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ライラックの瞳



※このお話は長編「塒の檻」完結後のお話となります。
順番が気になる方は閲覧お勧めしません。
長編を読んでいなくても読める内容にはなっています。





























「はぁ……」

 理解してる。わかってる。納得してる。
 鍛錬合間の休憩時間、ドリンク片手に地面の芝に向かって無意識にため息を吐いている。呪言にこそ成ってはいないもののこのため息に乗せた気持ちの大きさだけで言えば呪いが篭ってもおかしくないレベルだ。

「おい、あれ今日何回目だよ」
「すごい数だよなため息」
「初めてのバレンタインデーだったから」

 自分の話をされているのはわかってる。そう、今日は二月十四日。世に言うバレンタインデーだ。今までの人生の中でこの日を待ち遠しいと思ったことは特になかったけど今年はそうではなかった。遂に付き合うところまでこぎつけたなまえの存在。そりゃチョコを貰えるのは当然のように期待していたし、なんなら少しの時間くらい一緒に過ごすことだってできると思っていた。それなのにだ。

「おかかぁ」
「私もチョコくれてやったろ、元気出せって」
「……しゃけ」
「ムカつくほど嬉しさの感じられねぇしゃけだな」
「なんでニンゲンは今日貰えるチョコにそんなに拘るんだ? いつでもいいじゃん別に、味変わんねぇんだろ?」
「おかか」
「まあまあ。なまえさんって今日は一日中予定が詰まってるんだっけ?」
「しゃけ」

 なまえは補助監督だ、今日の午前は大量の事務仕事に追われ午後からは術師の任務に同行する予定が入っていると言っていた。しかも帰りは日付を跨がずに帰って来れればいい方とのこと。術師も補助監督もこの界隈はいつだって人手不足。補助監督になりある程度日が経って仕事量も徐々に増えているのは見ていてわかるし、会いたいなんて自分が言えば優しいなまえは無理をしててでも会ってくれようとするのが目に見えているからその気持ちはグッと堪えて出来る限り口には出さずにいた。

「なまえのことだし準備してないってことはないだろ。今日貰えなくても明日貰えるかもしれねぇじゃん、元気出せって棘」
「迷惑かけるつもりはないんだろ」
「しゃけ」
「じゃあ今日はみんなで真希さんに貰ったチョコ食べよう!ねっ狗巻君」
「義理だけどな」
「ツナツナ!」

 そうだ、変わらない現状を嘆いても仕方がない。こんなに女々しく落ち込むものかと自分に呆れながらも、みんなに励まされたことで気持ちを切り替えとりあえず今日はこのイベントのことを忘れようと心に決めた。





「お疲れ〜」
「おい戻ってきてるなら言えよ」
「いやいやお腹すいちゃってさ。そしたらこれ伊地知に預かったから一足先に休憩してたとこ。みんなの分もあるよ、ほら食べよ」

 外での鍛錬を終え座学の為に教室へ戻れば任務に出ていると聞いていた担任が愛らしいデザインの箱を広げてその中身を一人で頬張っていた。この顔面だしそりゃ貰うだろうな一応。そんな失礼なことを思いながらも自分たちの分もあるというそれに視線を落とす。中を見なくてもこの甘い香りで中身が何なのかはすぐにわかった。やっぱり今日は考えたくなくてもこういうシーンは目に入ってくるか。それより誰からだろう、硝子さん辺りか? 

「これいいとこのやつだな」
「わあ本当だ美味しそう、 誰からですか?」
「ああ、なまえ。みんなで食べてってさ」

 は? なまえから?
 反応するなと言われても反応してしまう。それは周りのみんなも同じだったようで憂太なんてさっきまでキラキラした表情をしていたくせに、今や自分よりもひどく焦った顔をしている。
 
「明太子?」
「今朝伊地知が受け取ったみたいだよ。皆さんでどうぞ〜って、補助監督のみんなにもあげてるっぽかったね」
「狗巻くん、」
「学生諸君はわかんないけどさ、僕ら大人の中で今更チョコって貰う機会少なかったしなまえが補助監督になってくれてよかったよ。おかげでバレンタインデーのこの感じ思い出しちゃった」
「おい少し黙れ悟」
「え、なに? どうしたの?」
「……」

 正直この数日なまえから今日のこの日について話を振られたことはなかった。こっちから予定の確認をすることはあってもこっちの予定は訊かれていない。それってもしかしたらバレンタインデー自体を忘れているか、若しくはなまえの中でそこまで重要視するイベントじゃないのかも。そんなことを一瞬考えもしたがどうやらその予想は違うらしい。そしてこの“みんな”に配られたというチョコを見てもう一つ嫌な予想が立ってしまった。
 もしかしてこれって“まとめて”で済まされる…?

