*過去拍手お礼文です。













「奈緒ちゃん、ぐっすり」




トン、と静かに扉を閉め、再び居間へと戻って来た晴香はくすりと笑いを零した。奈緒を寝かしつけてきたところだった。





「…君が来て、よっぽど嬉しかったんだろうな」




そんな晴香につられたように、居間でテレビを眺めていた八雲も少し口許を緩めて晴香へ顔を向けた。








どうしても外せない用事があって、そう八雲が敦子から電話をもらったのは昨日の事だ。

どうやら後藤夫妻そろって夜遅くまで外に出ねばならぬらしく、奈緒を一人にするのが心配だと八雲にお呼びがかかったのだ。その際、ご丁寧にも「晴香ちゃんも一緒にお願いできないかしら」と、付け加えて。
当然八雲は眉を寄せた。
しかし「何故、あいつまで…」そう出かかった言葉は、敦子の「奈緒が会いたがっているの」の言葉にあっさりと打ち負かされてしまった。奈緒に対して八雲は甘い。そして何より八雲は敦子に敵わない。
電話越しに確信的に愉しげに笑う敦子に、八雲はただただため息を吐くしかなかった。


それらを踏まえて、この現状に至ったのだった。






「私も奈緒ちゃんに久しぶりに会えて嬉しかった。でも八雲くんも久しぶりに来たんでしょ?」



なら、尚更嬉しかったんだろうね。

そう晴香はにこやかに零しながら、八雲の向かい側に腰を下ろした。


机の上には湯気が立つ煎茶が二つ。
どうやら奈緒を寝かしつけている間に、八雲が煎れてくれたらしい。


晴香はありがとう、と口をつけた。


お互い、のんびりとお茶を飲む。
緩やかで穏やか。
沈黙すら居心地が良かった。





「そういえば、」




ふいに晴香が思いだしたかのように、小さく笑った。いきなり何だと八雲が訝しげに見遣れば、



「奈緒ちゃんのあの嘘、可愛かったよね」



そう、堪え切れないとばかりにくすくすと笑いを零した。

八雲も晴香の言葉に思いだす。

奈緒の吐いた、小さな嘘──。

















“お父さんは、本当に熊さんなんだよ”

訪ねてきてすぐ、そう唐突に、真剣な顔で、奈緒は八雲と晴香に告げた。


いきなりの言葉に、3人の中に一瞬の無言が落ちて。

慌てて口を開いたのは、晴香だった。



「な、奈緒ちゃん、あのね、熊っていうのは八雲君が冗談で言ってるだけであって…」



なんてことだ、八雲がいつも言う憎まれ口のせいで、奈緒ちゃんにとんでもない誤解を与えている。



そう晴香は解釈し、この有り得ない間違いを正すべく、あわあわと口を開いた。

けれど、じっと大きな愛らしい瞳で奈緒に見つめられ、思わず、うっと言葉を詰まらせる。


これで奈緒の夢を壊してしまったら、だとか、その前に何故こうも自信を持って熊だと言い切ったのだろう、とか、ここから人間だと証明するためにはどう言えばいいんだろう、なんて、ぐるぐる考えて。


えっと、その、としどろもどろに言葉を探している晴香を横目に、横から盛大なため息が聞こえた。




「君は馬鹿か?今日はエイプリルフールだ」




そう八雲がしれっと言い放った。呆れた声とやれやれと首を振るというオプション付きで。


そんな晴香の様子に奈緒が満足げにきゃっきゃと笑っていたのは、言うまでもない。















「すっかり今日がエイプリルフールだって忘れてたなぁ」


あははと笑う晴香に、八雲は思わず頬を緩める。そんな八雲に気付く事はなく、晴香は


「今日は嘘ついて良い日なんだもんね。私も何か考えとけば良かった」


なんて朗らかに笑って。

そしてそのほんの一瞬。
八雲がにっと小さく口許を吊り上げた。






「僕からしたら、あんな分かりきった嘘を間に受けた君の方が可愛いがな」
「べ、別に間に受けた訳じゃなくて…って、えっ!?」

呆れた声音の八雲に思わず晴香は反論しかけ、そしてその言葉を反芻して大きく目を見開いた。


“間に受けた君の方が可愛いがな──”





