*『心霊探偵八雲3〜闇の先にある光〜』

単行本じゃなく文庫版のP161〜、晴香を迎えに行ったシーンの八雲sideの3K『芽ぐむ』の続きです。













腕の中で不規則に揺れていた肩が、緩やかに落ち着きだした。


小さくしゃくりあげながら、グスンと洟をすする音が聞こえて、泣き止んだかと胸のうちで一人安堵した。



沸き上がる感情のままに、訳が分からない子供のように泣いた彼女は、きっとそろそろ泣き腫らした顔で「ごめん」なんて慌てふためくに違いない。
そう早く、いつもの調子に戻ってくれればいい。


しかし、そんな予想に反して、すっかり落ち着いたこいつは動く気配がない。
身じろき一つしなくなった腕の中の温もりを不思議に思い、そっと胸に埋もれたその顔へ視線を落とす。

柔かな栗色の髪の中、ちらりと覗き見える耳が目に入った。
それは一目で分かるほど、熟れた林檎のように真っ赤に染まっていて。

そして、彼女を宥める内に、自分が両腕でしっかりと抱きしめていたことを思い出した。




…思わず、熱が伝染した。




明らかに腕の中で硬直する姿は、泣いているそれとは違う空気を醸し出していて。
羞恥と困惑と焦りが、じりじりと触れ合った部分から伝わってくるようだった。




「…落ち着いたか?」
「…うん」




動くに動けずそのまま問いかければ、消え入りそうな声が聞こえた。
それは涙まじりの声ではない。


とりあえず、もう大丈夫なようだ。
いや、この状況は大丈夫じゃないが。


それでも、いつものこいつに戻ったような気がして、やはり安堵した。


自然と口許が緩む。




「…行くぞ」




できるだけ平静を装い、ただそれだけを告げてそっと両腕を降ろせば空いた隙間を風が通り、冷めゆく熱がなんだかもどかしく感じられた。


もう少し、こうしていたかった気もする。
そんな微かに浮かんだ想いを振り払うように、すぐに背を向け来た道へと足を進めた。


視界に入ったその顔が、真っ赤だったことは意識しないようにして。
さらには火照るような自分の熱もひた隠しにして。
きっと、こいつは気付いちゃいない。





「あっ、待ってよ八雲君!」




途端、弾かれたような声と、駆け出す足音が聞こえた。
その聞きなれた軽やかな足音は、いつものような真横ではなく、数歩後ろに留まった。
そしてそのまま、僕の少し後ろを黙々と歩く。


後ろを歩く彼女の顔が手に取るように想像できた。











カタン…カタン……





電車が近づいてくる音がする。

湿りを帯びた風が温く吹きぬける。
決して涼しいとはいえない夏の風。

しかし、それは来た時よりも不快には感じなかった。





ゴォッ…





強い風が舞った。
すべてを蹴散らしてしまいそうな風を纏い、真横の線路を電車が駆け抜けた。
耳を覆ってしまう程の騒音をただ撒き散らしながら。








「ありがとう」








ふと、小さく。
轟音に掻き消されそうなほどに、小さく、それは確かに聞こえた。

いや、掻き消され、飲み込まれていたのかもしれない。
それでも騒がしい音の中、それだけははっきりと耳に飛び込んできた。


誰が、など。何が、など。
確認するまでもない。




じんわりと、染みこむようにその声音が響いてく。




さっきまで泣いていたくせに、
ありがとうだなんて。

僕のせいで、泣くはめになったというのに。



「…」



ただ、聞こえなかったフリをするのが、
僕に出来る事だった。















駅に着き、未だどこか心ここに在らずなこいつと共に電車に乗り込んだ。
ドアに寄りかかり、流れる車窓の外を見つめるその顔をちらりと盗み見る。
泣き腫らした目はまだ赤らんでいて、思考の海を彷徨っているらしい彼女は普段に増して危なっかしく見えた。



