甘いのがお好き
「ただいま」
「お邪魔します」
「おかえり京治。木兎君はいらっしゃい」
愛心ちゃんと木兎さんと無事に家まで辿り着き、玄関の扉を開けるとリビングから駆け足気味に母さんがやって来た。
「なんでそんなに慌ててるの」
「だって気になったんだもの。あら、もしかして寝てる?」
「いや、寝てはないんですけど、」
どうやら目的は木兎さんの腕の中の愛心ちゃんらしい。未だ木兎さんの胸に顔を擦り付けている愛心ちゃんを爛々とした目で覗き込んでいる。
「母さん、愛心ちゃん寝起きでグズッてたからそっとしといてあげて」
「まあ、そうなの。そりゃあ起きて大きなお兄ちゃんばっかりじゃビックリするわよねぇ」
俺の言っていること理解しているのかと思うほど呑気な返しに、いつものことながら溜め息が出そうになる。ただ、そんな母さんの声を聞いた愛心ちゃんは顔を上げ振り返ると母さんを見た。
「……」
「あらあら、お目々が真っ赤。おはよう」
「……おはよう」
暫くジーっと見つめてから小さな声が聞こえた。
「まあ偉いわね!ちゃんとご挨拶できるんだ。お名前は?」
「ぼくとあこ……おばちゃんだあれ?」
両手に抱えたうさぎのぬいぐるみを抱きしめながら探るようにそう訊ねる愛心ちゃんは、先ほどよりだいぶ落ち着いてきたように見える。
「おばちゃんは、京治のお母さんです」
「けーじくんのママ?」
「そうよ」
涙の止まった真っ赤な瞳が俺と母さんを交互に見て「ママいいな」と呟くとまたウルウルと涙の膜が大きな瞳を覆いだした。
「「!」」
「でも愛心ちゃんはママがいないのにお兄ちゃん達とお泊り出来たんでしょ?凄いね、お姉ちゃんだ!」
「おねえちゃん…?あこ、おねえちゃん?すごい?」
「うん、凄い凄い!」
そう言って愛心ちゃんの頭を撫でる母さんの行動と言葉により、本日初となる愛心ちゃんの笑顔を拝むことが出来た。
「よーし、じゃあご褒美におばちゃんが美味しいご飯作ってあげるわね。さ、とりあえず上がって。はい愛心ちゃんはおばちゃんとおいで」
「うん」
母さんが手を広げると愛心ちゃんはすんなりと母さんの腕に移って、2人して先にリビングの方へと行ってしまった。
「…すげぇな赤葦の母ちゃん」
「やっぱり経てきた経験の差ですかね」
「だな。でも愛心の機嫌直りそうで良かったー」
「本当に」
·
リビングで食卓に着くと、運ばれてきた食事には大きな格差があった。いや、別に格差とかじゃないが俺と木兎さん、そして愛心ちゃんとでは内容が全く違うのだ。
「わーっ!」
「おお!愛心のすげーな」
「張り切り過ぎ」
「だってこんな小さい子久しぶりだし、喜んで欲しいじゃない」
俺と木兎さんの前に並ぶのは、ザ・日本の朝食、と言うような和食のメニューばかりだが、愛心ちゃんの目の前には小さいサイズのホットケーキが3段に重なってその上からはバターとはちみつ、そして回りにはフルーツがトッピングされていた。
「けーじくんママ、食べていい?」
「ええ」
「いただきまーす」
「「いただきます」」
「どうぞ」
愛心ちゃんの一声で俺と木兎さんも合掌し食事を始めた。木兎さんの隣でホットケーキを食べる愛心ちゃんの機嫌はすっかり直っている。これで準備もできそうだし、部活にもちゃんと間に合うな。そう思っていると母さんと愛心ちゃんのことについて談笑していた木兎さんが「愛心のうまそうだなー」とホットケーキを頬張る愛心ちゃんを見ている。
「こーたろーもいる?」
「くれんの?」
「あら、愛心ちゃん優しいわね」
母さんに褒められ嬉しそうに笑う愛心ちゃんは、上手にフォークに刺したホットケーキを「あーん」と言いながら木兎さんに差し出した。
「甘くて美味しいな愛心!」
「うん!あこホットケーキだいすき!」
「ふふ、良かったわ。それにしても木兎君と愛心ちゃんは仲良しねぇ」
「あのね、こーたろーもけーじくんもすごくやさしいよ」
「京治も優しかった?」
「うん!だっこしてくれるしアイスもかってくれたよ。あとね、きのうはけーじくんといっしょにねたの」
「まあ!良かったわね京治」
愛心ちゃんに悪気は無いとしても身内にそこまで言われると居た堪れなくなる。
「ごちそうさま。木兎さん、俺準備してきます。あと母さんちょっとはしゃぎ過ぎだから」
「もう、京治だって愛心ちゃんと仲良くなれて喜んでるくせに。ねーっ」
「あこもけーじくんとなかよしうれしい!」
「今日も仲良くしてあげてね」
「うん」
母さんと愛心ちゃんの会話に若干気恥ずかしくなりながら俺は自分の準備を済ませるべく1人部屋へと向かった。
·
「木兎さん準備できたんでそろそろ行きましょうか」
赤葦が戻ってくるころには愛心の準備も殆ど完了していた。着替え、歯磨き顔洗い、後は昨日は下ろしていた髪を赤葦の母ちゃんに結んで貰って愛心は大層上機嫌だ。
「みてみてけーじくん、かわいい?」
「うん、可愛い」
さっきまで散々俺と赤葦の母ちゃんに聞いていたその言葉を赤葦にも聞くと、また嬉しそうににこにこと笑って走り回っている。そしてその度に耳上両サイドで結ばれた髪が揺れていた。
「本当ごちそうさまでした」
「いいえ、またいらっしゃいね。愛心ちゃんも木兎君とまたおいで」
「うん、けーじくんママバイバイ」
「バイバイ」
「じゃ、いってきます」
「いってらっしゃい」
3人とも無事に準備を終え赤葦の母ちゃんに見送られながら俺たちは学校に向けて出発した。今日は音駒と練習試合だ。愛心に俺のかっこいいとこ見せてやれるし俄然やる気が湧くな。
「なんか嬉しそうですね」
「だってお前練習試合だぞ、しかも音駒と」
「ねこま?ねこさん?」
「おう、ねこな!」
赤葦との会話を聞いていた愛心が不思議そうに訊ねてくる。
「ねこさんがくるの!?」
「いっぱい来るぞー」
「いっぱい!」
「ちょっと木兎さん、愛心ちゃん完全に誤解してますよ」
「いいじゃん、あいつら見てどんな反応するか楽しみだし。あ、そういや黒尾に連絡すんの忘れてたわ」
「ちゃんとしといてくださいよ。まあ黒尾さんたちなんで大丈夫だとは思いますけど」
赤葦の注意を聞き流しながら愛心を抱えていない方の手でスマホを握り黒尾にメールをした。
·
「よーしっ、今日は勝ぁつ!」
「山本お前少し離れて歩け」
「ちょ、酷いっスよクロさん」
「朝から元気だな山本は」
「元気だけが取り柄」
「おいっ福永今なんつった!だけとは何だ、だけとは!」
「あはは、福永はっきり言うな」
「夜久さん笑い事じゃ無いっスよ」
朝からこの一団は非常に騒がしい。まあ一部が、だが。
行先は梟谷なんだ、これなら現地集合にすれば良かったな。何となく全員で学校から向かったことに後悔しながら駅に向かって歩いていると、ポケットに突っこんでいた携帯が鳴りだした。
「お、木兎」
「なんか連絡か?」
隣を歩く海にそう訊ねられながら、その名前を見ただけでこの騒がしさより更に騒がしい場景が頭に浮かんで溜め息が出た。
「あー……、ん?」
「どうした?」
「いや、なんか今日木兎のいとこが来てるから宜しくだと。あと、威嚇して泣かせんなって」
「木兎のいとこ?」
「応援にでも来るってことか?」
「泣かせんなってことは女の子ですかね?」
「マネージャーもいて、おまけに女子の応援付きとか…くっそ梟谷、絶対勝ぁぁぁつ!!」
「…虎、本当にちょっと静かにしてよ」
「研磨お前は悔しくないのかよ!」
「悔しいって…別に誰が来てたって関係ないじゃん、うちの関係者じゃないんだし」
それぞれが“木兎のいとこ”について思い思いの想像をしつつ俺たちは梟谷へと向かった。