「い、いま、何て…」



バッと勢いよく八雲を見るが、その顔は変わらず真意の掴めない寝ぼけ眼。



今のは、自分の聞き間違いだったのだろうか。でも、確かに可愛いって…



混乱する晴香をじっと八雲は見つめたまま。


晴香は無意識に顔が火照りだすのに気付いた。が、気付いたところで止められるはずもなく。どんどん熱をおびる顔や全身に、心臓が爆発しそうになる。




「あああの、八雲く、」
「……っぷ、くくっ」




すると突然八雲は俯き、肩を振るわせだした。



「八雲君…?」



明らかに笑いを堪えるその姿に、晴香が戸惑いながら声をかける。




「君は学習能力がないのか?」
「いきなり、何よ」




眉尻を下げ、さも愉しそうに顔を上げた八雲に晴香はもう訳が分からない。





「今日は、何の日だ?」
「何の日って、エイプリルフール…っあ!!」





ああ、しまった、そう晴香は後悔したが、時すでに遅し。


そうだ、今日はエイプリルフール。


まんまと八雲にしてやられたという訳だ。





「君は本当に単純だな」
「〜っ余計なお世話ですー!」





恥ずかしさやら悔しさやらが込み上げて、晴香は一気に脱力した。

穴があったら、入りたい。まさにそんな気分だった。







「…八雲くんなんて嫌い」






ぼそり、と零す。それは紛れもなく、悔しさからでた言葉だったのだが──





「それは、好き、と言ってるのか?」




鼓膜を振るわせた言葉に、晴香は驚く。見れば八雲は意地悪気に口許を片方つり上げて、綺麗な赤い目でじっと晴香を見つめていた。

二色の瞳の中には、呆けた顔の自分。

はっと、我に返った。




「なっ!違っ・・・」
「今日は、嘘を吐いても良い日、なんだろ?」




音をつけるなら、ニヤリ。そう聞こえてきそうな笑みを八雲は浮かべていた。




「そ、そうだけど、今のは嘘じゃなくて!」
「どうだろうな、その嘘じゃないという言葉こそ嘘かもしれないしな」
「だから、嘘じゃないって言うのは嘘な訳じゃなくて…」
「それすら嘘かもしれないだろ」




ああ、もう分からなくなってきた。

晴香は頭の中で絡まっていく言葉にたじたじになる。そんな晴香の様子を見て、依然八雲は愉しげなまま。

そして更に八雲は畳みかける。





「じゃあ今の言葉が嘘でないなら、君は僕のことが嫌いな訳だな」




さも悲しいと言わんばかりに、淡々と。


その表情と言葉に、晴香はまたもや、うっと言葉を詰まらせた。確信犯だ、そんな非難は心の中でしか声にならなかった。






「君がそうだとしても、僕は…君のその素直さや、単純さが、可愛いと思う」
「え?」





とりあえず、何か言わないとと模索していれば、耳に飛び込んできたソレ。
晴香は口をぽかんと開け、目を見開く。


「お節介なところも、人のために一生懸命になれるところも、」
「や、八雲くん?」
「その優しいところも、君の笑顔も、」
「あああの!!」
「僕にはもったいない人だと思うし、君の恋人になれて嬉しいと思う」





次々と八雲の口から飛び出す言葉は、どれも信じられないもので。かぁぁっと勢いよく血が巡る。
八雲から紡がれる言葉全てに、身体が反応して、熱を持ち、心臓はもはや壊れそうなほど高鳴っていた。




別に、真に受けてる訳じゃないのだ。

分かっていた。
きっとまたエイプリルフールの嘘だと言うに決まっていると。
からかうのだと。


そう頭では冷静に考えているのに、心はそうもいかなくて。






そして、とどめの一言。






「僕はそんな君が、好きだ」






思わず、息を飲んだ。






まるで、ぼんっと顔が沸騰しているようだった。眩暈すらしそうだった。


晴香は何とか意識的に息を吸い込み、くらくらする頭を冷やそうと試みる。



どうせこの後、「エイプリルフールだからな」とか「君は本当に学習能力がないな」とか、そんな台無しの一言があるに違いないのだ。この八雲が、こんなことを言ってくれるはずがない、と。




けれど。
けれど、初めて八雲から聞いた、『好き』と言う言葉。




恋人になる時も、なってからも、はっきりと言われたことがなかった。想いを告げられたときだって、遠まわしで、憎まれ口で隠されて。



焦がれて、憧れて、想い馳せていた、言葉。



そんな八雲から言われた『好き』という言葉は、例え嘘だとしても、晴香にとっては特別で、嬉しくて仕方がないものだった。








晴香は胸の前できゅっと手を握った。










「でも、君は僕が嫌いなんだよな」
「〜〜っ」




言葉の余韻に浸り嬉しさを噛み締めていれば、八雲はまたわざとらしくそれを尋ねた。




完全に遊ばれている、そう晴香は自覚していた。
していたけれど、さっきの八雲の言葉が胸に響いて。



こうなったら、ちゃんと素直にこの想いを伝えてしまおうか、でも、何だかそれも八雲の思い通りで悔しい。



そんな想いが心の中で葛藤して、晴香はぐるぐると考え込む。




だから、気付かない。
八雲の耳がほんのりと赤く染まっていたことなど。












「今から、嘘吐くよ」



ぽそりと、唇を尖らせて。
ようやく口を開いたそれは、真っ直ぐで嘘がつけなくて、でも素直にはなりきれない、そんな晴香の精一杯の抵抗で。




八雲は突然の宣言に、首を傾げた。






「私は、そんな、意地悪で余裕のある八雲くんなんて、嫌い、だよ」






思いがけない言葉に八雲は目を見開く。



ぽそぽそと紡がれたその言葉に驚いて。しかしその言葉とは似つかわしくないほどに、晴香の顔は熟れた林檎のように真っ赤に染まって。





“今から、嘘吐くよ”




そして先ほどの言葉を思いだし、理解して、一気に八雲もその頬を赤くした。





嫌いの嘘は、好き──…。








八雲は思わず、口許を片手で覆った。
どんどん熱を帯びる身体に、どうしようもなかった。





「捻くれ者だけど、本当は優しい所とか、嫌いだし、」





そんな八雲の異変に晴香が気付くことはなく。晴香はと言えば完全に俯いて、すっかり小さくなっていた。

ただ、その髪の間から覗く耳の赤さが全てを物語っているのだが。







「いつも、何だかんだ文句を言っても助けてくれたり、守ってくれたりして、小さなことにも気付いてくれて、」





晴香本人も恥ずかしさに耐えられないのか、どんどん声がか細くなっていく。それでもつけっ放しだったテレビの音をも掻き消して、八雲の耳には晴香の声がしっかりと届いていた。





「八雲くんの側にいると、すごく安心して落ちつ…かないし、」





声が小さく震える。

晴香の視線は膝に落としたまま上がらない。
八雲がどんな顔をしているかなど、晴香は知らない。






「ずっと、隣にいられたら、一緒にいられたらと、思わないし、」






こうなれば勢いだと、晴香は目をぎゅっと瞑った。








「八雲くんの全部がとにかく大、嫌い」








こんな伝え方、どうかと思うけど。それでも、胸の内を全部さらけ出したかった。










「……」









ぐ、と八雲の反応を待っていた。
待っていたが、いつまで経っても沈黙のまま。何の反応も返ってこない。





もしかして、嘘を吐くと伝えはしたが、気を悪くしたんじゃ…





晴香は途端不安に襲われ、そっと顔を上げようとした。







「見るな」






突然耳元で聞こえたそれに驚いた。

そして次の瞬間には、ぐいっと肩を引き寄せられ、バランスを崩し、そのまま何かの中にすっぽりと収まった。温かく、よく知る、大好きな匂い。



八雲の腕の中だった。








「八雲く…」
「もうしゃべるな」



急なことにただ状況が掴めなくて、晴香は八雲に声をかけた。が、それはすぐに遮断されてしまった。


ぎゅっと強く抱き締められ、顔を上げることもままならない。





「全く、何で君はこうなんだ」




ぼそりとため息まじりに、それは独り言のように呟かれ、その吐息のくすぐったさに晴香は小さく身をよじる。






一瞬、何とかちらりと盗み見たその耳は、真っ赤に染まっていた。









「もしかして八雲くん、照れてるの?」
「照れてない」
「それは、嘘?」
「いいから、黙ってろ」








更にぎゅっと強く抱き締められてしまい、晴香は口を噤む。八雲の腕の中は、いつもより熱い気がした。


そしてじわじわと広がるくすぐったさに、くすりと小さく笑った。







「何笑ってるんだ」
「ううん、ちょっと」







八雲はむっとした声で、その頭に頬をのせた。
腕の力は緩めない。

晴香は未だ小刻みに揺れ、笑っていた。



そして、







「すっごく幸せ、じゃないなぁって」







と、そう意地悪気に、愉しげに、笑った。それから、ゆっくりと八雲の背中に腕を回して、身を寄せて。
ただただ幸せそうに、笑った。





そんな晴香に八雲も、参った、と心の中で手を上げて。







「そうか?僕はすごく幸せだ」







そう、笑ってみせた。



















うそのうそはほんとの言葉


(そういえば八雲くんから、『嘘』だと言われてない)
















「エイプリルフールって、楽しいわね」






突然聞こえた声に、晴香と八雲は一気に我に返った。

扉を見れば、それはそれはにこやかな顔をした敦子が立っていて。その後ろではにやにやと嫌な笑いを浮かべた後藤まで。





「あ、敦子さん!?」




慌てふためき、晴香は声が裏返る。八雲はと言えば、依然晴香に腕を回したまま、深く深くため息をついて。




「早いお帰りでしたね。夜遅くなる、と言うのは嘘ですか?」
「あら、嘘じゃないわよ。もう、充分夜遅い時間だもの」




笑みを絶やさぬまま敦子は時計を指さす。
時刻は、21時半。
夜遅いととるかどうかは人それぞれだろう。




「じゃぁ、僕たちはこれでお役御免というわけですね」




結局返す言葉も見つからなかったのだろう。元より八雲は敦子には噛みつけない。


ため息まじりに、腕を下ろした。


晴香はようやく開放されたことに内心ほっとしつつも、未だ見られた羞恥と衝撃で顔を真っ赤にして俯いていた。





「もう夜遅いし、泊まっていくといいわ。私たちはもう去るから、気にしないで続きをどうぞ」




気にしないでいられるか!



晴香のそんな叫びは届かない。






「じゃあ、おやすみなさい。八雲くん、晴香ちゃん」
「頑張れよ、八雲」





そしてそんな言葉を二人は残して、本当に扉を閉めて立ち去ってしまった。






嵐が去った後のように、再び訪れた静寂。





晴香は未だ混乱しながら、八雲を見やる。すると、ばちりと視線がぶつかって。ようやく収まった鼓動が再びどきりと高鳴った。




そして八雲がすっと立ち上がった。




「や、八雲くん…?」



まさか本当に続きをするつもりなのかと、晴香は慌てふためく。


しかし、八雲はそのまま晴香に背をむけて。
後藤たちが閉めた扉に近づいた。





がらり。






「何やってるんですか」





一際トーンの下がった八雲の声に、晴香も何事かと後ろから覗きこむと。




「敦子さん、後藤さん!?」
「あら、バレてた?」




扉の向こうには立ち去ったはずの二人の姿。

悪びれもせず、ニコニコと笑顔まで浮かべて。






「去るんじゃなかったんですか?」






八雲が明らかなため息を零して二人に問えば、後藤と敦子は顔を見合わせて笑った。












「だって、今日は“嘘を吐いても良い日”だから!」














エイプリルフールは、もうこりごりだ。

晴香は顔を覆って肩を落とした。

















*お粗末さまでした!





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拍手お礼掲載期間 2012/4/7〜2013/4/22







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