少し閑散とした車内にアナウンスが響いて、気付いたようにその顔が上がる。
こいつが降りる駅だ。





「あの、八雲君」
「何だ?」





おずおずとかけられた声に顔だけ向ければ、ばちりと目が合った。
瞬時にこいつは頬に紅を差し、気恥ずかしそうに視線をうつむけて。




「なんかいろいろ、ごめんね。
もう私は大丈夫だから」




えへへと笑ってみせるその顔は力なく、大丈夫、なんて言葉のどこにも説得力がない。


俯き気味のその姿が、頼りないその肩が、さっきまでの姿と重なって。
また胸が苦しくなった。






ガタン、

緩やかに動きを止めた電車のドアが開く。
冷えた車内に生ぬるい風が流れ込む。






「じゃぁ、また明日。何か分かったら教えてね」





なんて、性懲りもなく。
こんな想いをしてもなお。


いろんな痛みを閉じ込めて笑うその顔に、また一人、泣くんじゃないか、なんて思えて。










「…行くぞ」
「え?」






まるでさっきと同じ言葉を零し、
そしてそのまま背を向けホームへと足を踏み出した。

たださっきと違うのは、しっかりと彼女の手を取っていることくらいで。





「ちょっ、八雲くんの降りる駅は先…」
「送ると言ってるんだ」
「だ、大丈夫だよ」
「そんなぼーっと阿呆みたいに呆けた顔しといて、どこが大丈夫なんだ」
「なっ!阿呆って失礼ね!」
「ただでさえ、トロいんだ。このままじゃホームから転がり落ちたり、電柱にぶつかったりしかねない。後で僕のせいにされても困るからな」
「そんなにトロくないもん!」
「どうだか」




わずかに抵抗する力を無視し、そのまま手を引いてずんずんと歩き続ける。
握った手は小さくて、容易に僕の手の中に収まっていた。
この手の中にしっかりとこいつが居ること、確かめられること、それだけで安心できた。
安堵する自分に、気付いた。




「…心配、してくれてるんだよね?」




不意にぽつりと。
人ごみを掻い潜り、ざわざわと煩い中で聞こえたきた言葉は小さく、問いかけと言うよりどこか独り言のようでもあって。
けれど後ろの視線は確実に自分に注がれていて。


なおも引かれるその手には、もう、抵抗する力は感じられない。


それどころか、しっかりと握ったその手はそっと握り返されて。






「…あぁ」






思わず聞こえるか聞こえないかの声で返せば、後ろで嬉しそうに笑う声がした。









息吹く
それはまだ、小さなつぼみ












握っていた手は、駅を出てすぐ自然と離れた。



お互いに何を話すでもなく歩く。
相変わらずいろんな想いがグルグルと回っているらしいこいつは、ただただ黙々と。
僕はと言えば、一歩後ろをとぼとぼと歩くこいつを置いていくことがないように、けれど隣に並ぶこともなく、歩いて。




そうしてあっと言う間にマンションの前まで辿り着き、


「じゃぁな」


そう一言かけて、踵を返した。


ようやく振り返り見たその顔は、目の赤みも消えていて。
それでもその表情はまだ、暗い。



「あっ、」



耳に入ってきた弾かれたような声に、足を止める。くるりと体を戻せば、その瞳とかちあった。



「ありがとう、八雲君」
「…ここから部屋までなら、いくら君でもちゃんと帰れるだろ?」
「もうっ!帰れますよーっだ!…せっかくだし、何か飲んでく?」
「…は?」
「ここまで送ってもらって悪いし、上がっていったら?」



ちょっと散らかってるけど、

なんて恥ずかしそうに笑って。



「君は…」
「え?」



女の一人暮らしの部屋に、そう易々と男を招き入れていいのか?


いくらなんでも無防備すぎやしないかと呆れてしまう。
けれど、そんなこちらの胸中など知りもしない顔で、きょとんと続きを待っていて。それを告げれば、きっとこいつは顔を真っ赤にするんだろう。


こいつには他意などない。


ただ純粋にお礼のつもりなんだろう。
何より彼女もそこまで世間知らずな馬鹿ではない。
恐らく自分を信用しているからこそということも分かっている。
それに対して、引っかかりを感じもするが。

…それが“友達”というものなのだろうか?




「いや、何でもない」




いずれにせよ、断る理由もない。




「ちょうど喉も渇いてたし、日記も早く確認したい。君の言葉に甘えさせてもらうよ」




そう告げれば、彼女はようやく今日一番の笑顔を見せた。








clap?







‐‐‐‐‐‐
まだまだ何とも言えない距離感の二人…!!!
確実に何か芽生えているのに、それがなんなのかは分からない。
けれどどんどん育まれていくんだーい!!

ここいろいろ想像できて大好きです。




(2012/11/5)




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