まだまだ初夏には遠いものの、からりと晴れた青空から降る陽の光は強く、眩しい。

そんな空を人は快晴だと喜ぶのだろうが、
生憎空を見上げて立ち止まる趣味もなく、
纏わり付く陽光をいっそ煩わしく思いながら、足早に目的地へと急いだ。

そうしてたどり着いたのは図書館。
足を踏み入れれば、早くも少し冷房がきいた、この上なく快適な空間だった。

陽に軽く火照らされた肌がやんわりと冷えていくのを感じながら
脇に抱えていた数冊をいつものように返却し、
すっかり馴染みと化した図書館内を歩き回る。


入学以来、どの講義室よりも多く訪れているこの場所は、数少ない好きな場所の一つだった。
いや、大学の図書館に限らず昔から図書館と言うものは居心地が良かったように思う。


その理由として、もちろん本を読むことが嫌いではないと言うこともあるけれど、
何よりここでは、この左目に向けられる好奇や奇異の視線を感じることが少なかった。
左目に映る五月蝿い連中も多少はいるものの、
そんな視線に曝されるよりよっぽど良かった。

それは各々が手元に視線を落とし、それぞれの世界に没頭しているからかもしれない。
目に見えない個々の世界。
それは不可侵の領域のようで、とにかく人と関わる事を疎んでいた僕にとって
ひどく安心できる空間だったのだ。





広くはない館内を順繰りに歩きながら本のラベルへ視線を走らす。

ジャンルは特に問わない。
あくまで暇つぶしでしかないそれをこだわる事もなく、
大体が目についた興味を惹かれたものを借りていく。
今日も今日とて持て余した時間を埋めてくれるものを探しに来たのだ。

そうして一通り回った所で今回目を惹かれ何となく手に取ったのは、1冊の本だけだった。



あともう1冊くらいは欲しいな。

手元の少し擦れた本に視線を落とし、ぼんやりと今の自分の読みたいものを気分と照らし合わす。
一冊だけではすぐ読み切ってしまう。
と言うよりは、借りるにしろ返すにしろ、
一冊の為にわざわざ足を運ぶのが面倒臭いと言うのが本音だけど。


そういえば、この間読んだ本の続きはあるんだろうか。
そう再び、足を踏み出そうとしたところで、ふと立ち止まる。





(そういえば本を読むスピードが遅くなったな…)





いつもなら、別に余裕を持たせようとする訳ではないが、もっと早く読み終えて図書館まで足を運んでいた。
それが今回借りた数冊は、返却期限ぎりぎりだったのだ。
最後の一冊などさっき読み終えたばかりだ。





(いや、違うな。スピードなんかの問題じゃなくて…)


 


何故、等考えるよりも
理由は明確だった。

昔の自分と今の自分の違いを考えるなど。





(あいつが邪魔して読めないんだ。)





そう、すぐに至った答えに
思わず笑ってしまった。

脳裏に浮かんだのは暇さえあれば騒々しくやってくる、件のトラブルメーカー。
勝手にやって来ては人の自由な時間を奪って、
「構え!」と言わんばかりに
(実際この前放っておいたら「ちょっとは構ってくれても良いじゃない!」と口を尖らせていた)
他愛もない話を楽しそうにし出すのだ。
何がそんなに楽しいのか正直分からない話でもニコニコとはしゃぐように話す姿を見ていると、
自然とページを捲る手が止まってしまう。
そうして結局、話そのものよりも、そのころころと変わる声音と表情に本を閉じてしまうのだ。





――きっと、今日もやって来るんだろうな、あいつは。





今までもこれからもそうだと思っていた、一人だけの、僕だけの世界をこじ開けて、
なんてことない日常を共有するように。





(…この本だけでいいか。)





少しの逡巡の後、そうカウンターに向かい直したのは、
せっかくの君との時間に本を読むのがもったいないから。
…じゃなくて、君が邪魔してどうせ読めないからだと、あくまで君のせいにした。









