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atrosanguineus



比率を無視して墨を垂らし込んだような空を仰ぐ。

今どこにいるの?ちゃんと笑えている?私は何とか笑っているよ。

聞きたくても、せめてこの言葉を届けたいと願ってもそれはもう不可能で、私の心中を模した様に深く重苦しい暗雲が今にも雨を降らせようとしている。
代わりに泣いてくれるならそうして欲しい。私はもうあなたの為に泣くことすらできないから。



·
·



「ねえ、呪霊の味ってどんなの?」


深い意味なんてなかった。ただずっと気になっていた事だったから軽い気持ちで聞いただけ。それが疲弊しきっていた傑の心を掻き毟る問いだとも知らないで。

外気温に晒され汗をかいたように自身を溶かしていく棒付きのアイスに視線を落とした傑は少し間を置いてから口を開いた。


「そうだね。吐瀉物を拭き取った雑巾みたいな感じかな」
「何それ最悪じゃん」
「ああ、最悪だよ」


早朝の鍛錬を終えついさっき二人で分け合ったソーダ味のそれ控え目に齧りながら傑は笑った。
進みが悪いのを見ればまだ食欲が戻っていないのは分かる。本当にただの夏バテ、なのかな。綺麗に結い上げられた漆黒を滑るようにして首筋を流れる汗は今日の暑さを物語っていた。それなりに動いたとは言えまだ8時前だって言うのに暑すぎじゃない?自分の存在を知らしめる様に熱を放ち続ける太陽を睨むけど、そんなの何の意味も成さない。せめて傑の頭上からだけでも熱を遠ざけたくてすっくと立ち上がった私は傑に向かって手を差し出した。


「寮に行こっか。せっかく悟も硝子も、先生までいないんだから自習なんて真面目なことせずに冷房の効いた部屋で イケナイコト しよ?」


口端を上げて言った私に一瞬目を見張ったくせに、その後ちゃんと手を取って「ノッた」と小さく言った傑は私の大好きな笑顔で笑っていた。

そう、まだちゃんと笑っていたんだあの時は。



·



汗で濡れたシャツを脱ぎ捨て手早くシャワーを済ませてから傑の部屋に向かった。濡れたままの髪からポタポタと水滴が落ちて肩口を濡らしていく。こんなんじゃ傑に怒られるかな、一瞬そう思いはしたけど陽に焼かれいつまでも火照ったままの身体はそれすら心地よく感じさせるから対処する気も湧かない。傑よりも短い髪を一つに束ねて、これで誤魔化そうという思いに至った。それにきっとすぐに乾いちゃうだろうし。





「はい、いけないことその一」
「これって悟が隠してたどっかの高級店のチョコだろ」
「正解!本当は硝子と盗み食いするつもりだったんだけど祥子も任務行っちゃったから傑としようかなって」
「凄く怒るだろうね悟」


呆れたような顔をしながら言う傑は無視して、まるで宝石でも閉じ込めているように繊細で手の込んだ包装を剥がしていく。きっとこれは美味しいに違いない、それにチョコレートは高カロリーだし少しでも傑に食べさせたかった。それが理由だと言えばきっと悟の怒りも半分くらいは落ち着くよね。文句はたらふく言われそうだけど。


「見て傑!凄く綺麗だよ!」
「本当だ」
「盗んで正解だったかも。悟絶対に見た目とか無視してパクパク食べちゃうだろうし」
「確かにそれはあるかもしれないな」


間仕切りも箱の模様も、勿論チョコの形や細かい装飾までが溜め息が出るほど綺麗だった。女の子は絶対にみんな好きなやつだ。
どれにしようかと悩んでいると艶やかな深紅のコーティングを施されたハート型のチョコを傑の手が摘み上げて私の口元に押し付けてきた。咄嗟のことに驚きもしたけど素直に口を開いてそれを受け入れる。


「ん〜!美味しい」


口内に広がる上品な甘さとどこかフルーティーな香りにうっとりする。そしてそんな私を見て優しい笑顔を向けてくる傑に何もかもが満たされていくよう気さえした。
本当に私はこの男の笑顔が堪らなく好きなんだと脳が伝達してくるような、そんな感覚。
今度は私がチョコを選ぶ。まるでトリュフのような見た目のものを選んで傑の口元に運んだのに、傑は手でそれを制した。


「私は遠慮しとくよ。なまえが食べて」
「…共犯になってくれないの?」


ずいっと傑の膝の上に跨って向き合う形でそう突き付ける。傑の背中はベットに密着しているしこれなら逃げられないはず。少しでも傑に何か食べさせたい、でも出来ればそれは直接口にしたくなかった。
良質なチョコゆえか、はたまた冷えきれていない室温が作用してか、摘んだままのチョコは私の体温で溶けだし始めていた。


「ほら早くしないと溶けちゃう」


懇願するように首を傾げて見せれば傑は可笑しそうに笑って「本当に上手いね」と零した。でもその言葉は拾わない。それでいい。


「じゃあなまえが食べさせてくれるかい?」
「しょうがないなあ」


優しさの中に熱を宿した瞳が私を捕えた瞬間だった。
チョコを自分の唇で挟んでそのまま傑の口へと運ぶ。舌を使って咥内へと押し込めば、チョコはコロンと奥へ転がり落ちたのに傑の舌は器用に私の舌まで絡めとった。

咥内の温度であっという間に溶けたそれは二人を甘さで満たしていく。選んだのはビター風味のトリュフのはずなのに酷く甘く感じた。鼻から抜ける香りに浸る余裕なんてない、舌を絡められ歯列をなぞられ、そうやって傑に与えられる快感で思考する事を止めざるを得なくなる。
座った傑に跨ったから主導権は私にあるような体制なのに、引き寄せるように腰を支える傑の腕がなかったら今にもへたりと座り込んでしまいそうだった。
そうして数分ひたすら甘さを共有し、離れる時にはどちらのものともつかない唾液が細い糸になって、そして途切れる。


「甘いな」
「…これじゃどっちが食べたか分からないじゃん」


半分は私が食べたと言っても過言じゃない。それでも傑が何かを口にしてくれるなら何度これを繰り返したって構わない。


「じゃあ今度は私が食べさせようか」
「またキスしたいだけじゃないの」
「誘ったのはなまえだろ。イケナイコト、しないのかい?」
「……する」


傑の頭を抱え込むようにして回した腕でぎゅっと抱きつく。「苦しいな」と笑いながら言う傑を胸の中で抱きとめて私と同じで濡れたままの髪を撫でれば私とは違うシャンプーの香りがした。
凄く好き、大好き、ずっと傑と一緒にいたい。
季節的に身軽な服装ゆえ、あっという間に私の素肌の上を滑っていく傑の大きな手に身動いた。擽ったくて気持ちがいい。慣れた手つきでホックを外され、もう片方の傑の手が後頭部に回されればまた私の思考はぱったりと止まってしまうのだ。


「…傑、」
「ん?」
「傑の味は甘いよ。呪霊がどんな味だって、私の知ってる傑は何よりも甘いの」


啄むものから深いものへと変わる前、鼻と鼻がぶつかる距離でそう告げれば傑は何も返さずに静かに笑って、そしてまた私の唇を塞いだ。



·
·



「先輩食べないんですか?」
「ああ、じゃあ一つ貰おうかな」


任務先で世話になったお礼にといつの間にか同行していた後輩がチョコレートを貰っていた。
その包装には見覚えがある。あの日以来見ることのなかった繊細で煌びやかに手の込んだそれは、有名店だからこそ数年という年月を経ても消えずに残り続けているのだと思う。
差し出された化粧箱の中身にあの日を思い出して息を呑む。どれを選ぼうか、一瞬、確かに悩んだ筈なのに私の手はあの日と酷似するチョコを選び取っていた。


「…甘っ、」
「そりゃチョコっすもん」
「後は君にあげるよ 」
「いいんですか?これ結構良いところのやつですよ」
「知ってる」


もう一度空を見上げれば本当にいつ泣き出してもおかしくない程の暗雲が立ちこめていた。


「チョコ嫌いなんですか?」
「好きだよ。でも過去を思い出すから食べないようにしてるの」
「あ、分かりました!嫌な男との過去ってやつでしょ?」


何故か急に探偵気取りな後輩を横目で見てくすりと笑う。“嫌な男” そう言いきれたならどれだけいいか。
いまだに思い出される記憶は切ない程に甘くて、私の中をゆるゆると幸せで満たしていくような思い出ばかりだ。


「残念だけどハズレ。泣きたくなる程愛した人との思い出だよ」
「えっ、先輩そんな相手居たんですか?!」
「失礼だなあ」


テンポよくチョコレートを口に運ぶ後輩にそう言った時、私の頬に雫が落ちてすうっと流れた。ああ、本当に私の代わりに泣いてくれているみたい。

そっと瞼を下ろせば今だって思い出せるあの日々を、私は決して忘れない。

ねえ、それくらいは許してくれるでしょ、傑。