「……おかか」
「あ、もしかして妬きもち? 心狭いと嫌われるよ〜」
「悟今はちょっとやめてやって」
「え、棘ってそんなに心狭くないでしょ。自分が貰ったのと比較しちゃってる感じ? それならコレはみんな宛てだし仕方なくない?」
「ご、五条先生っ、」
「おかか。いくら こんぶ」

 つい普段より低い声で返してしまった。いや悟が悪いわけじゃない。高専のみんなにチョコを配ったってのもなまえの性格上納得できる。それでもその一部に自分も含められているのかと思うとやっぱりそこは虚しくならずにはいられなかった。

「……へぇ、そういうこと。まあなまえ最近一気に忙しくなったしね、今日も帰り遅いし。でもまあこうして一応貰えてるわけだからさ、元気出して棘」
「全然フォローになってねぇんだよ」
「とりあえず今はそっとしておきましょう」

 まるで子供の駄々だ。自分だけがこんなにも好きみたいで悔しいとすら思ってしまう。相手は歳上で恋愛経験だってある。本気で誰かを好きになったことはないと気不味そうに話していたけど、そう言われていた過去の恋人たちにはどうしていたんだろう。さすがに今とは状況が違うし一対一ならあげてるんだろうな、どんな気持ちで付き合っていたとしても、多分。

 悟の話なんてまともに頭に入って来なかった。この気持ちをそのままぶつけたらなまえは呆れるだろうか。ああ、今日はもう何もせず何も考えずさっさと眠ってしまいたい。





 二十三時二十七分。腕時計で時間を確認して同行していた術師と別れ小走りに高専内を進む。こういう時高専の広さが少しだけ嫌になるな、と思いながら事務室へと急いだ。

「お疲れ様です、今戻りました」
「お疲れ様です」
「伊地知さんまだいたんですか?」
「はい。急ぎのものだけは今日中に片付けておきたくて」

 相変わらず疲れの見える表情に少し心配になるけど、この人がいないと補助監督の仕事が回らないのも分かっているから下手なことは言えなかった。

「あの、私今から少しだけ出てきますけど、もしも何か出来ることがあれば手伝いますよ?」

 チラッと時計で時間を確認してそう言うと伊地知さんは優しく笑ってそれを断った。

「いいえ大丈夫ですよ。もうあと数分しかないですけど今日は大事な日ですから、なまえさんは狗巻君のことろに急いでください」
「!、あのっなんでそれ、」
「冷蔵庫の物を見れば私でもわかります」
「うっ……すみません」
「いえいえ。こちらこそこんなギリギリの任務を任せてしまってすみませんでした」
「そんな! 仕事ですから」
「ほら、こうしている間にも時間が過ぎていますよ。急いでください」
「はい! ありがとうございます、お疲れ様でした」
「お疲れ様です」

 二十三時四十二分。ああ、伊地知さんって本当にいい上司だな。心の底からそう思いながら自分の荷物と小さな紙袋を片手に事務室を後にした。



 高専の寮は空き部屋が多い。まあ生徒も少ないのだから納得と言えば納得だけどそんな人気の少ない建物内でも棘くんの部屋だけは知っていた。前に一度訪ねたことがあるから。呪言という術式から両隣は空室、万が一の事故が起こらないようにという配慮なのだと本人が言っていた。
 そっと寮内に入る。別に学生以外が入ってはいけないというルールも何も無いけど何となくこんな時間に忍び込むようなこの感じ、悪いことをしている気がする。どうか誰にも会いませんように、そう願いながらスマホを取り出してメッセージアプリを立ち上げた。二十三時五十三分。

【 こんばんは。棘くんもう寝ちゃった? 】

 先に確認したかったことを直前でしているのはそうする時間すら惜しかったから。もし反応が無ければ持って帰って明日渡そう。そう思った瞬間、つまりメッセージを送信して一分と経たない内に開いたままのトーク画面が更新される。

【 まだ起きてるよ 】

 その一文のあとに可愛い犬のスタンプが添えられている。可愛い。ふふっと緩む頬はそのままにとりあえず起きていたことに胸を撫で下ろした。殆ど物音のしない寮内で先程から息を殺して歩いていたけど通路の先にお目当ての部屋を見つけてふうっと小さく深呼吸をした。

【 こんな時間に申し訳ないんだけど少しだけ外に出てこれない? 】
【 OK! どこに行けばいい? 】

 扉のすぐ傍に立って送ったメッセージへの返信は先程よりももっと早く部屋の中からはバタバタと人の動きが感じられる物音がする。二十三時五十五分、ギリギリセーフだ。寮までの道程を割と全力疾走したことで乱れていた呼吸も今は収まってる。よし、渡すぞ。
 静かに意気込んで【 部屋を出てくれれば、】そこまでメッセージを打ちかけたところで勢いよく扉が開かれ手を止めた。というか準備早いな。
 部屋着にパーカーを羽織り、片手にマフラーとスマホを掴んだ棘くんは私の姿を確認し動きを急停止させて目を瞬かせている。

「こんばんは」
「しゃ、け?」
「来ちゃった」

 そう言って小さく笑うと、何にも隠されていない棘くんの顔はこっちが恥ずかしくなるくらいに笑顔になるものだから今日一日の疲れが一気に吹き飛んだ。

「あのね、これすっごくギリギリになったんだけどチョコ。良かったら食べて」
「こんぶっ!」
「と、棘くん、しーっ! もう深夜だから」

 予想以上に喜んでくれた棘くんの声のボリュームに慌てて口元に手を添えその先の言葉を止めてしまった。その後すぐにハッとして手を引っ込めようとしたものの、にっこりと笑った棘くんによって腕を掴まれそのまま室内へと引き込まれてしまう。

「そっか、廊下で話すと他のみんなの迷惑になるしね」
「しゃけしゃけ」
「あ、あとそれ、一応何回か練習はしたんだけどあんまり自信ないからもしも美味しくなかったら容赦なく捨ててください」

 そう、他の人たちへ渡したものとこれは違う。棘くんの為だけに生まれて初めてバレンタインデーという行事と向き合って手作りをしたのだ。しかもただ溶かしたチョコを冷やし固めるのは味気無いと思い少し凝ったものをチョイスしたばっかりに自信はあまりない。不味くはなかったはずだけど少しばかり不安は残った。

「めんたいこ?」
「うん、一応手作りだよ。生まれて初めて手作りなんてしたから自信なくて、ごめんね」

 素直にそのままを告げた私の予想と反して目の前の棘くんは手元の紙袋をキラキラした目で見つめている。これはあれだ、すごく嬉しい時の顔だ。
 それが分かるからこっちまで恥ずかしくなって、でもそれ以上に嬉しくて忙しい中頑張って良かったと心の底から思った。

「ちゃんと渡せて良かった。じゃあもう遅いし私行くね」
「ツナ?」
「ん? 今日はもう終わりだけど」
「いくら?」

 まだ仕事? もう眠い? そう言ってじりじりと壁際に追い詰めてくる棘くんに後退る。
 あれ待てよ、これはヤバいのでは…?

「だ、ダメだよ? ここ寮だし、もう遅いし」
「こんぶ?」

 何がダメなの? にっと口角を上げて笑う可愛い恋人にやられた、と思う。これじゃまるで私が期待しているみたいじゃないか。

「と、棘くん待った」
「おかか」
「ダメ、ストップ!」
「おーかーか。ツナマヨ?」

 待たない。それにほら深夜だから、ね? そう言って一瞬唇の前に人差し指を立てた棘くんは、まるでさっきの私を真似るように言葉を封じた。

 ただそれが手のひらではなく唇だったのは言うまでもないのだけど──。