貸し出し手続きを済ませ、カウンターに置かれた卓上時計を見れば思いの外時間が経っていた。

用は済んだ館内に背を向けて一歩外に踏み出せば、
予想していたような暑さは感じず、むしろ少し冷えた身体にはちょうど良かった。

本を翳して見上げた空は相変わらず眩しいくらいの青で。
雲一つない晴天になぜか呑気に笑うあいつの顔が浮かんだ。




──単純な君ならこんな空を喜びそうだ。




もしかしたら、もう来ているかもしれないな。
さっき見た時刻はちょうどあいつの講義が終わったくらいだったから。


そう思い首を戻せば、眩しい空を見ていたせいで目の前が少しちかちかした。
そうして視界が色を取り戻し再び足を動かし出せば、自然とその速度は上がっていた。



…これはあくまで、陽射しが鬱陶しいからだけど。







どこか陽気なキャンパスを突っ切って、
校舎前に差し掛かった時だった。


疎らな学生達の中に
見慣れた後ろ姿を見つけた。
まさに思い浮かべていたばかりの人物。



不思議なものだと思う。
他に前を誰が歩いていようと、端で誰が何をしていようと、特に気に留めること等ないのに、
たまにこうして見かけるとすぐにその姿だけが目に入る。



陽の光を受けた明るい髪を弾ませて、軽快に歩くその姿は一目でご機嫌だと見て取れた。
その足どりは今にもスキップしだしそうだ。



あまりにも分かりやすいそれに、思わず小さく笑ってしまった。





彼女が楽しそうにしているだけで、
自分の気持ちまで晴れやかになる。
その理由など、本当は大分昔に知っているけど。







この空に負けないくらいに陽気で危なっかしい背中を見ていれば、徐に彼女が立ち止まる。

何だ?忘れ物か?

そう訝しんでいれば、どうやら空を見上げているようだった。
道の真ん中で。

思わずため息をついてしまうのは、何も僕だけではないと思う。



その後ろ姿に一直線に歩みより真後ろに立ったと言うのに、それでも動かない君にため息をもう一つ。



手に持っていた本を
空を仰ぎ見るその顔の上に翳してやった。




「きゃっ!?」



突然視界を覆われて、小さく肩を跳ね上がらせながら君が勢い良く振り返る。
ばちりと搗ち合ったセピア色の瞳は、驚きに満ちていた。

そして僕も驚きに身を堅くする。

振り返った君との距離に息を飲み、上げたままの片腕をただ強張らせて。

僕の真正面でくるりと反転した君は、必然的に僕の胸の中にいて。
このまま手を下ろしてしまえば抱きしめるような形になってしまう。


視線も逸らせない。


見つめ合っている時間がやけに長く感じて、
その瞳に映る自分の瞳が恥ずかしさを駆り立てる。

そうしてる内に、その柔らな絹のような頬を胸の中のこいつはみるみる内に赤く染め上げた。
その瞳は小さく揺れて、目許すら赤く潤ませて。




思わず、腕の中に閉じ込めてしまいたくなった。










「…いたっ!」


ぼすっなんて鈍い音と共に非難めいた声がした。
衝動的に下ろしかけた腕は、君の頭に本を落とすことでなんとか食い止めたらしい。

理性を総動員して。





「ちょっと八雲君!何するのよ!」

「…別に。」




別にって何よ!

