し掛かっていたお兄さんと、初めて見るおじさんだった。
何か不明瞭な喘ぎとも叫びともつかない言葉を発しているお兄さんの口には杖が突きこまれていて、それを握るおじさんは、色がついた眼鏡のせいでよく分からなかったけど口元は笑っているようだった。

「大丈夫かい、坊や?」

見た目で思ったよりも優しい声音に、小さく頷くと、そうかいと頷いて握った杖を更に押し込んだ。
くぐもったお兄さんの悲鳴が、玄関に響いた。
不思議と怖い、とは思わなくて、そのおじさんが居る事に酷く安堵していたのは今でも覚えている。今となっては若干腹立たしい様な気がしないでもないけれど。
お兄さんの肩に置いた自分の足に体重を掛けて起き上がれない様にしながら、おじさんはこの雰囲気にはそぐわない明るい声で僕に話しかけてくる。

「災難だったねぇ、こんなイカれた奴に気に入られて。すまないね、おいちゃんがもっと早く来てればお父さん達も助けてあげられたんだけど」

その時には半分も理解出来なかったけれど、家族を殺した犯人は殺す事を本気で遊びだと思っている薬物中毒者で、同時にそれで快楽を感じていた異常性愛者だったらしい。
たまたま街で見かけた僕を気に入って、一緒に遊ぼうとしていた事。
薬が嫌いなおじさんが、重度の中毒者の情報を聞いて、そのお兄さんが僕の家の周囲を執拗に調べていた事を知って急いで来てくれたけど家族は間に合わなかった事。
理解は出来たけど納得は出来なかった。
それから、おじさんの同僚だと言う白いスーツの人だとかが来て、あのお兄さんは変な声を上げながら連れて行かれた。
その背中をぼんやりと見つめ、見えなくなった頃に張りつめていた糸がぷっつりと切れた。
今まで遠くにあった現実が一気に押し寄せてきて、堰を切った様に涙がぼろぼろと零れる。
小さく嗚咽を上げながら、ただ泣く事しか出来ない僕を、おじさんはそっと抱き締めてくれた。
ぽんぽん、と宥める様に背中を撫でられ、無意識の内におじさんのスーツを掴んで喉がひくひくと痙攣する程泣きじゃくり、落ち着き始めた僕に、おじさんは言った。

「おいちゃんと一緒に来るかい?」

家族を亡くしてしまった僕には、その時はこのおじさんしか頼れる人はいないと本気で思っていた。
縋る様にきつく抱き着いた僕を抱き上げたおじさんが『赤林』という名前だと、そこで初めて知った。



 ***



ああもう、また思い出しちゃったじゃないか赤林さんのせいで。

「んー、どうしたの坊ちゃん、顔赤いよ?熱でも出ちゃったかい?」

貴方のせいです赤林さん。
だから貴方は苦手なんです。
貴方を見る度あの時の黒歴史が蘇るんです。
ああ恥ずかしい。あんなの単なる吊り橋効果だ。錯覚だ。

「そうですね、今にも倒れそうなんで早く家まで送ってって下さい」

それは大変だ、おいちゃんが抱っこしてあげようか、と振り向いて軽口を叩く顔にカバンを投げつけると、珍しくジャストミートして蹲る赤林さんを追い越して、振り返りながら置いてきますよ、と声を掛ける。

まあ、確かに赤林さんは苦手だけど、恩人だし、後見人だし、非常に不愉快で癪に障るけれど、僕の、うんまあその、あれだし。
とてもとても不本意だけどさ。
僕の正直な気持ちとしては。









嫌い貴方

(…その顔は反則だよなまえ君…!)

***********▽***********
実は結構赤林さんスキスキだけど認めないなまえくん。
抱っこしてあげようか、って言ってあげた時の照れ顔と置いてきますよ、って言われた時の笑顔にノックアウトされたおいちゃん。
説明しないと分からない。
私にツンデレなんてレベルが高すぎるという良い例です。
斑目響希様素敵なリクエストありがとうございました。
技量不足で申し訳ないです。




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