なんて言いながら頭に乗った本を君は払いのける。
僕はと言えば、未だ熱を持った顔を見られまいと、歩き出すしかなかった。




「あ、待ってよ!」

「待たない。君に合わせていたら日が暮れてしまうからな。」

「またそういう事言うんだから。今から部屋に戻るとこ?」

「そうだ。“僕の”部屋に帰るんだ。」

「残念でした。部員である私の部屋でもあるんですよーっだ!」




当たり前のように僕の隣を歩きながら、いーっと歯を剥き反論してくる。
その姿に小さく口の端を吊り上げた。
頭一つ分小さい君には見えないように。




「あ、ねぇ八雲君。
 冷蔵庫におやつってまだ何か入ってたっけ?」

「間食が生き甲斐の君が、昨日食べたチョコで最後だったはずだ。」

「生き甲斐って!最後の一つは八雲君が食べたんじゃない!」

「覚えてないな。」

「もう!」




他愛ない話が、
君の隣が、どうしてこんなに心地好いのか。
ころころと変わる声音が耳に優しい。

サァっと柔かな気持ちの良い風が通り抜けて。
思わず目を細めて、空を見上げた。




「良い天気だね。」




そんな僕に気付いたように上がった声は弾むように澄んでいた。
ちらりと横目で伺えば、さっきと同じように空を仰ぎ見上げていた。
…歩きながら。




「気持ち良いね!」

「…前を見て歩けよ。そんな歩き方をしているからすぐ転ぶんだ。」




そう言った後で、いつだったかにも言った台詞だと思いだした。
ただあの時とは違い、君は顔を上げて晴れやかな顔をしているが。



君はいつだってそうあれば良い。



そんな事口が裂けても言えないけど。





「大丈夫!八雲君がいるし!」

「…僕は君の保護者じゃないんだ。」




尚もニコニコと空を見ながら上げられた言葉に、呆れたようにため息をつく。

全く――。

いろいろ言いたい事はあるが、結局その言葉がどうにも心を擽るようで
それ以上は言葉にならなかった。

そして再び同じように空を仰ぐ。




何だか、さっき見た時よりも青く映った。





「そうだ!」


突然上がった声に、視線を再び君に戻す。


「せっかくこんなに天気がいいんだもの!お散歩にでも行こうよ!」


そして名案だと言わんばかりに発せられた言葉に、思わず眉間に力が篭った。
何がせっかくだ。
君らしいと言えば、君らしいが。


「…行くなら君一人で行けばいいだろ。僕はいい。」

「いいじゃない、たまには!運動不足解消になるよ。」

「君と違って僕は適度な運動をしてるんだ。一緒にしないでくれ。」

「そんな長距離じゃなくていいから!
 大学の裏通りに美味しいケーキ屋さんが出来たらしいの。
 そこまででいいから、ね?」



懇願するように顔の前で手を合わす君に、ため息を一つ。



「結局、運動なんかよりそれが目的なんじゃないか。」



図星を指されたようで、曖昧に笑う姿にため息をもう一つ。


足はすでに止まってしまった。
それでも素直にはなりきれない僕の口はまだ足掻く。



「それに、出来たらしいって事は、君も詳しく場所を知らないんじゃないか?」

「そうだけど、多分大丈夫!」

「根拠のない大丈夫だな。」

「でも、意外と何とかなるもんだよ?」

「そこまで楽観的だと幸せだな。
 …どうせ僕に頼るつもりなんだろうが生憎あの辺りは全然分からないからな。」

「そうなの?」

「あっちには行く必要もなかったからな。」



思えば、必要最低限の外出ばかりで、知らない場所の方が多いことに気付いた。

自宅から大学までの道のり。
駅周辺。
まぁ当たり前だが大学構内。


それくらいだけだった。出歩く外は。
僕の知る世界は。


そしてこれからもそうやって生きていくのだと。








「じゃあ、連れていってあげる。」








やけに明るく力強い声が聞こえたと同時に、突然の引力に足を踏み出す。
見れば左手を君に取られて、ぐいぐいと引っ張られるように歩きだしていた。




「お、おいっ!」

「だから一緒に行こうよ!お散歩!」




そう振り返ったその顔は、もう反論するのもバカらしくなる程の笑顔で。
それはそれは上機嫌に、僕の手をひいていく。


すっかり毒気を抜かれてしまった。


迷うことなく僕の手を取り、
真っ直ぐに歩くその姿に目を遣れば、
その頭上には相変わらずの青色が広がって。


僕までも君がそう言うなら大丈夫か、なんて楽観的になってきた。





「ほら、行こう!」





いつだって、そうだった。
君はいとも簡単に、僕の心に踏み入って、連れ出して。
僕はいつだって君に連れられて、知らなかった世界を知る。

今この瞬間も、繋がれた手の温もりに胸が疼いて、
何気ないこの日常に、愛おしさが込み上げる。

全部、何もかも、知らなかった。
君と出会うまで。







「…迷子になってもしらないからな。」







子供のようにはしゃぐ姿に、
君とそぞろ歩きも悪くないかと観念して。
繋がった手をそのままに、大人しく歩きだした。























そぞろ歩き
この空の下、どこまでも世界は続くのだと君が教えてくれた。




















‐‐‐‐‐‐
大好きなそぞろ歩き〜空の下〜のmoggyさまへの贈り物です!

moggyさん宅が40万ヒットとの事で、お祝いに送りつけてしまいました!!
おめでとうございますー!!

moggyさんには初めてやり取りさせて頂いてから、ずーっと元気を分けていただいてます(*^_^*)
この感謝の気持ちをどうにか伝える機会はないかと、そわそわと物陰から覗っていた所(こわい、こわい!)
40万ヒットと聞きつけ、チャンスとばかりに贈らせていただきました!てへっv
そして恐れ多くも、前から素敵なサイト名だなぁっと思っていたmoggyさんのサイト名でお話を書かせて頂きました!(*^_^*)
話の出来はともかくとして、それだけで満足です!(笑)

moggyさーん!こんなのを快く受け取って下さってありがとうございましたー!
これからもmoggyさんファンとして応援しております!!(*´▽`*)




(2011/5/14)






page top



「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -